人類史

人類の食性を考察する時、なぜヒトによって意見が異なってしまうのか?

ヒトが物事を判断する基準は人生で培ってきたもの、知り得たもの、そしてこうであって欲しいという願望から行われます。しかしそれは端的に言ってただの「思い込み」なわけで、なかなか「思考」にまで至らないというのが事実です。練り上げた思考でどんな知識を選択するかが自分次第ですが、その前提がおかしいと全てがおかしくなっちゃいますからね。

糖質制限知識

糖質制限すると筋肉が分解されるという理屈は、要因と結果を無理矢理繋げただけで原因の考察がされていない

常識だけではなく、ヒトの見るものは全てヒトそれぞれの価値観に左右されます。「有り得ない」と思う事こそ最大の思考停止であり、だからこそ世に数多存在する専門家ほどこのジレンマに気付かず過ごしてしまいます。専門家の意見ほど、より多くの判断材料となる情報を持った上で判断しないといけないわけですね。

心の在り方

誰かの喜びを基準にしても自分自身が不幸になるだけ

自己肯定感を高める生活や意識といったものは、ともすれば自分勝手であったり身勝手であったりといった印象を与えてしまいます。しかし相手の顔色を病的なまでに気にするように仕向けているのが日本の情操教育である観点から、そういった事が気になってしまうだけで、実は相手は自分の事を気にも留めてないですし、自分が敏感に感じるほどヒトの悪意など存在しません。

雑論

他人の問題にだけ注意を払い、自分の問題を認識できない日本人の老害と劣化

声を上げない日本人は国際社会でバカにされがちです。しかし往々にして、日本人が口を開くと薄っぺらいどうしようもなく中身の無い主張をしていたりする事もまた事実な訳です。今回は戦争を知らない世代が戦争の悲惨さだけを声高に叫ぶ事の弊害について考えてみます。戦争の悲惨さを叩き込まれた世代が老害となり、戦争を知らないニュートラルに物事を捉える世代に切り変わろうとしているからこそ老害の酷さが目立ってくるのかもしれません。

糖質制限知識

最適な代謝と最適な食事を判断する簡単な方法

糖質制限が上手くいく、上手くいかないという事の差異は実に些細な事で決まったりします。マインドセットの問題は別として生きてきた環境、慣れている環境にヒトの身体は最適化していくものだからです。習慣と思い込みの観点から見直せば最善の方法論を選択する為の大きな助けになります。

腸に良い食事だけをすれば良いというのは、腸を酷使する結果を生むかもしれません

過ぎたるは及ばざるが如しとは本当によく言ったもので、世に蔓延るこれだけやっていれば良いという認識のものの殆どは生活に何らかの事象を過剰にプラスするという点でこれに該当します。体重が増加するという事は何らかの余計な因子を抱えているという事になり、そこに何を足したとしても、それが例えどれだけ良いとされるものでも好転する事は無いと考えるのが妥当です。マイナスをプラスにするには足すのではなく、そもそもの生活習慣からマイナスを除外すればそれで良いと考えないと物事はシンプルになっていきませんから思考の罠にハマってしまうわけです。

雑論

真社会性のアリ社会と社会主義崩れの日本社会

社会主義とは誤解覚悟でざっくり説明するならば、全ての資産と資本は社会共有の財産であり、それを均等に分配する事で全員が平等な生活を送るって感じのヤツです。日本はその思想に資本主義の金銭感覚を持ち込んでいる為、富の分配は行われず労働、しかもマネジメントなどではなく有り触れたワーカーレベルの仕事を身を粉にして行なっている社会構造となっています。よっぽどアリの社会の方が機能的じゃないですかってお話です。

雑論

マナーへの勘違いと、その延長線上にあるオジサンと老害

日本が社会主義国だと仮定すると、安い賃金で安価な製品を品質良く作る事に主眼を置いている意味がよく分かります。富は平等に分配される為に存在するわけですから、収入の差は決して大きくないと考えられるのでそれが成立します。しかし現実の日本は資本主義国であり貧富の差は大きくなっています。つまり労働環境は社会主義的で経済は資本主義で回っている事に全ての問題が集約されているわけです。ここらの勘違いが社会を大きく歪ませオジサンという魔物を生み出してしまっているのかもしれません。

雑論

1030運動は食いハラなのか?

何でもかんでもハラスメントをつければ問題史できるような風潮に便乗した形になってしまうのは心外な部分がありますが、食いハラはスポーツの世界や学校給食などで問題となっているので取り上げる事は悪くないのかもしれません。食べなきゃ大きくなれんぞとかそういう考え方は「お母んかよ」って感じですが、たっぷりの愛情と科学的事実が同居していない文言は暴力になるのでしょうね。

心の在り方

嫌という感情が訪れるものは例えどれだけ健康に寄与するものでも実践しない方が良い

世の中に真に万能な方法論は存在しません。これは個人差がどうであるかとかそういった次元の話になるので胡散臭いものに感じやすいのですが、例えどれだけ健康に良いものでも本人が嫌だと思えば効果は出にくいのです。青汁や納豆などのクセの強いものと同じというわけです。