おはこんばんにちは、リンさんです。
依存症としてゲーム障害が認知され、世界保健機構(WHO)もその定義を最近発表しました。
子供たちの教育に関して良くないとする風潮の意見を後押ししているような印象を受けますが、実際の所WHOが定義しているのは「日常生活に支障が出るほどにゲームに依存する可能性がある」という点です。
さて、このゲームという単語を変えてしまえば色々と他のものも成り立ちますよね。お酒、タバコ、ギャンブル、薬物などなど。
つまりこの世でヒトの快楽を適正に刺激するものなど存在しないという事です。危険視して近づかせないだけの行為こそが、そういった依存の危険性を認知できない事の温床になってしまっているという側面もあるかもしれません。
だからと言って適正に刺激を欲しましょうとは難しく、しかもギャンブルや薬物などは手を出さないという選択肢こそが当たり前です。
では、どうすればよいのか。最も根本的なものに行き当たれば、食事を見直し栄養を充足させる事で健康レベルを上昇させ、メンタルに関しても向上させる事でしょう。
「人生に必要無い」くらいに意識を変えない限りは依存というものは一生付きまとうと言っても過言ではないですから。
とは言うものの依存と呼ばれる状態にならない程度には関わっていくしかないわけです。そうなると「忌避」を基本教育としている姿勢には疑問が生じるんですけどね……。
リスクを相対化してみると食事療法に取組みやすいかもしれない

最近では糖質制限は危険だという論調も控えめなものになっています。もちろん、相変わらず危険だとする記事を目にする事もありますが以前のようにハードな否定ではなく「糖質制限よりもずっとこっちの方が優れていますよ」っていうようなソフトな路線になっている印象です。
全世界に存在する糖質と呼ばれる物質の存在意義を否定する糖質制限はそれだけ聞くと実に過激な食事法のように感じます。
しかしまあ和食が脂肪を極力摂取しない食事法であるのと同じだろう程度の認識な方が精神的なハードルが低くなります。
二の足を踏む理由は他にも色々あるでしょうし、そういったものを踏み越えるには「常識」をぶち壊せるだけの衝撃的な転機ってやつが必要になるのかもしれません。
軽めにロジカルに考えて、食事を変えるというのは意識や印象を変える程度の労力は必要になります。そして食事を変えるというハードルが「今のままが良いかもしれない」という感覚に由来している事を鑑みれば現状と食事を変えた結果を双方考えるという事が重要になってくる気がします。
ではまず糖質制限なり何なりの食事療法を考える際に、それを実行するのを踏みとどまる理由は何でしょうか?
それは端的に言って未知のものであるという不安が勝ります。今まで普通だと思っていたものを否定して新しい事を始めるのには抵抗があるものです。
また今まで問題が無かったからこれからも問題が無いだろうと考えるのも人情ですし、科学的に考察しても「大抵の」ヒトにとって食事を変えても変えなくてもそれほど問題が発生しません。
それに食事を変えて病気のリスクが高まるかもなんて言われるとヒトは不安になるものです。
これらの心のハードルを越えない限り食事を変えるのは難しいわけです。そして多くのヒトは食事を変えない理由は懸命に探しますが、現状の食事に関して何か問題があるかどうかの考察は行いません。
相対的に考えなくてはいけない問題を主観で考えてしまうわけです。
それでは従来の食事の問題点を考えてみます。
食事は心身の健康を維持するものです。つまり結果としてどういった問題が今の日本人に横たわっているかどうかの最も大きな原因が食事であるといっても過言ではありません。
日本では難病になるといった難解な話よりも身近なものがガンです。
現代は2人に1人がガンとなり、3人に1人がガンで亡くなっています。
つまり今まで通りの食事を行っていたところでリスクの管理が出来るわけではないと言えます。
ガンにならない食事というのは無理がありますが、栄養を充足させる食事がガンを抑制する事は事実です。
問題はどういった面から栄養学を紐解くのかというだけの話であり、菜食で健康になれると信じているヒトもいれば、糖質制限で健康になれると信じているヒトもいて、更に今まで通りが最も日本人に適しているから大丈夫だと信じているヒトもいるわけです。
最終的な判断は自分自身が何を根拠にするかにかかっていますから、何をするのかは自分で決めて自分の健康は自分で守りましょうって話になるわけです。
ただまあ病気になるリスクそのものに大差が無いのであれば、現状のままでいいかもしれないし良くないかもしれないといった不安は持っている必要の無いものだなと考える事が出来ますよね。
最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。
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