ヒトに「逃げても解決しないだろ」と言ってるヤツは、自分が苦しくなったときに現実逃避しか出来ない解決能力ゼロ人間の可能性大




おはようございます。リンさんです。

香川県にある豊島(てしま)で新たな産業廃棄物が見つかったそうです。前年度に処理をした総量が90万トン以上で今回みつかったのは汚泥85トン。

これの最も大きな問題は直島(なおしま)にあった産業廃棄物の無害化処理を行える施設が既に停止していて再稼動できないという事で、もう1つは島民との公害調停期限が既に過ぎている事です。

豊島への産業廃棄物不法投棄が発覚してから既に40年以上経過していますが、高度経済成長期の負の遺産は未だに残っているというわけです。

「逃避」というストレスマネジメント

「逃げる」と聞くとやたらとネガティブな意見が目立つ気がします。「逃げても何の役にも立たない」「逃げても解決しない」「ゲームで逃げるコマンドを使うやつは弱者だ」とまあ色々でしょう。

ただ「逃げずに自分の意思でやり遂げると決める事」と「逃げない精神を美徳だと教えて他人の逃避を許さない事」は当然のように別物です。

今回問題として挙げたいのは後者の、精神性を支持し他人を抑圧している人種の事です。彼らが持っている「逃げる」に対するイメージこそ現実逃避というネガティブな手段です。

そういった逃げるに対するネガティブな考え方の根幹には、彼ら自身が物事から逃げる際に現実逃避しか選べない問題解決能力の無い人種であるという事が非常に大きく関係します。

現実逃避以外で「逃げる」の戦略的な意味を理解できない彼らは他人の逃げる行動に関して非常に厳しいです。全ての「逃げる」が現実逃避だと思っているから仕方ないわけです。

「逃げる」の活用法

では「逃げる」とは本当に現実逃避以外の側面を持たないのでしょうか。もちろん、そんなわきゃないのです。自分たちが逃げると聞いて現実逃避しか出来ない可哀想な人種の事はひとまず頭の片隅へ追いやり、ここでは「逃げる」という事に対してどういう使い方をすればいいのかを考察していきます。

快と不快の判断基準

どんなに仏様のようなヒトだろうと好き嫌いは必ず存在します。それが一般クラスのヒトなら尚のこと世の中は好きなものと嫌いなもので溢れていることでしょう。

よく好き嫌いで物事を判断してはいけませんと言われますが、あれは実にナンセンスな話です。ヒトは世の中の大半の出来事を好き嫌いで判断する生き物だからです。

好き嫌いで判断するからヒトは効率よく集団を作り発展してきました。好き嫌いで判断するなの根本にあるモノとは「好きと嫌いをどこで分けるのか」という判断基準をどこで持つのかという話に尽きます。

ヒトは自分にとって心地よいものを快、つまり好き。心地よくないものを不快、つまり嫌いとして認識します。これは子どもの頃はとにかく自分中心の快不快で好き嫌いを判断しますが、社会を形成するようになると他人を考慮した快不快へと徐々に成長していきます。

そうやって社会との関わりを考えた上で自分が快となる状況を維持し続けることがストレスマネジメントになるわけです。しかし、ここには大きな問題があります。

前述の好き嫌いで物事を判断してはいけませんという教えそのものが、自分にとっての快を優先できない状況を作り出してしまっています。その結果として不快をベースとした職場環境や人間関係から離脱できずに心の病に至るケースもありますし最悪の場合は過労死という事になりかねません。

これって言ってしまえば目の前にナイフを振り回す異常者がいるのに平然と両手を広げて「敵じゃないよ」と言っているような感じです。逃げるほうがずっと安全だという本能が麻痺してしまっているとしか思えません。

自分にとって心地よい環境、次に皆にとって心地よい環境

相手に心地よさを感じてもらう社会は確かに大事ですが、それは自分というたった1人しかいない個人を犠牲にしてまで行うことではないはずです。

企業や国家はそれを目指すべきビジョンとして捉える必要性がありますが、それを個人に求めるような社会は異常です。

ただそれは自分の事だけ考えるべきだと言っているのではありません。社会で生きていく事は他人と関わって生きていく事ですから、その辺りは兼ね備えなくてはいけないものです。

しかし今の時代、自分を犠牲にして逃避してはいけないとする風潮が強すぎるので困りものです。逃げることを許容できない人種が最も現実逃避しているのだという事実を知る必要がありますが、そういった事を簡単に理解できるような人種なら誰も苦労はしません。

まとめます

「逃げても何の解決にもならない」と言ってくるヒトはスルーしましょ。それはそのヒトが何の解決も出来ないだけであって、アナタの事ではありません。

自分の快を大事に。そして自分の不快が強い時、それを除去するために自分の方から去る必要があるのならさっさと行動しましょう。これは現実逃避ではなく戦術的撤退です。

自分の不快を溜め込み過ぎないように。必要じゃない不快からは逃げるが1番です。

ヒトの視線を気にする以上に自分の視線を気にかける。自分の求めているものが社会の不快になったとしてもそれほど気にしなくてもいい。それは自分が生きていくと決めた環境にとって不快になった時に考えればいいことです。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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