ヒトは自分の望む現実しか認識できない。−例としてのカミ




おはようございます。リンさんです。

2broというゲーム実況者グループがいます。最早、飛ぶ鳥を落とす勢いと呼ぶ以上に人気があるグループで、何と19年の1月2日にはオールナイトニッポンでラジオを任されるそうです。

人気が出てくるとファンの間にコアとライトの層が形成され、コアは自分達が共に盛り上げていると感じ、ライトな層の中にはそのルールがよく理解できずに古参のファンからはナメてかかっていると感じられるような言動をする者もいます。

まあしかし彼らの掲げるものは「play with us」でゲーム一緒にやろうぜ、ですから実況を見て友達のゲームを横で見ているような感覚を好む方がファンになるので民度は高く、アンチの割合もコメントも少ないようには思います。

では何故自分の事しか考えられないんだろうか? なんて考えてみたところで、自分本位な連中ならこの日本中に老若男女問わず存在している事に気付いてしまうわけです。…自分も含めてね。

日常に浸透したカミと、そのカミが多くの日常に浸透している歴史は別モノとして考えないといけない

ヒトは過ちを繰り返すとは面白い言葉です。言い換えるならばヒトは自分にとって都合の良い、つまり自分の望む現実しか認識できないわけです。

んなこたぁない。貧乏ヒマ無く働いて、心も体もボロボロですがなってヒトもいるでしょうが、それは貧困という抜け出すのが非常に難しい現代日本の病巣に陥ってしまっているからなわけです。

ふと考えてみるとヒトの現実認識がどれだけ都合よくいい加減なのかは、様々な文化の発展からも解釈できたりします。

都合よくいい加減な現実認識をしていった結果、多くの人が共通認識として持つように育ったものが常識と呼ばれ、その常識の集合体がヒトの文化と呼ばれるものです。

つまりヒトの文化とは常識の共有で発生するので、それは皮肉にも常識とは真逆の意味合いを持っている言葉、勘違いを内包するものとなります。

ヒトとヒトが分かり合えないのは、この常識が噛み合わないからです。

それはつまりお互いに共有の常識があるから理解し合えるだろうという勘違いが生み出すものです。

ヒトの勘違いが作り出した文化史なんて考察すれば面白いかもしれませんね。

まぁそれはさておき、ヒトの勘違いによって形成された文化で最も大きなものに宗教があります。

ここでは世界で最も信者の多いであろうゴッドの宗派について考察していきましょう。まぁもう1つの宗教と信者数は拮抗しそうですが。

文化として根付いたカミ、根付くまで侵略したカミの歴史

現代においてこの宗教は、自らの原罪を見つめ直す事で自然の摂理の厳しさに立ち向かうものとしてよりも、生活の中に存在する1つの精神的支柱という側面が強くなっています。

これがいわゆる文化として根付いている状態になります。精神的支柱として物質的豊かさ以外を補助するものなわけです。

宗教の平穏な面をゴッドに、それ以外の荒々しい面を他の宗教に見たりもしますね。

そして、このゴッド=平穏というイメージは近代に至るまで領土拡大、他国支配、圧政の理由となっていました。

領土拡大には古くは十字軍の遠征から、宣教者と呼ばれるヒトの派遣まで様々です。

ゴッド=平穏の象徴であり、それを受け入れないのは異端であり征伐の対象だったわけです。

侵略を受けた側からすれば自分達から領土と信仰を奪った暴力の象徴でしか無く、ゴッドにおける敵対がアッラーしか存在しないのは、それ以外は滅ぼされてしまったからという歴史的背景が忘れられがちです。

唯一神という暴力のの侵略を生き残ったのは、同じ唯一神のイスラム、多神教のヒンドゥー教、そこから派生した仏教、そして日本建国の神話である神道などです。

ゴッドを信仰するものは平穏を望み、その文化的価値を享受しています。

しかしゴッドから侵略を受けた側は、暴力的な歴史に重点を置いて語るので、そもそも同じものを見て語っていません。

彼らがゴッドを信仰する国に対して暴力的なのは、宗教の内包する暴力的側面では無く、ゴッドに奪われたものを自分達のカミに返すために同じ方法で仕返ししているだけなわけです。

ハンムラビ法典にも書かれた方法論と言えますが、これはそもそもヒトの持つ現実認識と、そこから芽生える狂気が生み出したものですから結局のところ宗教とは全く関係ないヒトの性になるわけです。

これは別にカミに限った話では無く、どれだけ小さな事でも、どれだけ大きな事でも内包しているヒトの病巣です。

ヒトは過ちを繰り返す。で、あるならヒトを滅ぼすものはヒトの作り出した文化という常識が崩壊した時に生まれると言えそうです。

民主主義の限界が見えた現代、新しくヒトをまとめられる価値観を生み出さなければヒトはヒトの生み出した過去の亡霊に滅ぼされるかもしれません。

もしくは民主主義が機能する程度の集団まで人数を絞るしかないかもしれませんね。

少なくとも大規模になればなるほど、ヒトの生み出した文化は歪みが大きくなるわけです。

そうなれば個人は無用な諍いを被る機会も増え精神的負担も大きくなります。

とは言うものの、ヒトの叡智で大規模化する人口も人為も止められません。

混沌の時代に相応しい現代です。せめて自分の身の周りだけでも認識を改めていかないといけないのかもしれません。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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