真社会性のアリ社会と社会主義崩れの日本社会




おはようございます。リンさんです。

自分が1番じゃないと気が済まないのは自己肯定感の低い自己愛型と呼ばれるわけですが、人生において自分を1番に考えないとストレスが溜まってどうしようもなくなるのも事実です。

この2つの明確な違いといえば他者への貢献を慮る感情です。とはいうものの、それは他者に共感するチカラと言った方が認知しやすいのかもしれません。

ヒトの悩みは人間関係から発生しますが、もっと大事な事はヒトの幸福こそ人間関係から生まれるという事です。

他人の至らない部分にばかり目を光らせているヒトが少なくとも幸福そうには見えないように、ヒトとの関わりというものを軽視し孤独を演出するのはダメって事です。

働き者ばかり……というわけではないのに機能するアリの社会と機能しなくなるヒトの社会

とにかく欠落してしまいがちな思考ですが、それなりに知識を高める人生を送ってきたヒト以外というのは自分の国だけではなくよその国の事も鈍感なものです。

東京などの大都市で若者に日本地図を見せて●●県はどこでしょうとか、世界地図を見せて●●という国はどこでしょうみたいなクイズを昔のテレビではやっていましたが、あれと同じ現象はどの国でも起こり得るものだと言えます。

日本人はとにかく自分をバカだと思っていない以上に、他の国のヒトにバカなどいないと思い込んでいます。

しかし当たり前の話ですが、学校でも会社でも社会でも所属する場所でバカを見つけようと思えば割と簡単に見つかる事を勘案すれば、どこの人間社会でお国柄が変わろうとも、このバカの比率自体は変わらないはずです。

自分達の事は知ってもらっているし、歴史的に見ても分かるはずだからわざわざ説明する必要も無いというのは、如何せん頭良いを通り越してバカの発想だと言わざるを得ません。

民族的意味合いも歴史的背景も他の国から見ればどうでも良い事なわけです。今現在を主張できない事で日本は外交的に終わっていると言えます。

高度経済成長期、無言で先進国と肩を並べた日本は世界から見れば脅威でした。しかしその後の失われた10年において経済政策は失敗に終わり、以降の改善も行われなかった結果、日本は経済的に終わっている国としか写っていません。

「労働力」としてのマンパワーだけが求められ続けた結果、労働生産性も非常に低いものとなってしまいました。

社会に貢献する事や他者を尊敬する事、年長を敬う事といった儒教的な考え方の表層だけを掬い取ったような美徳だけが残り、自分よりも年下であったり社会的キャリアが短いといったものによってヒトの優劣が決められるような薄ら寒い状況です。

物事の基準が「社会機能の維持」だけとなり会社という組織もその流れに従っています。

社会機能が正しく稼働していれば個人の生活や幸福は充足できるというのは社会主義的思考ですが、資本主義による富の不均衡と美徳のみでヒトの優劣を判断する状況が加わった為に日本の社会は社会主義崩れであると言えます。

ヒトの社会は主義主張で国のあり方というものが変わります。立場を明確にせず自らの主張をしてこなかった日本は現代において空気感のような扱いになっているというわけです。

さて、ヒトの社会ではその機能を果たすことができないと言われ20世紀に廃れてしまった社会主義ですが、所変わって生物界では結構統制の取れる制度であると言えます。

真社会生物と呼ばれるアリやハチなどは女王を中心とした社会集団を形成しています。彼らは女王の為に生き、女王の為に死ぬ生活を送っています。

これを現代日本に置き換えると会社のために生き、会社の為に死んでいくといった具合ですね。ひと昔前の話のような感覚を持ってしまいますが、今でも結構な頻度で存在はしていると考えられます。

安定的な生活というものを担保にして労働力を確保しているという事ですが、裏を返せば給与も賞与も休日も何もかも会社都合であるというだけの話です。

会社=安定の方程式は崩れていっていますから、この方式でやっていこうとすると多くの会社が倒産していく事でしょう。その後に残るであろう強い力を持った強権的な会社が質の悪い事をしないといいけどねっていうのが今の正直な感想です。

何故、会社は安定しないのか。アリの社会と違いヒトの社会は商取引で成り立っています。

お金とは本来価値の無い紙です。しかしそこに価値があると皆が勘違いする事で効力を発揮しています。これが資本主義の根幹部分になるのですが、社会主義とは相性が悪いと言わざるを得ません。

社会主義とは富の均等な分配に始まり、全て平等に意味のあるものでないと機能しません。

社会主義崩れの日本では、働いていないのに高給取りのオジサンというのが存在しています。これは許されませんね。

しかしアリの社会では許されます。働く者、働かない者全て平等に意味のある生き方だからです。それを証明するように働き者のアリをある程度間引きすると働かなかったアリが働き出します。

ヒトの社会では、働かないオジサンが業務を円滑に行う為のセーフティであると考えることが出来ません。そしてそれは間違ってもいません。

いざという時の余剰戦力を確保しておくことで生存競争を生き抜いているわけです。

しかしヒトの社会では終身雇用で大量雇用した時代の名残からオジサンを退職に追いやる事は難しく、更にコストカットとして戦力の補強が成されないまま若者に負担を強いる会社の構図が浮き彫りになっています。

つまり前提で躓いているから結果は総崩れになるわけです。

今度からニュースなどで政治家や経済学者、経済界の重鎮などが経済や雇用について話しているのを見た時は、彼らはアリの社会を考えながらものを言っているだけでヒトの社会を見ているわけではないんだなと思うと、言っている事の意味が何となく分かってくると思いますよ。

物事を斜めから見てみようというお話でした。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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