人類は恐竜と同じ滅びの道を歩むのか?




おはようございます。リンさんです。

テレビってコンテンツは面白いと思います。しかし最近では「見なくても特に困らない」という印象のほうが強くなっているんだろうななんて考えてしまいます。

ひと昔前まで特定のテレビ番組を見ていなければ話題についていけないなどの弊害もあったのでテレビはコミュニケーションツールとして存在していたわけですが、まあ今ではその感覚も薄れています。リンさんでもこれだけ意識が薄れているのですから、他のヒトもそれなりに薄れていると判断できます。

しかし「見る価値が無くなった」のと「見れる価値を提供できなくなった」というのは栄枯盛衰を感じてしまいます。技術が発展し物理的な豊かさが増せば増すほど、ヒトは生きるための面白さを社会から削っている。

社会を存続させる為のルールを厳密にする事で、社会は残ってもヒトが残る事が出来ないシステムになってしまっているのかもしれません。様々なものから多様性を奪ってきた人類は最後には自分達自身の多様性すら奪ってしまうのかもしれませんね。

恐竜は植物によって滅ぼされた? 人類は大丈夫?

恐竜の絶滅といえば約6500万年前に直径約10kmの隕石が地球に衝突した為に起きたと言われています。隕石の衝突は大気圏を覆うほどにチリを舞い上げそれが数ヶ月間続いたことで気温が急激に低下した為です。恐竜の絶滅は隕石衝突による悲劇だったというわけですね。

しかし近年では「どうやら隕石の衝突は最後の引き金ではあったけど、隕石衝突までに個体数を激減させている為に恐竜は生き残る事が出来なかったらしい」という研究もあります。

つまり恐竜は進化の過程で自然淘汰の波に打ち克つ事が出来なかったというわけです。自己の種を変化に適応できないものが淘汰されていく自然淘汰では、これはごく自然の事です。

例えばサーベルタイガーは力の強いオスだという事をアピールする為に大きな牙を有していました。しかし結果としてその大きな牙によって獲物を捕らえる事が困難になり絶滅しました。

パンダは氷河期の訪れによるエサの奪い合いで他の肉食獣に敗れ、竹を主食にする事で生き残る事が出来ました。しかし竹はカロリーが少なく大量にエネルギーを蓄える事が出来なかったのでパンダは冬眠という機能を無くし、年中竹を食べなければいけなくなったのです。

アホみたいな話ですが、これが自然淘汰というものです。自然の変化に対してたまたま適応できれば生き残れるけど、適応できなければ生き残れないという厳しいものです。

では恐竜にとっての自然淘汰をもたらしたものとは何だったのでしょうか? それが有毒植物の出現であったといわれています。

有毒植物と味覚学習機能

ヒトは既に自然の輪から外れてしまった異端児なので除外すると、この世で最も繁栄している自然に生きる種というとネズミであるといえます。ネズミが繁栄できている理由はいくつかあります。

  1. ヒトが大量に栽培する穀物がネズミの主食である事
  2. ネズミ算という言葉があるように繁殖力が異常なほど高い事
  3. 毒物を味覚学習できる事

生活圏を都市部にまで広めても全く問題にならないほどの適応力を発揮する種はネズミとゴキブリくらいのものです。今回は味覚学習という手段を動物実験によって持っていそうだなという事が分かっているネズミを対象に書いていますが、これはおそらくゴキブリも全く同じ機能を持っていると仮定できます。

それどころかゴキブリは自分の体内に飼っている細菌とのタッグが強力で、それによりいかなる疫病もウィルスも受け付けないらしいのですが、それはまた別の話。その細菌とのタッグを失っているのがシロアリというのもまた別の話。

話をネズミに戻しますね。

有毒植物の出現で恐竜が自然淘汰の波に飲み込まれたという話をしました。有毒植物により自然淘汰が起こるという事は植物の持つ毒性に気付かずに摂取し続けてきた事が原因であると言えますよね。

有毒植物の毒性に気付く能力。これこそ味覚学習能力です。ネズミはこの能力も優れています。

ネズミは新たな食物を発見すると少量だけ味見をします。そしてその後、何も問題なければエサとして認識します。具合が悪くなると味と臭いを関連付けてそれを避けるようになります。この能力を獲得している為に現代の都市部でのネズミ駆除は困難を極めるという事です。

体躯の小さなネズミは毒性のあるものを摂取したときに致死量が非常に低い。だからこそ培われてきた機能であると言えます。

反対に恐竜はどうでしょうか? 大きな体躯である程度の毒物なら致死量に至る事はありません。しかも有毒植物は今まで毒物と無縁だった恐竜にとって進化の考慮外の出来事だった事でしょう。更に巨大な体躯を維持する為に毒性が強かろうと弱かろうと大量の植物を必要とします。

このような悪条件が重なり恐竜は多少の具合の悪さを感じていたとしても植物を摂取せざるをえなかったと思われます。そしてそのせいで徐々に個体数を減少させていき、毒物の継続的な摂取で弱りきった所に隕石の衝突による強烈な環境の変化が起こったというわけです。

真に恐ろしいのは植物の生存戦略というわけです。

人類と味覚学習

植物とそれを食べる動物とは自然淘汰の競争相手です。それは植物がパートナーだと思い込んでいるヒトという種でも同じ事が言えます。どちらかというと植物は生き残る為にヒトの栽培技術を用いる事を戦略としたという方がいいのかもしれません。

遠い昔、ドクを持つ事で生存をかけた植物は相手をガチで倒すことで生存権を得ようとしていました。それが更に進化を遂げた姿が毒性の有効活用です。植物は糖質という動物が自然界で摂取するのが難しい物質をエサに受粉の手伝いなどをさせて繁殖の手助けを得るように進化してきました。

そして糖質を使うことで草食動物や昆虫とのバランスを勝ち得たわけです。毒性と糖質という手段を進化の道具として手に入れた植物とヒトが出会った時、植物はかつてないほどの繁栄を手に入れる事が出来るようになりました。

ヒトは味覚学習を持っています。しかしヒトは脳を大きくする事が出来ても、脳の原初の欲求を制御する事は出来ませんでした。植物の持つ糖質はこの脳の原初の欲求である快楽を感じる物質を分泌する少量のドクを持っていたのです。

もっと食べたいと思う人類が植物、特に穀物を栽培し始めます。これにより穀物は繁栄していきます。それは植物の生存戦略に人類がそのまま乗っかってしまったという事です。

そして現代になり、繁栄の極みを迎えた植物は遂に人類を滅ぼしにかかります。というよりも植物から得られる快楽物質である糖質を得ることだけに執心してしまったせいで、科学技術により大量の糖質を一気に摂取できるようになってしまった事が直接の原因ですが……。

このままでは人類は貧困に喘ぎ、肥満を患い糖尿病により滅んでいきます。その後の大地で繁栄する動物はネズミやゴキブリでしょう。しかしその裏で確実に生き残っている存在、それが植物です。

人類が植物の繁栄を築く為に科学技術を進歩させた道化のような存在であると後世に語り継がれるシナリオです。神輿軽くてバカがいいとは人間社会でも当てはまるものですが、実際は自然界の中でもヒトはバカな神輿として担がれているのかもしれませんね。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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