運動したくないけど、やるならどんな運動がいいだろうか考えてみる。
運動は嫌いです。より正しくは運動しているデブの身体を見た他人からの視線が嫌になるから嫌いです。それほどヒトはヒトの事を見てはいないものですが、デブであることで失笑された経験のある身からすれば、没頭できない運動はしたくありません。しかし運動が重要であることは既に分かっています。それは痩せるための直接的な手段ではなく間接的な手段であることも。運動の健康増進効果を考えて、いつか運動をしっかり行うと決めた時の為に知識を深める回です。
運動は嫌いです。より正しくは運動しているデブの身体を見た他人からの視線が嫌になるから嫌いです。それほどヒトはヒトの事を見てはいないものですが、デブであることで失笑された経験のある身からすれば、没頭できない運動はしたくありません。しかし運動が重要であることは既に分かっています。それは痩せるための直接的な手段ではなく間接的な手段であることも。運動の健康増進効果を考えて、いつか運動をしっかり行うと決めた時の為に知識を深める回です。
アメリカの食事療法ランキングでケト・ダイエット、つまり糖質制限食がライフスタイルの難しさや制限の厳しさなどから継続性に欠けているから長期的なダイエットには向いていないという発表がありました。今回は海外でのダイエットの意味から、なぜライフスタイルに定着できるかどうかを重点に置くのかという点を考察していこうと思います。
逃げるなんて弱いとか逃げるなんて下らないとか言われます。確かに「現実に立ち向かう為に現状の困難から逃げる」事以外の「逃避」が多い現代ですから、逃げることで解決しない事は多いでしょう。しかし過労死や長時間労働あるいは違法な残業などから逃げずに死んでしまったヒトたちは弱かったのでしょうか。凶器を持ち腹に突き刺してくる異常者の言い分を鵜呑みにするのはおかしいでしょう。今回はそんな「異常者」から逃げるための逃避の話。
糖質制限はカロリー制限ではないし、カロリー制限は糖質制限ではない。ですがこの2つは元々同じ事実を異なるアプローチで理解しただけの違いしかないものです。カロリー制限が非常に大きな枠で囲われた理論だとすれば、糖質制限とはカロリー制限の1つのカタチでしかないわけです。つまり多様な食事法の1つという大きな事実の前ではこの2つに大した違いは無いわけです。
糖質制限を始めて1年が経過しました。半年を過ぎた辺りから焦燥感が薄れていったせいか体重は横ばいなわけです。そこんところはもうちょっと何とか気合を入れてやり直さなくちゃいけないなと思いつつも、今に至るわけです。今回は11月の健康診断以降に始めた分子栄養学のメガビタミンによる成果を確認しようという事で血液検査をしてみました。といっても今回の血液検査は病院ではなく自宅採血キットを使用したフェリチン測定です。病院に説明してフェリチン測定するのは億劫だという方には良い手段だと思います。
学校給食は糖質まみれで子どもたちにとって危険です。昔リンさんも言っていました。がしかし、最近ふとある事に気づきました。それは学校給食のイメージが自分が経験した頃のイメージで固まっていないだろうかということです。そんな方法論ではノスタルジーで理想を語る老害オジサン以外の何者でもありません。今回はその辺を考慮して考察していこうと思います。
食欲を抑制する手段を求めて幾星霜。星の瞬きほどの挫折と絶望の中で手にした真理はあまりにもシンプルで頼りないものでした。しかしこれこそ現代人の抱える慢性病の特効薬となりうる考え方。そもそも痩せているヒト、太らないように体重管理を行っているヒトであれば誰でも行っている当たり前の手段。染み付いた食欲を削ぎ落とす戦いは今始まったばかりなのです。
幸福の感じ方には個人差があります。そしてその個人差を性差として考えると男女感での違いが見えてくるわけです。生命体として完全体に近いのは女性であり、その女性からある程度「機微」というものを削ぎ落とした結果生まれたのが男性です。今回のような幸福の感じ方の違いを示した研究結果が出るとやはり男性の生命体としての不完全さやお手軽さが際立つな~と思ってしまいます。まあ、不完全だからこそ男性としてどのような意義ある人生を歩めるかどうかを考える事に意味があると思います。
アーモンドがいいよ。くるみがいいよ。マカダミアがいいよ。ピスタチオがいいよ。ナッツはミックスナッツがいいよ。いやいや今のトレンドはピリナッツでしょ。とまあ色々な話を聞きます。ナッツが健康に良さそうだという事は今や常識ですが、抑えておくべきは健康効果ではなく食事への取り入れ方であるとデブに対して警鐘を鳴らします。ナッツは「おやつ」ではなく「食事」として取り入れましょうね。
