ゲームは知的好奇心の過剰な要求かそれとも脳内報酬系の依存か




おはようございます。リンさんです。

相手を思う気持ちっていうヤツは、一体どの程度相手を思っているんでしょうか?

ヒトは自分の求める現実を他人に反映して生きている生物です。これはざっくり言うと世界を常に勘違いの視線で見ているという事になるわけですが、相手への好意は自分への満足であるという事が常という事の証明であるような気がします。

自分がここまでやっているのに何でアイツはああなんだと憤る事は誰にでもよくあるでしょう。それって好意なんでしょうかね~。知らずに相手の勇気を挫いているかもしれません。

ゲームは一体何を満たすのか

アルコール、タバコ、スマホと依存症は様々なものに存在している事が明らかになっています。近年特に危険視されているものの中でゲーム依存があります。

ゲームの中での暴力表現が激しいせいで現実社会でも暴力性を露にしてしまうのではないかという懸念ですね。果たしてゲームに依存性はあるのか無いのか。

依存を批判する理由

まず依存が批判される理由を考えていきましょう。

多くの依存が批判的な意見を集めるのは、個人の責任の範疇を超えた迷惑行為が発生するからであるという点は忘れてはならない事です。

アルコール依存は、脳を萎縮させアルツハイマーの危険性を助長し、社会へ医療費の圧迫などの迷惑をもたらします。アルコール依存により耐性が出来てしまうと飲酒量が増える事による判断能力の欠如といった個人への迷惑も発生します。

酒を飲む事が個人の自由だと主張しているのなら、相手に迷惑をかけない飲み方をしてから権利を叫べという事ですね。

タバコ依存は受動喫煙の問題、糖質は糖尿病発症のリスク増大と個々で抱える問題は異なりますが、社会的、個人的な面から迷惑を与えているという点で同様です。

ゲームは誰にとって迷惑なのか

ではゲームはどうなんでしょう。一体誰に迷惑をかけており、それによって社会的あるいは個人的な損失が発生しているのでしょうか。

現代のゲームはジャンル以外で大別するとなると、他者とのコミュニケーションが発生するオンライン、他者とのコミュニケーションが発生しないオフラインに分けられますね。

コミュニケーションを行う場合、大事になるのが自分と相手の関係性です。ゲームの画面の向こうの見知らぬ誰かに対してのコミュニケーションはやはり雑になると考えるべきでしょう。

息遣いも感情も見えてこない画面の向こうとは、ゲーマーにとってはオンラインもオフラインも区別無く「非現実」です。こういった非現実に対しての過激なコミュニケーションが現実に持ち込まれるのではないかと危惧する為に、ゲームは危険と判断されます。

ですが一般的な社会生活を送る事のできるヒトで、「非現実」と認識している世界でのコミュニケーションと自分と相手の損得が絡んでくる「現実」のコミュニケーションを混同するかと聞かれれば、そこまでバカにしなくていいんじゃないと思います。

コミュケーションが希薄となった結果、現実のコミュニケーションを円滑に行えなくなるほど相手と触れ合う機会を無くしているということは事実でしょうが、それがそのまま現実に非現実を投影し社会的な不利益を与えるというのは暴論です。

ゲーマーはサイコパス?

現実をうまく認識できず相手との関わりを考える事が出来ない。その結果、ヒトが禁忌とする殺人などの行為を何の躊躇いも無く行える人種として「サイコパス」という表現があります。

ゲームをしているヒトはサイコパスの可能性が高いとさえ言われています。コレは本当のことなんでしょうか?

サイコパスの研究では人類の人口全体で5%程度がサイコパス特有の脳機能を持っているといわれています。人種によりますからあくまでざっくりとした数値だと思ってください。そしてコレは日常生活を問題なく行えているヒトも有している特徴であるという事も分かっています。

ということはサイコパスの脳機能を持っている事とサイコパスになる事は全く別の要因である事がいえます。それではゲームをしていればサイコパスになるのでしょうか?

