食べものに飽きる事、執着しない方が良いのかもしれない




おはこんばんにちは、リンさんです。

止められないものって誰にでもあるかもしれません。ですが、止めないといけないとまで思うものは少ないものです。

止めなきゃいけないものは止めると何がしか改善するのは分かっているものです。それは達成困難なものです。

しかしそれ以上に困難なのは止める必要性を感じていない場合です。過量が分かりづらい現代って事なのか、はたまた単純な生活習慣の乱れってやつなのか。

人生にとって必要かどうかまで突き詰めないとヒトは物事を変えられない

自分を変えられないと嘆く事は多くのヒトにとって経験のある事かもしれません。

それだけ物事を変える事は難しいという話なだけですが、意識を変えられない事に関して意識を変える事の出来たヒトの対応は冷ややかです。

それはきっと意識を変えるという事の本質が意識からその事柄を削除する事に由来しているからだと思われます。

優先順位が低くなれば当然、それに関する欲求も低くなります。

そしてその優先順位を低くするやり方、つまり意識を変える方法論が分からないからヒトは迷ってしまうわけです。

応用が利いてくれれば良いのですが、現代の依存物質はそれぞれが強力なので意識付けとしても全く異なるカテゴリになると考える方が無難です。

つまり必要無いという強烈な動機付けをきちんとした理由を以って保持しないといけないって事になります。

例えばリンさんがタバコを止めた理由は様々な体調不良とそれに関連するタバコの弊害、受動喫煙に関する周囲への多大な迷惑、そして現代社会でタバコを吸う事のダサさみたいなものが根底にあります。

これらを基本理念として最終的に「タバコはリンさんの人生に全く必要無い」と結論付けたので禁煙というものに成功しています。

これを食事に関して適応しようとすると、つまり食事が人生に必要無い理由を積み重ねないといけないという事になります。

そして食事が不要だと結論づけるのが如何に難しいかという事態と日々向き合わないといけないので、達成が困難なわけです。

例えば痩せ型のヒトが時折言うように食事する事そのものに飽きてしまうというのは食事量を制限する際に非常に有効な考え方です。

そこに栄養学の入り込む余地さえあれば新型栄養失調になる事も無いでしょうし。

例えば最近のニュースでは「食事は大便を買うという行為なので無駄」と言った話も拝見しますから、そういった方向に突き詰めるのも良い解決策かもしれません。

まあしかし長年の生活で染み込んだものを変えるというのはそれほど大きな意識転換が必要になるって事の証明でもあるわけです。

どちらにしても自分が変えたいと思っている事象から目を逸らさずに、どれほどそれが必要以上に必要だと思い込んでいるのかを認識しないと達成が困難になっているのが現代なわけです。

ですからそういった意識を変える事の出来たヒト、あるいは最初から意識を変えずとも難なくそれを達成できているヒトにとって意識を変えられないヒトは怠惰に写りがちです。

ですから対応が冷ややかになるのかもしれません。

自分で認識できる世界を変えるのであれば自分の認識を変える事でしか変わりません。

ヒトの目を気にしても仕方ないですが、それは自分自身を見つめる自分の目を甘やかして良いという事ではないと思っておかないと、やはり怠惰になるのかもしれませんね。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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