食品の安全性、特に砂糖についての問題について検証したオーストラリア発のドキュメンタリ映画「あまくない砂糖の話」が日本で公開されたのが2016年。それから2年。たった2年でオーストラリア医師会が砂糖摂取への強い懸念を表明するという出来事が起こりました。世界的に問題視されるようになっている砂糖摂取と日本の糖質制限。何故海外は精白した砂糖を問題とし、日本では精白穀物も糖質として問題とするのか。今回の声明の内容を紹介しながら、そういった事も考察していきます。
電車などに女性専用車両が存在するように、世の中にはある特定の人種に対して特別に設けられた言い分というものが存在します。そしてそれはダイエットに関しても例外ではありません。ダイエットと言うと体重減少を至上解とする生活習慣の事と思われがちですが、その中でも一般的な標準体型から更に絞りたい、ちょっと体重増加したから落とさなきゃ位のレベルを対象としたものと、自己管理不足のデブ専用のものとが存在します。この辺りに糖質制限が笑いの的になる理由がありそうです。
糖質制限を始める多くの方は、糖尿病に罹患した、肥満を解消したいという理由からだと思いますが、今回はそんな肥満人口よりもマイノリティな人種「太りたいのに太れない」方向けに記事を執筆します。リンさんは肥満だったので不健康なまでに痩せているから太りたいという方の気持ちを理解することはおそらく不可能ですが、肥満と痩せすぎは根本が同じコンプレックスであると思います。
良い香りでも匂いすぎれば臭くなり香害、臭いニオイは当然の事ながら臭害と呼ばれてニオイをエチケットとして気にするヒトは増えています。そんな中、リンさんが目指すは無臭男子です。糖質制限、シャンプーレス、洗顔レス、ハンドクリームレス、リップクリームレス。ありとあらゆるスキンケア化粧品を日常から極力無くしていく奮闘記です。
ハエが世界を救う。どこかニセモノ預言者のような言葉に「ヤバイ匂い」がプンプンし始めることと思います。現在の飼料不足、将来の食糧危機を含め人類の未来を明るく照らすのがハエであると、リンさんは言っています。雑学程度に受け止めていただければいいのかな、と。妙な事を本気で考えるのは意外と楽しいものです。
食事はゆっくり食べましょう。よく言われる事ですね。ゆっくり食べることのダイエットへの有効性は証明されているので疑いようが無い事実ですが「ではどれくらい時間をかければ良いのか」という話はされませんね。これが言及されない理由はおそらく「ゆっくり食べる時間」を日本では絶望的に取れないからだと勝手に憶測してみたり。
喫煙者が語る世界の多様性とは非喫煙者の我慢の上に成り立っている世界である。もうこの事実だけで喫煙者の正当な権利という主張は崩れ去ってしまいます。いつまで被害者意識で人権を訴えるのでしょうか? 最低限守って欲しいルールにすら気づかなかった喫煙者へ向けられる健常者からの呆れが今の喫煙者の肩身の狭さに繋がっています。
糖質制限では果物NG食材みたいな扱いですし、実践当初はリンさんもそう思っていましたが、今は最終のトータル糖質摂取量をコントロール出来れば「たまに」食うくらいいいんじゃね? と思っています。もちろんがっつり糖質摂取量を抑える断糖なぞ実践していると食べられませんけどね。ま、お菓子食うよりずっとヘルシーですよ。
足るを知るとは素晴らしい言葉です。この考えに基づき生きることはヒトの豊かさを享受できる人生であるといえると思います。ですがその素晴らしさから言葉尻だけを捕まえて相手を都合よくコントロールするために使う輩も後を絶ちません。足るを知るとは心の在り方であってヒトに強いられる類のものではありません。
日本人の6割は糖質摂取で太る事は無い。これが事実ならば、その差異はどこから生まれるのだろうか? 日本人の糖尿病発症時の平均BMIは24である。これが事実なら糖尿病と肥満を関連付ける理屈はどのようなものが考えられるのだろうか? 情報を発信してくださっている「カシコ」の皆さんから集めた知識を総動員して考えます。
糖質中毒って言葉を聞くと「中毒じゃないわ」という反論もあります。しかし日常生活に当てはめて考えてみると如何に「甘い」が「美味い」になっているかが分かります。今回は糖質の持つ中毒性に関してどれだけ自然に甘みが日常に溶け込んでいるのかを考察します。
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