おはこんばんにちは、リンさんです。
かつて中国大陸に漢民族以外の王朝が存在した時代、朝貢というシステムがありました。
周辺の国家は貿易などを行ってもらう代わりに、貢物を王朝にしなくてはならなかったというものです。
そして現代、中国は資本主義を利用して朝貢に似たシステムを作り上げました。
チャイナマネーを出してもらわないと困る企業は世界中にあるから、こういった事も可能になるわけです。
中華思想である1つの中国、1つの大陸って考え方ですね。中国を中心としてそれ以外は属国という考えです。
最もその中心としての中国とは今や中国共産党を名指すようなもので、人類にとっての大きな火種となるのは明らかです。
共感が生み出すものを悪用すればヒトは容易く流れてしまう

国はシステムにはなれません。もちろん国の内包する各種社会制度はシステムの上に成り立っています。
その方が効率的で合理的だからです。しかしだから国そのものもシステムにすると話がおかしくなってきます。
国とは歴史です。新興国家が武力や経済の拡大に対して躍起になるのに対して、歴史の長い国が割とゆったりと物事を構えているのにはこの歴史という存在があります。
歴史が国を定義付け、歴史が国を安定させるからです。
しかしここで問題も発生してきます。新興国家の過激な成長戦略に対して古参国の対応は常に出遅れがちになるという事です。
特に中国のチャイナマネーによる戦略に対しては、世界中の国が遅れを取ったといっても過言では無いはずです。
さらに中華思想の浸透を担うための外交戦略も多岐に渡り、今や何につけてもイデオロギーの対立が鮮明化しています。
芸術もそうですね。スポンサーあるいは自分の芸術を認めてくれる陣営の思想に染まっていくのが顕著になってきています。
芸術家は感受性が高くなくてはいけません。しかし芸術で食べていくには共感的な言動を起こさなくてはいけません。
社会のシステム的な不具合に嫌気が差した芸術家が日本そのものを批判するようになるのは結構な事です。
しかし彼らに欠けているものは歴史的な視点です。風刺と呼ぶにはあまりにお粗末な理屈でも、スポンサーにとって気持ち良いのであれば金になるのでは芸術はもはやイデオロギーの対立軸にしか成り得ません。
何を表現しても構わないはずです。でもそれを阻まれるという。
阻まれたところで気にする必要などないのではないでしょうか。でもそれを矢面に出してしまう。
「芸術」ではなくそれ以外に目的があると勘繰られても仕方ないのではないでしょうか。
しかしこれも全ては戦略でしかないのかもしれません。日本ひはんとは名ばかりで、そういった意識を持たせて中華思想のシンパを作り出す目的なのではないでしょうか?
勘繰りすぎだとか、そういった思想とは関係無いと言われるでしょうね。
しかしこの話は男のする女性の好きな部位という話に置き換えると「最終的に全部同じ」という結論にしか成りません。
「胸が好き」「顔が好き」「足が好き」「お尻が好き」それぞれに好みがあり、意見は対立して自分たちと彼らは違うと言い張るでしょう。
しかし最終的には女性が好きという結論が全てに於いて導き出されます。
行き着く木の根は同じで、ただただわかれた枝葉の一部でしかないのであれば、その木の根は何で、自分は何の一部なのか、きっちり理解しないといけません。
そうしなければ自分はいつまで経っても木にはなれず、ただの葉っぱで生を終える事になります。
最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。
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