いわゆる現行の栄養学




おはようございます。リンさんです。

情熱ってヤツは継続している事柄に関して発生するものです。つまり続ける事が出来ないものには情熱など生まれるわけ無いってことです。

これが特定の分野を好きになるという事の大前提で、何かに夢中になるというのは若い脳の特権だったりします。脳が老いると刺激よりも予測を重視するようになり、予測した結果と実際に起こる結果がそれほど変わらないと感じるから刺激を感じなくなります。

しかしこの順応とも言うべき反応も考えもので、そもそもヒトのする予測とは全て経験から導き出されるものでしか無いので、ヒトの想像を超える事がありません。その予測を信じて実際に起こるであろう結果に対する刺激を求めないというのは困った志向だと言えます。

刺激を求めるというと、どうも大人になるほどイケない事だと思うのですが、刺激の無い予測の出来る人生を歩む事を安息だと思っている事は既に生命体としては劣化しているとも言えます。

ま、要するにゲームしなくなったな~という個人的な考えを哲学的・人間学的に書いてみたかっただけです。本当はすごくゲームしたいのに、予測した上で刺激がそこまででも無いという評価をしてしまっている自分の問題なんですがね……。

カロリー主軸の栄養学が抱える学問としての矛盾

ヒトの身体に関わる事は時代と研究によってドンドン更新されている分野の学問です。特に近年では人体の代謝反応に関する学問・生化学や人体にどのように機能し身体を構成するのかに関する学問・栄養学に対して大幅な見直しが発生しているわけです。

糖質制限は生化学や栄養学において糖質の問題点を新しく取り上げたもので、糖質摂取に関して慎重になりましょうという考え方です。

とは言うものの、糖害というものは利益と害悪のバランスにおいて人為が非常に多く関わっているので、ヒトによって意見が大きく異なるのも事実です。

ヒトの身体で起こる反応に関する事だけを論じていても未だに全ての学問は人体に関しての正しい解答を出せていないのに、そこに思い込みや勘違い、過去の慣習を尊重しすぎる事で歪みが発生してしまっているからです。

というわけで経験が利益を生み出す状況というのは確かに存在するわけですが、それは個々のケースバイケースの話でしか無いので、学問としての栄養学にとってそういった経験則や慣習で物事を語るというのは実にヨロシクないわけです。

ですがそのヨロシクないはずの状況でも、経験則を優先した理論構築を行うヒトがいて、そういったヒト達がカロリー主体の栄養学を古典的なものにしてしまっています。

現行の古典的な栄養学で問題が無いヒトであればそれでいいのかもしれません。しかしそれで問題が多く起こるようになってきたのに、物事に関する考え方に新しい軸を見出せないのは問題です。ここでは現行の栄養学が抱える問題点を考察していきます。

① カロリー摂取の60%は糖質から

現行の栄養学では人体のエネルギーはカロリーとして考えられます。カロリーは人体でエネルギーにそのままなる訳では無いのですが、それでもこのカロリーの考えは単純で分かりやすいですし、歴史も長いので浸透しているわけです。

現行の栄養学ではカロリーを摂取する事で人体の維持に必要なエネルギーとなると考えられています。その中でも1日の活動に必要なカロリーの60%は糖質から摂取するというように決められています。

この数字の根拠はいくつか存在しているのですが、最新の研究による栄養学ではその全てが否定されています。つまりこの時点でカロリーを主眼においただけの栄養学には非常に大きな問題があると言わざるを得ないのです。

既に否定されているカロリー主眼の栄養学ですが、1日の摂取カロリー内の60%が糖質という考えの根拠は2つあります。

①-1 1950~60年代の食事内容が基準

1日の摂取カロリーは大体2,000kcal程度です。このカロリー摂取基準そのものが1950~60年代の食事を参照しています。

さて、1950年代というと日本人の食事は白米が主体でした。貧富の差はあったので大根の方が比率として多いコメを食べていた田舎もあったでしょうが、それでもコメ食だったのは間違いありません。戦後復興の一環として農業用地を確保してコメの生産が安定していったというのも大きな理由です。

そして、この時代はスーパーもコンビニもありません。日本人は自分達で育てたコメや野菜を食べる生活をしていたと言えます。当然、そうなると食事における糖質摂取量は比率が自動的に大きくなります

