現代食は特定の感情を想起するという問題点




おはこんばんにちは、リンさんです。

ゲームは近年、大規模になり、よりリアル志向に向かっています。

そんな中で相性が良かったのがいわゆる洋ゲーという海外のゲームで、このジャンルにはとにかく現実に近いものをゲームでしか出来ない表現で再現するというのに徹底しています。

反して日本のゲームというといわゆる現実ではあり得ないものをゲームに投影するという手法を用いているわけですが、これが現実世界をより忠実に再現できるようになったゲームとの相性としてあまり良くありませんでした。

男性をイケメンに、女性を可愛く表現するタイプの日本ゲームでは性的規制に引っかかってしまうからです。

まあそもそも東アジア圏以外ではアイドルなども男女の別を問わず性産業と同じように見られがちですから、偏見が無いとも言えません。

そんなこんなで大量のユーザー獲得を見込めない据え置き機における日本ゲームの勢いは衰え、課金などで瞬間的に利益の出るスマホゲーが主流になっちゃったわけです。

まあそのスマホゲーのいわゆるギャルゲーでもアジア圏の猛威に負けそうになっています。

徹底的に作り上げられた世界を楽しむVRが主流ですが、日本ではどちらかというと現実世界に仮想空間を表現するARが流行るのかもしれません。

ポケモンGoとかvTuberとかそんな感じですもんね。

そんな事を考え出すと、マジでおっさんになってきたなと思ってしまう次第です。

「懐かしさ」は判断を曇らせる

ふと生活の中で懐かしさを感じる場面は多いと思います。そしてその懐かしさに導かれるままに、それを満喫してしまう事も多い事でしょう。

懐かしさの正体は自分の人生における経験則、疑いようの無い確定事項とも言えます。

自分が懐かしいと思うものに対して疑いの目を向けるヒトはそうそういないでしょう?

そして懐かしさを判断基準にしてしまいます。間違っているかどうか検証の余地がないものを信用するというのは言葉尻だけ聞くと危険ですね。

では、懐かしさを感じるものが間違っているという根拠はどこにあるのでしょうか。

まず1つ目に、懐かしさには世代間のギャップがあるという点が挙げられます。

いわゆるジェネレーションギャップというやつで、年齢層によって懐かしいものというのは区切られてきます。

10年程度、あるいはそれ以下の年齢差でそれだけのギャップが生じるものは少なくとも自分にとってだけの真実であると考えた方が無難です。

自分だけの真実というものは、まあそもそも論として当てになりません。

そしてこの根拠を最大限に使用しているものの1つが食事だったりします。

多くのヒトは食事に関してカロリーを気にしたりはしません。

大抵はそのヒトの身長と体重から換算される栄養摂取で食事が落ち着くからです。

このヒト本来の代謝機能を阻害して肥満を呼び起こしているものが糖質過剰摂取であったり、超加工食品と呼ばれるものであったりするわけですが、それは今回の本題では無いので割愛します。

ヒトはカロリーを気にしません。では食事に対して何を基準にしているのか。

それはつまる所、懐かしさです。あるいは感情を呼び起こしてくれるものでも良いかもしれません。

ヒトは物質から得られるモノではなく、その物質を介して得られるコトを重要視します。

それを食べたらこんな幸福な感情を持つだろうとか、それを手に入れたら自分は今よりもっと良い環境になるだろうとか、そういった物質を通して得られる経験が欲しいわけです。

欲しいものを手に入れたら意外と心が落ち着いたとか冷めてしまったとかいうのはそういった理由からです。

つまり物質を得る理由に何ら生物としてのメリットを享受できる理由などなく、ただ感情を満たすためだけに行動しているという事になります。

しかしそうなると懐かしいといった感情は世代間のギャップ無く存在するものもあり、それは正しいのかという話も出てきます。

では世代間ギャップが無い懐かしいものとはどういう経緯で成り立つのでしょうか。

それは特定の地域で熱心に語り継がれているものという事になります。

熱心に語り継ぐわけですから、そもそも感情を想起する何かがあります。

それ自体は何も悪いことではありません。しかし何度も言うようにそれは自分にとっての真実であり、その延長線上の自分たちのコミュニティにとっての真実であるという事実しかありません。

そして、それを全く疑えないのは不健全だという問題提起を見えなくさせているのが問題なんだという論理を見えなくさせる最大の障害となってしまっています。

これを今流行りの女性天皇の継承問題で考えてみましょう。

男系一世の天皇を求める声があるのは当然です。それはずっと、それはもう気の遠くなる程長い期間をその慣習で通したのですから。

しかしそれはもしかしたら、有力な豪族や貴族が男性天皇であれば、自分の娘を婚姻関係に結びつける事がしやすくなるからそう仕向けたのかもしれません。

もしかしたら弥生時代の卑弥呼という女性による統治が嫌いだった反動なのかもしれません。

そしてそういった慣習に倣ってヒトは無思考に女性天皇はダメだとも言いますし、それも理解できます。

実際に、女性の天皇というと歴史の中でも緊急事態の緊急避難であった場合が多いように感じます。

では、今回も緊急避難で良いのではないのかという議論はありませんね。

そもそものお世継ぎ問題解決を図るのであれば、宮家の復活が最も現実的な路線であり宮家の復活にはそれなりの時間がかかるので、その間だけ緊急避難としての女性天皇はアリではないかと議論しなくてはなりません。

となると秋篠宮家にはお世継ぎが男女揃っていますから、少なくとも宮家復活が行えるだけの時間は確保できるはずです。

我々の国歌にも謳われているように、千代に八千代に続くための万世一系の伝統なのですから、まずは絶やさない努力をすべきでしょう。

伝統にだけ縛られるものと、自分の理想だけで現実を塗り替えようとするものでは議論にもならなそうというのが今のところの最大の問題でしょうかね。

語り継がないといけないものと、それを語り継ぐ為にするべき議論が出来ないのは別問題ですからね。

つまり、食事における感情は語り継いでいくべきものでしょうが、その食事の結果として招かれるものを科学的に議論できないのは別問題なわけです。

我ながら分かりにくいですね〜。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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