自主管理と投薬管理に求められるものの違い




おはようございます。リンさんです。

特にドクの無い話をしている自分に対して違和感を感じる時もあります。リンさん自身は世間を斜に構え何にしてもシニカルに物事を考える人間であるわけですが、それで相手に対応するという事は実に無意味であると知ってしまってからは、そうならないように気をつけているつもりです。

しかし「それでいいのか」という問いは常にあるわけです。その度に「それでいいのだ」という答えに辿り着くわけですが、定期的にこのような問いが頭を過ぎるので思った以上にストレスを感じているのかもしれません。

それでも相手がバカだからという理由で何でもかんでも否定するよりはずっと有意義な人生を生きているはずです。

深く考えても仕方ない問題ではあるとは思うので、深く考えないようにはしています。

求められる機能が違うから否定しても何にもならない

世の中には役割というものがあります。ヒエラルキーを作り上げ誰かのキャラを勝手に付ける事で問題を深刻にしてしまうような場合を除けば、物事には全てその役割を持たさないといけないわけです。

社会の存在するものには役割が存在し、その役割を全うする事で社会を機能させているわけです。その中でヒトがヒトらしく生きていけるようにするというのが理想的なわけですが、まあ中々難しいものがあります。

何故か社会システムを構築する機能としての部分をヒトに大きく求める事になっている社会構造が生まれているので、機能と人生のバランスが逆転しているのが現状なわけです。

人生を愉快にする為に仕事があり、仕事しなきゃ人生を生きていけないというのがヒトの本能として間違っているわけですが、そこを美徳や努力で何とかしなさいというのが好きな社会なのでそこに文句言っても変わりもしなけりゃ始まりもしません。

そこを悲観するんではなくて理解した上で何とか自分の中で処理するのが大事なわけです。

脱線はこのくらいにしておくとして、本題は社会が求める機能がそれぞれにあるから、1つの立場から否定しても他の立場から見ればその否定が実におかしな指摘であったりする事が多々あるという事です。

ヒトは理論に自分の足を立ててブレないように生きるものですから、時にその理論を否定するもの、その理論により否定されるものに対して非常に攻撃的な行動を起こしたりします。

そういった考え方自体は常にあるものですが、そこを危険だというと生ぬるいどっちつかずの意見を言っているという感じになってしまいます。つまりは双方に意味があるという事を認めてしまえば、自分自身が今まで信じてきたものの全てを否定されてしまったような気になってしまうからです。

攻撃的になる理由としては確かに十分なわけですが、それではいつまで経ってもその場所に居続けることになります。それは正直なところ、面白くないわけです。

① 投薬管理の意義

意義を常に問い続けないと面白くないわけです。そんな視点を持った時に、最初に目に付いたのが自分が理論優先で他の何をおいても理論と機能であるという事を至上としていた事でした。

基本的にそれは自分自身で求める尺度の話であり、誰かにこうしなさいという指針ではありません。しかし糖質制限によって自分の人生や健康が救われたのだという想いが、それを見えなくさせてしまっていたわけです。

社会に対してもつ機能と意義の中には特定の誰かへの利益などが存在する事も事実ですが、その点ばかりを挙げつらっていてはいけないわけです。

社会で機能するという事は必要な部分を持っているからです。

糖尿病治療における投薬管理もその意義を持っているわけです。確かに特定の誰かの利益になっている部分は大きいのですが、選択の容易さ、継続の容易さなどが社会において大事な機能だとすればその意義が十分にあるという事になります。

どの病院でもどの地域でも同様の医療を受けられる事を至上価値として日本の医療は拡大してきました。医療としての総合的な価値観を優先したので、多少専門性にかける部分があるのは事実ですが、どの地域でも同程度のレベルの医療を受けられる先進国というものは他にはあまり存在しません。

ある程度、地域による特色のようなものを反映しているのが普通だからです。ですから標準治療が普及している状態というのは確かに希少な社会機能であると言えます。

また選択の容易さは継続性の向上にも役立ちます。「それだけをしていればいい」というのは思考を停止させてしまうものかもしれませんが、思考する事だけが正しい価値を生み出せるわけではないわけです。

時には考えない事で生み出されたものが価値を生み出すという場面だってあるわけです。結局のところ、そこも自分自身の選択次第という事になってしまうわけです。

② 自主管理の意義

自主管理とは新しい考え方です。病気の予防や改善はそもそも自分自身の生活や食習慣を変える事が最も大事なものであり、その管理方法は個人の思考と選択によるものですから自主管理されるものという意味で、こういった呼び方になっています。

選択も容易ではないですし、継続しようと思うのであれば自分自身によるモチベーションの管理や知識の更新などを必要とします。更に学んだ知識を自分の状態に合わせて最適化させる事も大事になってきますから、難易度は高めの考え方になります。

ここで重要なのは、自主管理をうまくすれば病院の世話になる機会が減少し、医療費の節約に繋がるという金銭的なメリットを享受する事が出来るという事です。

そういった意味で、病院にかかる時間や費用が無駄だと思って、それ以外の部分で人生を充実させたいと思えば割と必須な考え方でもあったりするわけです。

問題は、

知識の更新と利用がうまくいかず自己流となってしまい、結果として失敗した時の理由を理論に求めてしまいがちな点

モチベーションが続かずに、続かなかった理由を自分自身に求める限界を迎えて理論を否定してしまいがちな点

でしょうかね。理論が間違っているかどうかや自分が間違っているかどうかも自分で何とかしなきゃいけない点がハードルを高めているというのは事実です。

ただ、少なからず新しい健康への考え方や、生き方への新しい問いかけは生まれていますから、そういったものを求める時代になってきたという時点で、こちらにも意義があるという事が言えます。

温い話になりますが、物事が存在する意義と自分を支える理論で物事を見る事は根本的に別の問題を見ているんだよって事ですね。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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