ここ結構大事なのですが、主食であるコメが糖質である事は最近では誰もが知っている事実です。そしてこの時代に多く食べられていたであろう野菜も糖質であるという事も忘れてはいけません。

たんぱく質は山間なら大豆、海沿いなら魚といった具合だったでしょうから、肉はまだ普及していませんでした。ジビエスタイルの肉食は存在していたかもしれませんけどね。

この時代に糖質主体の食事でも問題が無かったのは、統計が無いという理由以外に考えられるものとして食事内容が理に適っていたという事と現代と比べ物にならないほどの労働量があったという事です。

①-1-1 生活習慣の今昔

過去の日本人がしていた食事だから、そのまま続けても問題ないんですよという論調をしてカロリー主眼の栄養学を擁護するのはナンセンスです。その食事をそのまま続けている結果、他の要因が重なり問題が浮き彫りになっているという意識を持たないといけません。

確かに、現行の食事法で問題が起こっていないヒトが無理矢理食生活を変える必要は無いと思います。しかしそれが全ての日本人に適用され、全ての日本人は糖質制限なんてする必要は無いという話は論理的な飛躍どころか着地点までワープしているようなもので、荒唐無稽でしかありません。

植物油脂、異性化糖、運動習慣の低下など、色々な要因が重なり今の問題が起きています。今のままで問題が無いと考えるヒトは、問題が起こった時に問題を抱えたヒトの側の責任しか考えませんし、昔のような食事にすれば何でも解決するという論法しか行えません。

これだけ利便性が高まり、何でもかんでも揃うようになった現代で文明を捨てなさいというレベルの解決策を平気で提示する事には問題を感じるべきです。

①-2 脂質摂取による心臓疾患リスク上昇という研究を受けた結果

脂質摂取により心臓疾患リスクを高めると発表した、いわゆるマクガバンレポートは近年の研究で否定されました。

脂質、特に動物性脂肪を忌避し健康食品を世の中に多く出したにも関わらず心臓疾患の患者数は減らないどころか増えてしまったからです。

というわけでこのマクガバンレポートは否定される運びとなりました。この否定を持って糖質まで否定する論者もいますが、それはまた別の話であると考えます。

①-2-1 植物性脂肪と動物性脂肪

動物性脂肪の代替品となった健康食品とはいわゆるヘルシーな低脂肪食品でした。低脂肪食品とは動物性脂肪を除去し作られる食品の事です。こういった食品は風味が非常に悪い為、それを改善する為に糖質が添加されることになりました。

ヘルシーな健康食品は糖質を大量に添加した食品であるとも言えます。その為、大量の糖質摂取に関して耐性の低いものは問題を起こしますし、それでなくても糖質だけが摂取量を増大させるという結果になります。

この結果、起こった事は心臓疾患リスクの低減では無かったわけです。これにより起こったのは深刻な幼児期からの肥満傾向の増大、心臓疾患リスクの憎悪、そして糖尿病の増加です。

糖質も大きな問題と言えますが、動物性脂肪の摂取量を減らし植物性油脂をメインに摂り始めた事も大きな問題となりました。植物から自然圧搾により作り出した油ではなく、科学的な加工を加えた油がメインとなったからです。

こうして現代に大きな問題を起こす2つの物質が誕生しました。それこそ異性化糖と植物油脂です。異性化糖も植物油脂も取り過ぎは非常に大きな問題になります。

ですから控えめに言っても、動物性脂肪を摂取する代わりに植物油脂を摂取するようにしてもトータルのリスクはそれほど変わらないと言えるわけです。

② 油はカロリーが高いので控えるべき

カロリー主眼の栄養学で考えると多様な食材から多様な栄養素を得ようと考えた時、カロリーの高いものは控えないと多種多様な食事を実現できません。ですから脂質の摂取は制限される傾向にあります。

しかし持っているカロリー以上に栄養価に優れている食品は存在しているので、カロリーのみを評価基準にするとそういった栄養価の高い食品の存在を軽視してしまう事になります。これについては糖質制限も似たようなもので、糖質に固執し過ぎると糖質含有量がそれほど多くなく他の栄養価が高い食品を見逃す事になるわけです。

