デブとニートの同属嫌悪?




おはようございます。リンさんです。

ふと気付く事って、実は毎日にたくさんあるわけです。そんな気付きの中でも最近もの凄く嫌だった事がありました。リンさんはこのブログでも散々主張している通り、思考を止めているにも関わらず自分の考えこそ世界の中心だとするオジサンという種族を嫌っています。

しかしこのオジサン嫌いについては持論があります。そしてその持論が今、リンさんを苦しめているわけです。その持論とは、自分もいずれオジサンになるであろうからもっと嫌いってやつです。

それが最近「いずれ」だと思っていたものが、もう既になっているんじゃないのかって気持ちが湧き出ています。固定観念と思い込み、そしてそれに対するストレスが半端ないです。そのストレスから誰かのせいにして必死に逃げているような気がします。

オジサン化が止まりません。

類似点 思い込みと現実を侵食する妄想

NEET とデブは精神構造が似ている気がします。その精神的な依存度というやつでしょうか、それとも諦めたつもりで全く諦めきれていない自分を騙しているところでしょうか。

NEET とは、N( Not )in E(Education)E( Employment )or T(Training)という英語の略で、就学・就労・職業訓練のいずれも行っていないヒトの意味です。口癖は「働いたら負け」です。

このNEETとデブの精神構造が非常に似ていると思うのです。もちろん様々な個性のNEETとデブがいますから、概ねイメージという話です。

  • 0 か 100 の完璧主義

自分に完璧を求めてしまう事は相手に対しても完璧を求めてしまうという事で、ストレスマネジメントの点で非常に難しい面を持っています。また非常に残念な事ですが、そういった完璧主義を端から見ると「自分に甘く他人に厳しい」ようにしか見えないという難点があります。

最大の問題が完璧主義という病を患ってしまうと客観性を失ってしまうという事です。何に誇りを持って生きるのかが大事な事なのに、何で誇りを感じるのかに終始してしまいます。

ヒトは誰しも完璧ではないというのは、分かっちゃいるけど納得できないと思ってしまいます。非常に多いのが家族や近しいヒトにとっての基準で「いい子」であったヒトは完璧主義を患ってしまいます。

要求に応え続けても褒められる事は無く、更に要求され続けるうちに爆発してしまいかねません。そしてこういった言動を次は自分が誰かに行うようになってしまいます。

「何でしっかりしないのか」などと他人に憤る前に「自分はきちんと頑張っているのか」を考えたほうが健全です。そして、自分がそれほど頑張っていなくても周囲は何とかなっている事を学び落第ギリギリ程度の点数でも一向に構わないと自分を許す事が出来なきゃいけません。

それが出来ない以上は例えどれだけ相手の至らなさに腹を立てたとしても、自分自身を戒める事の出来ない弱さを他人で補っているだけです。それは端から見ると、見苦しいものでしかないわけです。

  • 元を取るという思考

デブは食事で元を取るという思考で動きます。というよりも多くのヒトが自分のかけたリソース以上の価値を得ようと躍起になっているのが現代です。

ですがサービスに限定しても、この理論はおかしさしかありません。お金を払ってサービスを受ける産業とは お金 = サービス です。つまり、お金がより大きな価値を持っているという話ではありません。

お金を得られなければサービスは継続できないという事業者と、サービスを利用して生活をより便利にしようとする顧客は常に対等の関係性です。対等であるから事業者は顧客を選び、顧客も事業者を選べるわけです。

元を取るというのは、どうしても自分が支払うお金の方がより大きな価値を持っているという判断から生まれます。そしてその勘違いを起こしているものが顧客優勢の心理です。

ちょこっと考えれば分かる事ですが、事業者は顧客がいないと事業を継続できません。そして何より顧客は自分の望むサービスを提供してくれる事業者が存在しなければ生活の質を向上できないわけです。だからこういった関係は本来であればWinWInでなければなりません。

この辺が分かっていないと、とりあえず文句を言う事しかしなくなります。そうして文句だけ言っている内に、本気のアホになっていきます。価値観が固まるわけです。そもそも自分自身で「正しい対価だ」と実感しなければ元は取れません

そういった対価を出せない事業者に問題があるのではなく、そういったサービスばかりを選んでしまう自分自身に問題があると考えたほうが賢明です。

  • まだ本気出していない

本気とはいつでも出せるものではありません。というよりも気持ちの問題で片付くような話では無いという方が正しいです。

アスリートが常に練習を怠らないのと同じで、ヒトの行為全ては普段の延長線上に存在しています。心のスイッチが切り替わるという事は任意で起こる事ではなく、反復練習を繰り返す中でオンとオフの境界を曖昧にしていく事であたかもスイッチが切り替わったような表現となるだけの話です。

スイッチを切り替える努力を行わなくなると、やがてスイッチは当然の如くサビ付いていきます。サビ付き動かなくなったスイッチを再び使えるようになるには努力が相当必要になってきますが、今まで努力の方向性を決めきれずにやってきたせいでスイッチを動かす事を諦めてしまいます。

辛く苦しい現実から逃げる事が悪い事ではありません。現実を辛く苦しいものにしてしまったもののうち、外因だけを追求し内因を省みない姿勢こそが問題となります。

まとめます

精神的な成長と人間的な成長を遂げるという事は実に難しいものです。おそらくどの世代に聞いても自分の精神的な部分は学生時代よりもはるかに成長したとは認識していないでしょう。

世の中には情報が溢れ、自分が実践するよりも先にある程度の未来予測が出来てしまいます。そしてそういった世界で行き続けるとヒトは自分の人生すらシュミレーション済みだと思い込み、それほど希望のある人生にならないのではないかと考えてしまいます。

そういった感受性の豊かさという意味でNEETとデブは似ています。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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