根性論というオジサン問題




おはようございます。リンさんです。

今年の目標であるブログ毎日更新は中盤で失敗に終わってしまいました。誰のせいでもないとか格好いい事も言ってみたいですが、格好悪く言います。

とあるヒトのせいです。間違いなく。

そのとあるヒトとは減点方式の判断しかしないオジサンです。基本的にヒトは全くの他人という前提があるので、減点と加点のどちらの判断を重視するのかというと加点方式を重視しなくてはいけません。

そうしないと減点方式の持っている問題提起機能が意味を為さなくなります。残るのは減点方式の持つ欠点である否定感だけになるわけです。

オジサンは勘違いしがちなんですが、経験やキャリアとは社会人としての処世術や所属する組織内だけで通用するキャリアというだけに過ぎません。

人生経験が豊富=ヒトとして優れているわけではないのです。

ありがちな常識であるから全てが勘違いを起こしているわけですが、若いから人生経験が浅いので知識も無く、才能も持ち合わせていないし、夢や目標を叶えるだけの努力した時間も少ない。

だから若いヒトは根性ややる気を見せないといけないんだという考え方自体が間違っているわけです。

というわけで自分のやる事とやりたくない事のマッチングを他人に指図される日々が続きますので、更新頻度が落ちると思いますという報告になります。

熱中症を根性で乗り切れるとするオジサン問題

実に暑い日々が続いております。そんな中でも時折窓から抜ける風や花火の音に涼を感じたり、逆に熱気に晒された風により汗が噴出したりします。

ニュースでも毎日のように熱中症と思われる症状で病院に搬送されているヒトがいるという旨の内容が流れているわけです。

という事は端的に、暑い場所に長時間留まっていたり、そういった状況に該当する場所へと行く事は好ましくないというわけです。

出来るだけ外出を控える必要があるわけですが、社会人となり仕事をしている場合以外などでは確かにそうするべきなわけです。もちろん仕事されている場合でもこまめな水分補給と休憩は必須ですけどね。

水分補給にスポーツドリンクはダメですけどね、糖質制限実践者としては。

ヒトはつまり酷暑、特に日本のように湿度の高い暑さには適応できないわけです。しかしそういった当たり前の論理的帰結が行われない環境が維持されている場所があります。

それはスポーツです。特にこの場合、未成年や学生を対象にしたスポーツと限定します。

問題の根幹は指導者の認識不足というものに追及されてしまうわけですが、それでも社会人としてやる場合と学生としてやる場合では意味合いが異なってきます。

かなり偏った見方になりますが、学生のスポーツにおける指導者とはドリルインストラクターという側面を持っていて、人格を含む全てを一旦否定する事で縦社会と命令系統を叩き込みます。

ドリルインストラクターとは言うなれば鬼軍曹という意味合いで、ここで叩き込まれるものが根性を養うと信じられています。

しかし実際に養われるものは凄惨な縦社会の先輩絶対主義であり、そういった問題に関しては名門校がニュースになったりする事で時折問題になったりもします。

事実、縦社会を学んでそこに順応するという事は海兵隊式の訓練方式であり、優秀な兵士を育てる意味合いを強く持ちます。

命令に従順な兵士は確かに優秀でしょうが、それをスポーツなどの一般的な社会に適応しようとしていると考えれば、それがどれだけ異常な事態か理解できるかもしれません。

トップアスリートが人格的に素晴らしいのは、本人の適正によるものか、周囲からそうなるように期待されているか、あるいはトップ集団に所属する事の出来る選手的な余裕から発せられるもので、スポーツをすれば礼儀正しくなるというのは少々間違っています。

そうであるなら兵士は縦社会を訓練で学び、命の重さを戦場で学ぶわけですから全員謙虚にならなくては嘘になります。

オジサンに夢を終わらされる球児という視点を持っているか?

熱中症は非常に危険です。症状もさる事ながら、処置が遅れれば一生付き合う後遺症を持ってしまう可能性すらあります。

指導者と縦社会という構図で言うと、少し前に反則行為を指示されたアメフト選手がいましたね。こういった事の最も大きな原因は指導者がオジサンであるという事です。

オジサンという勘違いを起こしている存在により、反則をした者とされた者、その双方が若い才能を費やし夢を失う結果になったわけです。

これはそれほど珍しい話ではありません。夢の為に努力する若者をダメにするオジサンは至る所に蔓延しています。

オジサンはマクラで書いたように、人生経験=知識の豊富さであると勘違いを起こしています。この勘違いから若者は才能にかけた時間も努力にかける時間も短く未完成であると思っています。

