日本はおかしな先進国




おはようございます。リンさんです。

youtubeやら何やらの動画配信やアプリなどが日常的なものとなっています。多くのヒトが好きな事を配信していて当たり前の時代ってわけです。

そういったものが日常なわけですから、配信者個人の考え方なども如実に繁栄されたような発言が物議を醸し出したり共感を生んだりしています。

古い時代的な考え方だと目の前に相手がいないとコミュニケーションは成立しないと思われていますが、実際のところネットワークの向こうには無数の相手がいて好き放題な意見を言い合っているだけのものから、密な情報交換を行っているコミュニケーションまで様々なものがあります。

そう考えると実は、目の前にヒトがいてもそこにコミュニケーションなど存在しない上意下達になっている部分にこそ目を向けるべきなのかもしれません。

コンバットプルーフ(実証主義)は機械などに求められるべきものであって、人間社会に求めるべきものではないわけです。

多様な価値観の存在しない社会を作り出す=日本のような社会になる

日本には独特の社会構図が存在しています。そしてそれを維持する為だけに新しく誕生する世代を食いつぶしている「オジサン」集団が存在している事が日本の諸問題の諸悪の根源であると考えています。

これがリンさんが思うオジサン問題で、1つの社会通念だけを重視した結果、他の何も価値を認められなくなった状態の事を指しています。

そもそもこのオジサンが生まれた経緯は戦後にまで遡ります。労働力としての人材を重要視した為に、国も企業もそういった人材が育つように求め続けてきました。

そうやって経済を立て直そうとする途中で高度経済成長が訪れます。そこで更に労働力が必要になり、この労働力としてだけの役割を求められた人材が増え続けていきます。

気付けば経済成長は終わりを告げ、経済的価値観を自分達で生み出さなくては立ち行かない先進国の仲間入りを日本は果たしていたわけですが、ここで問題が発生します。

日本には新しい価値観を生み出せる土壌が作られていませんでした。戦後すぐに企業を立ち上げた創業者の開拓精神は失われ、気付けば労働力として働いていただけの人材が幹部などの重要な席を埋めていたわけです。

彼らが求めたのはリスクを持って成長を狙う方針ではなく、リスクを回避し自分達の利益を確保する方針だったわけです。

かくしてここにオジサンが誕生します。

このオジサンを生み出すに至ってしまった時代背景や経緯が、資本主義や民主主義を理解しないまま巨大化した国家の問題点を生み出してしまったのです。

かつての経済大国は、経済の規模を拡大する事も出来ずに過去の遺産を食い潰して生き延びているだけの無味乾燥な国家になっています。

だからこそ、今の日本が抱える問題点を「そもそも日本が民主国家、資本主義国家として正しいのかどうか?」という観点から考えていきます。

日本という国家そのものが病巣を抱えている状態である事を理解できていないと、ストレスマネジメントの前提条件がおかしくなってしまいます。

変な国に住んでいるにも関わらず自分のほうが変なんじゃないかって悩むのは正直な話、しなくても良い苦労ですからね。

① 巨額の報酬を得るヒトを嫌う傾向

資本主義社会において富は2極化するものです。その富をどうするのかは国家内で決めるべき事ですし、それが共産主義的か民主主義的かは国によって異なります。

資本主義において富を得る者への視線は嫉妬と羨望になります。富を持ち合わせて悠々自適な生活を送っているという事はなんらかのビジネスで成功を納めている証だからです。

しかし日本ではこの辺りが異なっています。何故かお金を持っている裕福な相手となると悪い事をしたからお金持ちになったという認識が大きくなってきます。

いわゆる拝金主義だと断じてしまうようなやり方ですが、これには日本的勧善懲悪を好む民族性が大きく影響しています。

越後屋から金を貰う代官と、弱小町工場が世界に羽ばたくような商品を作り上げる物語は表裏一体です。

これには自らが労働力としてしか評価されず、新しいものを生み出す事が出来ない事へのジレンマが多少なりとも存在しています。

異質や異端を排除し、自分たちの善性を保とうとする風習は世界各地に存在しています。これもその1つであると言えます。

となると天皇という存在もそうではないのかって話をするヒトもいるでしょう。しかしそれとこれとは話が別なのです。

日本人としてというような事を考えた時に必要になる心の拠り所としての立脚点と、自分の現状を皮肉って他社の成功を妬むだけの不安解消が同じ視線で語られる事自体がおかしいわけです。

② 労働こそ社会への貢献だという認識

労働とは尊いものですが、人生を補助するべき位置に存在するものです。

しかし日本では労働は尊いもので、長時間働くことこそ正義であるという考え方が蔓延しています。

これは何でかというと、日本で言う労働とは生産性とは無縁の消耗されるだけのものを作り出す行為でしかないという事が大きな原因になります。

残念な事に日本では多くの労働が新しい価値を生み出すようなものではなく、その場で消耗されてしまうような仕事になっています。

満遍なくそういった仕事ばかりなので、年齢によって役職を与えて給料を増やす事でしか差別化が出来なかったわけです。

例えば海外ではシステムエンジニアは高給取りだと言われていますが、それは何ででしょうか?

 彼らがシステムを新たに作り出すという専門性の高い技能を持っているからです。

日本だと新しく物事を創造するというのはどこか芸術家じみた側面を持っているものだと思われがちです。

情報やサービスに多様性が重要であると理解しなければ新しく物事を創造する技能に価値を見出す事が出来ません。

そしてそういった技能とは、長時間働いて消耗品を作るような仕事とは真逆の考え方なわけです。

③ 自分の人生を生きる事の希薄さ

労働における尊いものが日本では特殊なせいか、そこにばかり価値を追い求めるヒトが大半になってしまっています。

そしてそれらの多くが「日曜日に掃除機のヘッドで小突かれているオヤジ」や「退職後にずっと家にいるから妻の機嫌が常に悪くて居心地の悪さを感じているオジサン」という結末を内包しています。

趣味を持てというのは中々シビアな現実問題を孕んでいます。

現代において趣味を持つというのは真面目に人生に取り組めよって意味なのかもしれません。

そう考えると、第2の人生を送りたいというのはなかなか揶揄されているなと感じます。

④ 多様な価値観を容認しない姿勢

かつて労働力としてしか機能を望まれなかった上の世代は、それだけが至上の価値であり、自分たちの世代こそが最高の価値観を持って生きていると思っています。

しかし情報が溢れてきた現代において、たった1つの価値観でしか育って来なかったという事は未成熟な社会を生きてきたという事でしかないわけです。

多様な価値観を持った社会の中で生きていくという成熟していく社会の中で、こういった考え方を拗らせてしまうと大変な事になります。

つまり全体を通して言える事は、日本は経済成長という棚ボタ現象があったおかげで先進国と同じような待遇を受けるに至ったが、実は社会的にも資本主義や民主主義といった抱える主義への理解度にしても未成熟でしたってお話になるわけです。

そして今、時代の過渡期において過去の価値観にしがみついている「未成熟」なオジサン集団が暴走しているわけです。

所詮は自分で生み出したわけではない価値観ですから、縋った所で劣化していくだけなんですけどね。

平成という区分の終わりと同時に1つの未成熟な世代が終わろうとしていますが、その終わり側の最後っ屁で下の世代が総崩れにならないようにしないといけません。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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