答えは「かなり怪しい」としか言えません。もちろん上述のようにコミュニケーションや自己表現が普通より苦手という特徴は現れると思われますが、それだけでサイコパスとは言えません。

ゲーマーでサイコパスになるという目標を達成させるためには、ゲーム内の非現実と実際の現実が区別なくなってしまう事が条件に思われます。

境界を無くす依存

だからと言ってゲームしてても大丈夫という結論には至りません。ゲームは確かに依存性を孕んでいるからです。

アルコールやタバコといった依存の特徴的なものに、最初は好奇心から始まり、続いて過剰摂取への激しい欲求に至るというものがあります。これはつまり既存のルールを破壊する行為、全てを台無しにするルールブレイカーです。

最初は好奇心を満たす行為で十分だった。でも暫くすると止められなくなっていった。止められなくなっていくと次にはどういう理屈であればその行為に至れるのかを常に考えるようになり、最終的に何の理由も無く行為を続けるようになる。

これをゲームで満たすもの。それこそが依存の本性。ゲーマーがサイコパスへ至る理由だと考えられます。

ゲームは多くの要素でこれらを含みます。過激な暴力表現、銃器・鈍器の使用、人体欠損、1人称視点、バーチャルリアリティ、ポストアポカリプス(終末世界)、性的表現などなど。

しかし少し考えると分かる事ですが、これらはゲームでしか表現できない「非現実」です。現実世界で規制の大きいものほどヒトは求める傾向にあります。

事実、オランダでは性教育を子どもの頃からかなり厳密に行い、政府が性風俗産業を国家事業として管理することで「性犯罪、貧困、売春のアンダーグラウンド化」を防げています。

現実世界で健全な経済として成り立つようにすると上手くいく可能性があるということですね。ルールを厳密にして存在を公認することで現実の社会が抑止力を持つというのは、日本では嫌がられるでしょうね。

昔の日本では恥は面白さでしたが、今の日本では恥は隠すべきものですから。議論が出来ない事の不健全さを表しています。

同類相憐れむ

そしてもう1つの視点。ゲームをするからサイコパスなのではなくサイコパスの素養があるからゲームをしている可能性です。

なんて事を言うんだと思うかもしれませんが、ゲーマーというのは割合として現実のコミュニケーションに疲れたあるいは苦手という分類のヒトが多くなるのも事実でしょう。

先ほど、依存は好奇心から始まって徐々にルールを逸脱していくと言いましたが、ゲームに興味を持つということはつまり現実への不安や危惧があるという事です。

ルールを破りやすくなる依存を知る

ゲームとサイコパスは関連性が無いと考えますが、ゲームが依存性を持つ事は否定できません。しかしゲームが暴力性を現実に投影するのかという話には疑問が残ります。

多くの依存がそうですが、全ては脳の過剰な誤作動により引き起こされています。その誤作動の集積の中にサイコパスへの道のりがあるような気がします。

依存はルールを簡単に破らせる為、より多くの依存を抱えれば抱えるほど破るルールが増え、依存が深くなればなるほどルールを破った罪の意識も希薄になります。

依存から危険に至らないためには極力依存を避ける姿勢と、依存するという事がどういう事なのかという意識を持つことが大事です。

その点で考えればゲームは危険ですね。現実には無い刺激的な要素が多く、依存できる環境が整っていますから。

「ゲームをゲームとして楽しむ」という姿勢。依存を知り、避ける知識。現実を優先する感覚といったものを持てていれば、特にゲームだけが怖いという事態にはならないと思います。

ゲーム業界が儲かっても今までの既得権益たちは儲からないから批判的なんだろうなと感じたりもします。どういった批判でもそうですが「やった事無いヤツ」がする批判なんて意義がありません。

え? ゲームしてたら現実のコミュニケーションが苦手になりすぎたんですか。……それは自分で何とかしてください。境界を踏み外すのかそうでないのかを決めるのは自分です。つまり、自分の現実を何とかできるのは自分だけ、という事ですね。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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