ヒトは勘違いによって社会を形成し、勘違いによって冷酷になる




おはようございます。リンさんです。

にこるんこと藤田ニコルさんが香川県の農産物のCMに出ています。地元の琴平電鉄の車両もにこるんバージョンがあったりするわけです。

しかしリンさん的ににこるんは昆虫食のヒトです。徳島でコオロギを食べて欲しいと思ったりして……。

自分に不幸が降りかからないと信じている

ヒトは平等な社会を夢見ています。公平な社会の中で平凡な人生を送る事こ幸福とするようです。確かにソレは幸福を感じる生活でしょうが、平等な社会とは実際のところはそうともいえない現実が待っています。

心理学的な勘違いを起こしてしまうという点で平等や公平などの価値観は非常に危ういものになります。これらを追い求める江理想が危険というわけではありません。平等で公平な社会である事が前提であると信じているあるいは常識的に信じ込まされている事が危険なわけです。

ヒトは誰かの不幸を目にした時、自分はそうはならない。自分に降りかかる事は無いと思います。これは心理学的に社会が公平だという認識から起こるとされています。

どういう事なのかというと、社会は公平に平等になっているという考え方の中では不幸に見舞われたヒト = 罰を受けているヒトという認識になります。突然の不幸というものに見舞われるのは不可抗力です。

しかしヒトはそれを不可抗力だと思いません。それを認めてしまうと自分の身にも起こる可能性があるという事を認めてしまう事になるからです。これから起こるかもしれない恐怖や不安などの予期不安を非常に嫌がるわけです。

ホラー映画が怖いのもそういった理由からですし、ホラー映画で死ぬような軽くてチャラいヤツが怪物にやられても「自業自得」と結論付けるのもそういう理由なんですね。

それがフィクションの世界だけで通用させるだけの常識であるならそれは予定調和やお約束と呼ばれるものです。しかしこういった勘違いは基本的に現実社会でも一緒という事実を含んでいます。そらそうです。現実を抜き出してフィクションとして成立させているのが我々に提供されるコンテンツなわけですから。

①一生懸命を笑う風潮

一生懸命やっているヒトを笑ってしまうことって無いですか? これも予期不安を嫌う傾向から発生しています。

現状を打破しようと一生懸命頑張っているヒトというのが、見方によっては不幸な現状から逃げようとしている風に見えるという事ですね。

しかし現状を打破しようとしているヒトというのは、自分が今不幸だから頑張るというモチベーションでは動きません。当たり前の話ですが現状を変えようと思うという事は、現状の不幸を嘆くわけではなく未来の自分を思い描いているからモチベーションが続くわけです。

だからこそ一生懸命頑張っているヒトは笑われる事を気にしません。ですからこういった世間が持っている勘違いからのイメージ固定が問題になるという事がないわけです。

思い当たる節はありませんか? リンさんは子どもの頃に転校してきた相手の方言をクスクス笑っていた記憶があります。今こうやって文章に起こしてみても思いますが、かなりアホですよね。人間として正当な生き方と考えればクズであると言えます。

②犯罪被害者へ向けられる非難

こういった姿勢は犯罪被害者であったり、海外でテロ被害にあったり、性犯罪の被害にあったりという場面でも同様な事が起こります。それは被害者がどうのこうというよりも「平等な社会で罰を受けるのなら、罰を受けるだけの理由を被害者が持っていたから」という常識という名の勘違いがあるからです。

何の罪も無いヒトがそういった被害を受けるのであれば、自分だっていつそんな場面に出くわすのか分からないわけです。そうなると予期不安を嫌う人類はストレスに負けてしまいます。

予期不安に負けてしまう事がある。人類は公平だと信じているものが揺らぐとは思わない。こういった事を理解した上で物事を判断する事も非常に重要になります。

誰かの不幸に心を寄せる事は難しい事です。だからこそ出来るだけ、身近なヒトだけでも心を寄せて生きていけるように心がけたいものです。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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