サービス業が客を選ぶ行為を差別的だというのは、客側が真っ当な「対価」への意識を持っている場合に限るのではないか?




おはこんばんにちは、リンさんです。

社会の停滞とはすなわち若者が文化を創造できなくなるという事です。

かつて戦争によって多くの若者が命を散らしました。戦争が終結し、自分の人生を生きる事に全力を注げた若者は文化を解放していきます。

そして平和になり、若者が死ぬ事が無くなると情熱は薄れていきます。結果、文化は過去の二番煎じ、過去にあったものに手を加えただけのものになったりします。

さらに時が経過し、情熱の薄れた世代が大人になる事で作り上げられた社会の中で、文化は衰退していきます。

発達したテクノロジーにより新しく感じるだけの、リサイクルされた過去の残滓を最後の拠り所にして。

これが大人の懐古主義を呼び、新たな創造を容認しない土台になったりするから厄介なわけです。

どのような意味であれ生命の危機に瀕しないと、ヒトは持てる才能の全てを発揮できないのかもしれませんね。

商品の価値を知る者だけがサービスの尊さを知っている

海外からの渡航客が多くなると、それだけ日本のサービス、特に無料サービスに関しての質の高さに着目するようになります。

しかしそれは日本人の勤勉さに外人さんが感激しているというのとは少し違います。

もちろん顔を付き合わせて一緒にいれば日本人の勤勉さは美徳に映るでしょうが、それはそこそこの時間を一緒に過ごさなければ分かりませんよね。

最も大きく心を動かされるポイントは、対価が十分発生するであろうサービスが無料であるという点でしょう。

確かにサービスに関しての満足度を高める努力の情熱に関しては日本人は非常に熱心と言えますね。

しかし、このサービス過剰こそが日本が陥ったある問題の一因となっている可能性があります。

それこそ、弱者救済を主とすると社会は成り立たなくなるというものです。

商売人<お客さまの歪んだ構図

「お客さまは神さまです」は三波春夫さんの言葉で、「お客さまは王さまです」が松下幸之助さんの言葉です。

この言葉の意味、果たしてどれだけのヒトが正しく認識できているのでしょうか?

この2つの言葉はどちらもサービスを提供する側と提供される側の対等性を表しています。

お客さまは神さまですとは、三波春夫さんのステージを見に来てくれる方を指して神さまとしています。

お客さまを神さまだと思って最高のパフォーマンスを発揮しようという考え方ですね。

この言葉の中のお客さまとはステージに来られる方、つまり対価を支払ったヒトという事で、両者の立場が対等である事が分かります。

三波春夫のステージ=対価としてのお金というわけです。

お客さまは王さまですというのは、時に苦言も辞さない臣下こそ王さまにとっての忠臣であるという考え方です。

言いなりではなく、提供する側としてのプライドを以って接するというわけですね。

この2つの言葉を勘違いすると起こるのが、お客さま至上主義を抱えたお客さまという存在というわけです。

そもそも客と商売人とは対等な関係性です。メリットが一致しなければ商売人からサービスを提供してもらわなければいいし、客が横暴ならサービスを提供しなくていいわけです。

しかし多くの充実した無料のサービスがある日本では客の支払う対価の本来の価値が分からなくなっています。

売買の成立とは対等な取引に準ずるという基本概念が希薄なんです。

そうなるとサービスや商品を購入した客の方が優位であるという勘違いを客自身が起こします。

これが質の高いサービスを追求した結果、日本が陥った「弱者救済を主とする社会は成立しなくなる」という最大の問題です。

サービスの向上自体に問題はありません。しかし過剰なサービスは対価への認識を希薄にします。

そしてそういった自分が支払う対価分以上のものは提供されないという基本理念が理解できないのは往々にして「自分を社会的弱者だと思い込んでいるヒト」であったりします。

もっと言及すれば「本来は対等であるべき物事に対して自分優位の感情を働かせるヒト」です。

客観的に見ていればそのイタさも理解できますが、この問題の根幹はサービスにどっぷり浸っている我々日本人全員に該当する因子であるという事です。

政治家が心情と感情を吐露し、自らの信念を語れない国家。我々もまたそういう人種なんだと認識しておかないといけないのかもしれません。

皮肉多めですが、最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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