社会問題の根幹には擬人化と大衆迎合がある
この度の新型コロナによりヒトの社会における欠点と、その欠点を生み出しているものの存在が浮き彫りになってきました。そしてその問題の多くがヒトの勘違いにより増長され、ヒトの共感性により共有されています。そしてそれの効果を理解しているものにより、世間はいいように操られているというわけです
りんさん「の」糖質制限+分子栄養学+ストレスマネジメント
この度の新型コロナによりヒトの社会における欠点と、その欠点を生み出しているものの存在が浮き彫りになってきました。そしてその問題の多くがヒトの勘違いにより増長され、ヒトの共感性により共有されています。そしてそれの効果を理解しているものにより、世間はいいように操られているというわけです
日本ではコロナウィルスはザコであるというのは数字をみちると明らかです。その数字を出せたのには都市封鎖が効いたのでしょうか? そしてこれからのコロナ対策はどうすべきなのでしょうか? そこんところを考察してみます。
非常時になると不思議なもので、あれだけ必要だと思っていたものが必要でもなかったりします。逆に平時でも異常性を感じるものは、非常時には更なる異常性を感じるようになります。これはそもそもその事態が精神的な不安によってもたらされているという側面を持っているからだと考えます。だからこそヒトは多少の共感を持ち、集団心理の中にそれを組み込んでしまいます。ですがどうでしょう? 自分の不安を他人にぶつけているだけと変換すると、非常に情けなく感じてしまいませんかね。
コロナウィルスは非常に速く感染を拡げています。そろそろ政治的な大英断の欲しいところですが、現実は下手な考え休むに似たりといった感じですね。政治家に必要なのは素人なみの突破力だけなんですが、偉いと思うと議論をするのがお仕事だと思ってしまうようで。
現代においてゲームというか娯楽一般は学習の入り口になっている事も珍しくはない。つまりゲームを一街に学力低下の因子にする事自体が時代錯誤なわけなのだが、では何でそんな事が起こってしまったのか?
新型肺炎。全貌が見えないまま感染数増加の報告だけが独り歩きしており不安が募りますね。そんな中で情報に踊らされるのはヒトの常ですから仕方無いです。ですがまあ、そこを飲み込んだ上で冷静に行動しないといけないんではないかなとも思います。
世の中には色々な専門家がいます。専門というのは特化しているという意味ではありますが、常に最新の知見であるという意味ではありません。逆に言えば、専門家ほど最新の知見に慎重であり、また鈍感であると言えます。
人類を絶滅させる脅威となるとこの地球上で2つに絞られます。まずはウィルス、2つ目はヒト自身です。ヒトの過剰すぎる自己防衛は社会生活を脅かすものへの防波堤となりますが、社会に問題がある場合はその理屈がそのままヒトに跳ね返ってくる事になりかねないかもしれません。
ヒトと変わった事をするのは難しいものです。理解、余裕、信念などがよほどきっちりしていないとヒトは1年以上は継続出来ない生き物だからです。集団の中で生きる以上、集団に認められなければ生きていけない。それが常識的判断だとも言えます。
ヒトにはヒトらしく生きる為のルールが必要です。しかしルールとはヒトを縛る為のものではないという前提を忘れてしまうとそれは意味を為しません。枠に収めるのではなく、枠を広げる努力をすべきなのですが、大人になるとそれが出来なくなるもんです。
自然はヒトの手により破壊されています。どのように破壊されているのか、どのように改善していくのかは意見の分かれるところですが、ヒトが自然と再び共生関係になる事は非常に難しいと言わざるを得ません。それは環境的に厳しいはずの放射能汚染区域における1つの真実が如意に語ってくれています。
ヒトは多くの原因により死んでいきます。老衰で死ねるのであればそれが最善ですが、死は予測できないものですし、それが災害によるものであれば納得も出来ないものです。しかし自然災害と呼べる野生生物による死亡よりも多くの死をもたらすものがあります。
オジサンが社会の問題の根幹であるというのは真理の側面を持ちつつも、理解しにくい概念でもあります。団塊世代の老人が「キレる老人」となっていくようにオジサンと呼ばれる種類の老害は特別であるという事を自負しまたヒトにも強要します。そこが愚かだと気付くのは若い世代だけですが、オジサンは若い世代を搾取する手段で思考を奪ってしまいます。
歴史は勝者が作り上げた「勝者にとって都合の良い現実」です。ですから基本的に敗者は負け犬や卑怯者のように描かれるので、歴史の考察には注意が必要です。しかし歴史そのものを後世のヒトが都合良く書き換えているという側面も忘れてはいけません。むしろ、その方が危険なのです。
個人で対処するストレスには限界があります。立ち向かうべきものも確かに存在するわけですが、逆説的に言えば立ち向かう必要性の無いものだって存在します。苦労を美徳と思えばこそ、ヒトはストレス全てに立ち向かいがちになりますが、それが実は全くの無意味だって事になりかねないのがヒトのストレスマネジメントとしては実情と言えます。
時には病気の話題なんかも必要です。世界糖尿病デーに先駆けて糖尿病発症リスクになるであろうお薬に関して考えていきますね。お薬大好き日本人は実はヤバいのです。
ヒトは生きている間も死んだ後でも、何某かの感情的な意味合いを求めています。それは哲学でありながら感情でもあるので、時に感情の側に偏ってしまいます。何がいけないの? と思うでしょうが、そう思ってしまう事こそ最大の問題点だったりします。
ヒトは共感の中にこそ生きています。しかしそこを利用して集団心理を暴走させたり、意図する結論へと全体の意識を導く事も可能な点を疎かにすべきではありません。批判的な感受性を持つ事が重要ですが、それは対象を理解する事から始めないといけないので容易ではありません。
人口減少は先進国に間違い無く起こる問題の1つです。子育てのコストが大きくなり過ぎるというのが最も大きな理由ですが、それ以外にも日本には日本だけの理由があります。それこそ高度経済成長期の成功体験だけを信じて生きてきた世代による、それより若い世代への教育の放棄であると言えます。
ヒトは草食動物だから炭水化物の 消化に特化している。特に日本人は腸が欧米人よりも長く炭水化物に特化しているのだ、という意見があります。まあそもそも欧米人の方がデカイので腸の長さは相対的なわけであり、日本人が単なる胴長である理由に過ぎないわけですし、野生下で甘いものを、特に高度に精製された炭水化物を
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