健康を目指す事と長寿を願う事は別問題です。




おはようございます。リンさんです。

台風一過という言葉があるように台風が過ぎた後は清々しい空が広がると相場が決まっています。梅雨のひと時の晴れ間、夏のギラギラした太陽光、秋の高い空を素晴らしいものに感じるように台風という気象現象が存在しているわけですよ。

にも関わらず今回の台風の後は大雨と来たもんです。台風が来た時より雨降ってんじゃねえかとボヤキたくなるってもんですよ。

大魔王バーンさまですらも作る事が出来ず、神の力の象徴とした太陽を拝ませてほしいものです。今頃ダイの大冒険の内容を言って、誰が分かるのかって感じですけど……。

健康と長寿は持つべき意識が異なる問題

健康に生きるという事を追い求める事と長生きするという事は同じものであると思われています。しかし健康に気を付けて生きるから長生き出来るというわけではないというのは論としては当然の帰結になるわけです。

寿命が決まっているからとかそういった運命論などを論じる必要性は無いわけですが、寿命に振り回されるのは得策ではありません。寿命が尽きる時まで健康でいる事が最も大事なわけです。

そもそも現代では寿命の考え方に問題が大きいと言えます。寿命とは生命体としての活動を終える時という意味で、それが長ければ長いほど良いという価値観を持っています。

現代における寿命の考え方の問題点とは、寿命延長の為に生命体としては機能しないような状態にしてしまう事も問わないという点です。

病床において管に繋がれて生きていると言えるのでしょうか? 最後まで自分らしく生きたいと願い自宅での看取りを希望するヒトも増えている現代において、何が何でも延命をするという考え方が如何にナンセンスなのかは問い直さなければなりません。

医療の考え方は高齢化社会において変化を迎えようとしています。人生の終わりへの活動、終活において病院で延命される事を望まない生き方や死に方が重要視されるようになっていくと思います。

そんな時に必要なものが家族の看取り、つまり自宅での看取りという事になるわけです。そしてここで重要になるのが本人が健康的に寿命を迎えることが出来るという事です。

医療行為である延命措置が必要なほどに衰弱してしまったヒトを自宅看護するのは肉体的にも精神的にも重労働です。医療による看取りという福祉への充実も重要な事になってきますが、最も大事なのは健康的に死ぬという事です。

健康的に死ぬ為には現代の価値観における寿命は長ければ長いほど良いというのは都合が悪いものです。結果として、長生きだったし死の目前までずっと元気だったというのが大事なわけです。

つまりはピンピンコロリを目指すべきだというわけです。

健康の意味

それでは健康的に死ぬ為に必要な健康の基準とは何でしょうか?

そもそも病気の無い健康体を維持する事の難しさは、加齢によりリスクが上昇する病気が実に多いという現実が原因になっています。

糖尿病やガン、心血管障害などは原因に高齢化があります。つまり長寿である事が病気のリスクを高めているという事が言えるわけです。だからこそ健康と長寿はイコールにならないのですが……。

長生きに縛られると健康を見失います。毎日健康的な生活とは何ぞやと考えたりした結果の生活であったり、何となく実践している行動が結果として健康に寄与していたりする結果、最終的に長生きだったねぇくらいの価値観で長寿は捉えたほうが無難です。

気にするべき本当の寿命

しかしまあそれでは今の日本ではあまり受け入れられないかもしれません。やはり長生きする事=徳の高さみたいな価値観が未だに残っていますからね。

瀬戸内寂聴さんだって徳は高いように感じますが、彼女の人生を知るといわゆる破戒僧と呼べるものですよね。それでも長寿なわけですから、先述の長寿に関する価値観が一人歩きをしていると言わざるを得ません。

そこで重要になってくるのは寿命ではなく人間的な活動を必要以上に制限されない程度の健康を維持しながら長生きするという考え方です。いわゆる健康長寿健康寿命と呼ばれるものです。

日本は長寿国ですが、この健康寿命と本来の寿命の年数差が大きいわけです。健康寿命とは病気と無縁であったり、病気と共生できる状態を維持している場合において、人間的な活動に必要以上の制限や介助を必要としない状態の事を指します。

対して寿命とは病床に臥せっている間の期間や認知症により介護を受けている状態も含みます。人生の最後においてヒトの介護を受ける期間と自分の力である程度生きている期間の年数に乖離があるわけですね。

さて、コレがもし認知機能に全く問題無く、怪我をしているから安静にしなくてはいけないという理由でベッドに縛り付けられている場合、どう思うでしょうか?

少なくとも多くのヒトが退屈で仕方ないと思うのではないでしょうか? 退屈だという事はそこに価値を見つけられないという事です。にも関わらず高齢の家族には長生きして欲しいと願います。

愛するヒトに生きて欲しいと願う事は尊い感情です。しかし、そればかりを至上価値にしてしまうと相手を苦しめてしまうかもしれません。

特に生命体としての活動を終える際は言葉として発する事も難しいものになりますから、家族の思いによって生きるという部分が大きくなってきます。

愛情と人間的に尊重される死に方には未だ大きな矛盾があります。だからこそ、ここに問題を抱えていると思うのならば今のうちに家族と話す必要もあるわけです。

その局面に差し掛かった時、当事者は言葉を発せない可能性が大きく、そうなるとどれだけ生きて欲しいと願って努力していても、死後に残るのは大きな後悔だけになってしまいます。

まとめます

健康長寿を目指す為に必要なものは2つです。

1つは認知機能の維持。脳の健康を保つ為の方法です。

認知機能の向上を食事によって果たそうとするのであれば、重要になってくるのが脂質の摂取です。しかもどんな脂質を摂取するのかという吟味も必要になってきます。

もう1つは運動機能の維持。筋肉を維持する方法です。

食事が糖質摂取に偏っている現代において、筋肉維持に必要なたんぱく質が十分量摂取できていない事が高齢化による筋肉や骨の老化に拍車をかけています。

健康でいる事が結果として長生きに繋がるというのは、そのうちスタンダードになるであろう考え方になります。そうなった時、寿命を至上価値にしたように健康を至上価値にしてしまわないようにしないとストレスで不健康になりかねないのでホドホドでいきましょう。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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