しかし実際は逆なわけです。

柔軟な発想、夢に向かう情熱、そこに向ける努力を惜しまない姿勢など、どれを取っても若者の方が圧倒的にオジサンよりも優れています。

人生の先輩であるならば、人生経験から物事を教えるスタンスではなく、相手の持っているものを尊重した指導が重要になってきます。そうである限り厳しい言葉やハードなメニューは意味を持つ事になります。

そうでないのならば、野球でもアメフトでもそうですが、指導者の望む役割を持つ駒として若者を見ているとしか言えないわけです。

こういった考え方を環境というものに照らし合わせると、選手生命や人生を思えば熱波の襲う夏の屋外で野球をさせるというのが如何に想像を絶する行為かが分かります。

スポンサーは甲子園で野球をする球児を放送する事で自身の利益を考え、指導者は過去の自分もこういった暑い中で野球をしたんだという勘違いから思考停止しています。

そもそも開催時期や開催場所をズラせないのであったとしても、取れる対策はいくらでもあるわけです。柔軟に時期と場所も考慮に入れるのであれば、それこそ選択は無限となります。

それが出来ない状況で、熱中症の対策は選手や応援するヒトに丸投げされているわけです。そこで試合するのも応援するのもそちらの自由ですから、そちらで何とかして下さいって事です。

選手は夏に全てをかけて毎日練習していると言います。しかしそれは時期を変えればそれで済みます。

そうではなくこの異常な夏の屋外で行うスポーツがどれだけ選手生命を危うくさせるのかを考えないといけません。

選手生命に関して美談として語る文化もありますが、それはフィクションという世界での話に限定するべきです。

選手生命の終わり、燃え尽き症候群、縦社会を叩き込まれた事によって起こる社会人後のオジサン媚々人生の始まりなど、良い事無いわけです。

どうして夏の甲子園に感動するのか考えた事がありますか? もしかしたらそれは未熟だと思っていた子どもが頑張る姿を見て感じる想いなのかもしれません。

しかしそういった感情を満足させる為だけに、球児を見るのは果たして健全な感情なんでしょうかね。社会の隅っこから斜めに見ているとそんな事を感じます。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










2 件のコメント

  • こんばんわ。
    少し前にコメントをさせていただいたものです。
    いつも楽しく拝見させていただいてます。

    数日更新されていなかったので、体調でも悪くされたのかと思っていました。
    困ったオジサンの相手、お疲れ様です。

    オジサンは確かに厄介な生き物かもしれません…自分が現在立っている位置は、100%自分の力で勝ち取ったと思っている輩は非常に厄介ですね。
    周りの言葉を聞き入れることはしませんし、後は格下と見た相手には言いたい放題ですからね。
    オバサンも似たようなのがいますが、どちらにしても、自分が手本だ、完成形だ、と思ってる人間はその時点で終わってると思います。
    とある、ボクシング団体の偉いオジサンとか…。

    しかし、歳をとるにつれ自らもそうならないように気をつけたいですね。

    長くなりましたが、次回更新も楽しみにしています。
    応援しています。

    • とらこさんへ

      コメントありがとうございます。管理人のリンさんです。

      どうにもご心配をおかけして申し訳ありません。並びに心配していただきありがとうございます。

      オジサンは確かに困った存在となる場合が多いのですが、大きな問題として年齢や性別の差を問わずに誰でもなってしまう可能性があるという点も挙げられます。

      その為、オジサンそのものすらも今まで日本で培われてきたものの結果として生まれた産物と言えます。そしてその産物が更に日本をダメにしている現状があり、その現状を次の世代が無理矢理引継ぎさせられる事でオジサンという機能は継承されていきます。それが団塊、しらけ、バブル、団塊ジュニア、ロスジェネ、ミレニアルと世代交代を行う事でいわゆる「大人」としての機能を劣化させ、オジサンとしての機能が強化されてきました。

      ですが、そろそろこの辺りのオジサン特有の努力至上主義や「最近の若い者は」発言などの価値観も変えないとしんどい時代になってきたよというのが当のオジサンを中心に理解されていないという点と、そのオジサンが社会にとって最も大きな影響力を持つ団体になっている点が相乗効果を発揮している日本の社会は一部の若者だけが夢を追い求め成功を収め、それ以外は社畜に代表されるような環境に在籍し次のオジサン候補としての道を歩んでいるわけです。

      マツコ・デラックスさんも言っていたように、年寄りはエモーショナルな感情で意見を言うのではなく時代に即した相手への理解を学ぶ必要があると思います。

      老人は卑屈になれという話ではなく、相手は自分よりも若く、おそらくは自分の老後を支えてくれるはずの人材なわけです。そう考えれば謙虚である姿勢を知りその上で自分の意見を出すというのが、いわゆる大人なのではないでしょうかなんて思います。

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