おばあさんの存在は人類繁栄の戦略的進化 -オジサンたちよ、オトコは不要という証拠がドンドン積みあがってきたぞ-




おはようございます。リンさんです。

早いもので2月も終わろうとしています。個人的には退職したことによって時間的な余裕と金銭的な不安が生まれ、考えなくてもいいことばかり考えて堂々巡りする日が多かった気がします。

まあ立ち止まっていても景色は変わらないので、こんな時こそさっさと歩き出すに限りますね。

今の状況は何とかしようとしないといけないものですが、人生に関して言うなら割と何とでもなると思っています。人生に対しての感性が甘いのでしょうか。

不安が膨らみすぎて何が何でも何とかしろというような雰囲気というものが嫌いなので、基本的に緩いです。

おばあさん仮説とオジサン不要論

人類が繁栄を謳歌している理由として「おばあさん仮説」というものがあります。子育てに関して親以外で協力し合えるように人類のメスは閉経後も寿命が続くように進化したという仮説です。

このおかげで人類は毎年出産できますし、育児と社会形成を同時にこなす事ができるようになったと言われています。現在の少子化には核家族化による育児の分担ができなくなったことも大きな原因であるそうです。

人類は共同繁殖という手段を用いて繁栄を築き上げてきたわけですね。

このおばあさん仮説を支持すると、オトコという種の不完全さをより際立たせる格好になります。何故、おばあさん仮説であっておじいさん仮説ではないのか。

そもそも自然界においてオトコとは女性よりも後に発生した性別であり、女性の社会形成の営みを補助するカタチで存在する種の事を指します。

ヒトという種のオトコが社会というものを形成できたのは、それを任せておくように感じさせるだけで満足して子孫を作る事を行ってくれるから女性がわざとそうするように仕向けたのでしょう。

それが結果として長年に渡ることでオトコという種が勘違いを起こし、支配者であるという満足感だけでなく実際に色々と支配しようと動き出した結果生み出されたのが現代の歪な社会であると言えます。

女性を補助し、女性の社会を守護し、円滑に機能させる」というオトコの本来の存在理由を失ってしまった事で、オトコという種は子孫を作り出す、老後の社会的な負担を軽減するという目的だけで生存を許可され、ヒトという種の繁栄と生存という至上目的からは完全に除外されてしまったわけです。

オトコの作り上げた勘違い社会の中で女性が生きていく為に仕方なくオトコを残しているという事ですね。

生物学的に考えれば多くの女性にとってオトコという存在は「歩いている生殖期」程度の認識であり、ヒトという社会の中で出産、育児、集団の形成、種の保存という一連の役割をオトコは全く担っていないというのが事実のようです。

「オトコと恋に落ちる」という機能も出産後に少しずつ無くなっていき、子孫が自立して活動できるようになった頃には配偶者となる相手に対しての愛情はほとんど無く、これからの人生でお金に関して困りそうだから仕方なく連れ添っているという状態であると考えられます。

また生殖機能としての認識しか持たれない存在である事から、オトコとしての生殖能力を失う年齢に達するであろうオジサンは社会の敵として認識されやすくなります。

それでもオトコが許されているのは長年オトコだけで社会を形成してきた事によって、本来中心になるはずであった女性中心の社会を排除してきた結果なわけですから、女性進出による新たな社会の形成に脅威を感じるオジサンが多いというのも理解できる点です。

裏を返せば女性中心の社会になった時に、オトコ中心の価値観を持っていると淘汰されるという事ですから生物としての危機を感じた結果、女性の社会進出を拒んでいるのかもしれませんね。

おばあさん仮説の話からオトコ不要論の壮大な話になってしまいました。

最近よくこういう事を考えるようになったわけですが、その理由の最も大きな部分に自分のオジサン化というものを感じてしまうという点があります。

世間で活躍するヒトというのが基本的に同い年から年下くらいになってきたので、活躍するヒトたちを素直に凄いと言えずに何だかんだ「まだ若いし」とか「あの若さで」とか言うようになって愕然とします。

リンさんも所詮、淘汰される側のオジサンでしかないわけです。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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