いわゆる「普通」の認識 -大食家と一般人の違い-




おはようございます。リンさんです。

どうにもリンさんの中で冬季オリンピックというものが盛り上がってきません。今回は政情不安や政治的利用に思える行為が目立っているので更に冷めています。

しかし盛り上がらない最大の理由はやはり何を隠そう「よく分からないルール」です。個人の記録で勝負するフィールドトラック競技なのに技術を判定する審査員がいる種目が非常に多い気がします。

だから何なのだと言われるとそれまでなんですけどね。スポーツとは自己と向き合うものであると思っているのでヒトに判定される競技の面白さが理解できないヒトの戯言です。

異なる「普通」をどう処理するのか

皆さん、ヒトの言葉を信じる時どんな判断をしますか? 誠実そうな外見? 真摯な対応? フランクなコミュニケーション? それとも単純に外見の美醜?

リンさんは基本的に男性であれば「質問に対しての答えを持論で展開するヒト」を信用します。相手の質問に同意を重ねるのはコミュニケーション手段ですが問題解決アプローチではないですから。

心情を理解するより最優先で問題解決策を提示する。しかもそれが自分で考えた結果の結論である男性です。こういったタイプは基本的に持論展開型ですから時に質問すらも否定して論理を飛躍させますが、それをどうスルーするのかは後述へ。

女性では「共感しつつも論理的な矛盾があればそれを何となく訂正できるヒト」を信用します。

男女ともにそうですが、共感を最優先にして意見を交わせないヒトは信用しません。しかしこれは相談する相手として信用できるかどうかの物差しですから、普段のコミュニケーションが全てコレではおそらく孤立します。コミュニケーションがそもそも不自由だと、信用するしない以前に周りからヒトがいなくなりますからね。

信用できるヒトの言葉を信用する仕方

社会生活を営んでいく中で信頼の置けるヒトと出会ったとします。ではそのヒトの言葉を信用する為には何に重きを置かなければならないでしょうか。

まず1点目は「目指す分野に対して明らかに相手の方が経験がある場合」です。

当たり前の話ですね。自分よりも経験に優れ判断材料の多い先輩ですから、そのヒトの経験から導き出される経験には大きな価値があります。

もう1点目が「同じような環境で育ったあるいは、同じような経験を過去している場合」です。

1つ目が、経験を通して相手の知識を理解していく方法であるとすれば、こちらは相手の立場がそのまま自分の立場になる点が異なります。相手と環境が同じである点で理解はさらに深まりますし、何より相手の経験がそのまま自分の環境に適応できる可能性が高くなります。

「普通」の認識が近いという事

「普通に考えて」「常識的に」という言葉で相手の行動を批判することは誰にでもあります。しかし、この言葉で相手を否定することは相手の存在を否定している事になりかねないということを理解しなくてはいけません。

ですが、相手がどういう生き方をしてきて、どう感じどう思うのかを理解することが相手の言葉を信用するかどうかで最も大きな判断材料となります。

コミュニケーションの不足している相手を信用せずに社会的集団から排除しようとする行動はヒトという種の宿命のような機能ですから否定しません。まあ積極的に肯定もできませんけどね。

同じ環境を共有し共感することが最大の理解になることは明らかです。しかしそれは環境を共有できない相手の言い分を理解することが難しいことも指しているわけです。

見た目も性格も全く違うような相手同士がものすごく仲がいいというようなことからも、環境のような人格の肉付けとなった理由が共有できることが良き理解者を得る事に繋がるのだと思います。

まとめます

  • ヒトの言葉を信用する見極め方は2つ
  • ①自分が知りたいと思っている分野に関して相手が先んじている事
  • 経験を伝えるという手段において基本となる教育方法。業務内容などはこちらで伝承可能
  • ②相手と自分の育った環境が似ている事
  • ヒトは同じ経験、同じ環境など似た部分が多い相手ほど言葉を受け入れやすい。また似ていればいるほど結果も同一のものを導き出しやすい

以上です。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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