栄養が身体でどのような反応を起こし、その反応を起こすのに必要な物質を満たす為にどのような食材を摂取する必要があるのかを考察する事が大事ですし、それこそ栄養学と呼べるものです。

しかしそれをホルモンバランスの面から考えるのか、単純に代謝反応の面から考えるのか、それとも別の視点から考えるのかでやり方は異なります。

更にどれだけ栄養素を満たそうが、カロリーの取り過ぎは栄養素の摂り過ぎに繋がるので太ります。太る以外のリスクを背負うかどうかの違いはありますが、太るという事を危険視するのであればカロリーは注意しなければいけません。

カロリーだけで物事を考えるよりは別の視点を持っていた方が、カロリーに捉われすぎないのでストレスは少なくなります。

③ 脳の唯一のエネルギー源はブドウ糖(糖質)

脳はブドウ糖をエネルギー源として活動しています。脳のエネルギー源はブドウ糖だけなので、ブドウ糖を摂取しないと脳がまともに働きませんよ。

こういった事を言うヒトがいます。これを否定するのは特に難しいといえませんが、理解が異なるので言っている事が似ているのに結論が異なるという結果になります。

脳は確かに重要な臓器です。そしてヒトの臓器には全て何重にも張り巡らされたセーフティが存在します。人体の臓器とは全てが1つの能力に大幅特化した専門家集団です。ですから脳がチームとして稼動できるように統括しています。

近年では腸もこの統括機能を持っている事が分かりましたが、チームとして活動するのにたった1つのルートがダメになり機能しなくなるというのは実に都合が悪いからです。

さてそう考えた時、最も重要な臓器である脳の機能がブドウ糖が供給されないだけで断絶されても大丈夫なんでしょうか? そんなわけありませんね。もしもブドウ糖だけが脳の機能を維持するものであるのならば、長い歴史の大半を飢餓で過ごしてきたヒトは一体どのように生き延びたのでしょうか。

飢餓に強く生き残る事に特化しているので、人類として唯一残ったホモ・サピエンスなのに、ブドウ糖がなくなるだけで脳が飢餓に陥るとはどういう事なんでしょうか。

そう考えるとおかしい事に気付きます。もちろん、脂質がエネルギーとして使えると聞いても「ブドウ糖だけが脳のエネルギー」だというヒトはそれに答えません。

「飢餓状態では脂肪と筋肉を分解するんだ。それでブドウ糖を生み出す」と言い張ります。いやいや、それでは生き残ってきた理由を答えていません。

飢餓状態であるにも関わらず体脂肪や筋肉は何故蓄えられたのでしょうか。そしてそうやって蓄えた脂肪を何故わざわざエネルギーとして低い糖質に変えて脳に届けるのでしょうか。脂質のまま脳に届けたほうが効率的ですよね。

何より脳を維持するために筋肉を解かしてまで生きる事が、この飽食の時代に日常的に起きるのかどうかという事も問題です。

つまり、カロリー主眼の栄養学ではこういった起こり得る状況や疑問に関しての答えが無く、カロリーが必要・ブドウ糖が必要という前提の下に話を展開している事が多いわけです。

もちろん脳の唯一のエネルギー源がブドウ糖なわけではないです。脳はエネルギーを必要とするので、エネルギーを当然確保する手段を複数持っています。そして、脳は脂肪から作られるケトン体もエネルギーにする事が出来ます。

ブドウ糖がエネルギー源の主体であるというのであれば、主体である理由を説明しなければいけません。

まとめます

カロリー主眼の栄養学は運用する上で問題が多いものです。それの最も大きな原因は、固まっている理論に合わせて時代や物事の変化の理屈を理解しようとする為であり、元々あったものに対して新たな理解を深められないせいです。

そして、そういった事が出来ないものというのは古臭く時代に即さないという理由で淘汰されていくものです。しかし、カロリー主眼の栄養学はそうなりません。

これはヒトの社会を構築する常識に大きく食い込んでしまっているせいです。常識に食い込んだ理論を否定するのは難しいものになります。多くのヒトが信じるものが多くのヒトにとっての真実だからです。

ですがそれは共感を主体とした相手への心情的な理解なので、科学的根拠は全くありません。栄養学は少なくとも科学によって語られなければいけません。そして、その科学が自分に当てはまるかどうかという所から考えなければ自分自身の健康状態を理解する事が出来なくなります。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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