人類は700万年かけて飢餓に適応し、たった1万年で飢餓に脆弱になったのかもしれない




おはようございます。リンさんです。

適者生存と自然淘汰とは似ているようで意味合いは全く異なるものだな〜なんて思います。

ヒトはその生息環境を自然から人工へと切り替える過程で「淘汰」が起こる状況を自然な状態では起こらない条件にしてしまったわけです。爆発的な人口増加はその淘汰というリミッターが外れた事によって起こっています。

社会とは自然から抜け出し生きていくために必要な機能だったと言えますが、それ故に機能不全を起こしそうな場合は自分たちで改善していかないといけません。

つまるところ集団は集団の利益を優先し、時にその利益追従の過程でヒトそのものを蹴落とす事もあるって事です。

異端を作り出す事でしかまとまらない集団というのは、出来れば学校にいるうちに卒業していただきたいものです。

人類史はその殆どが飢餓であり、飽食と呼ばれる時代は瞬きの合間程度しか存在しない

人類史は700万年とも言われる膨大な時間の上に成り立っています。

更に地球史ともなると46億年という途方も無い数字の時間が経過しているので、700万年すら歴史という観点から見てみるとほんの一瞬であると言えます。

時間の悠久さに呆然としてしまいそうになりますが、そこは気をしっかり持つとしましょう。

食という観点から人類史を鑑みると700万年の殆どが飢餓との共存であったと言えます。

では飽食と呼ばれるようになったのはいつでしょうか?  農耕が始まったとされる1万年前でしょうか?

実は飽食とはここ100年程度の間の事で、しかもそれが起こっているのは局地的という限定的な出来事に過ぎません。

という事は、人類は未だに飢餓との共存を果たせていないわけです。

狩猟採集と飢餓

人類の祖先は樹上生活から草原へと生きる場所を探し求めた種だと言われています。

種として存続する為には主食が多種族と被ってはいけません。大前提として主食が不足すれば個体数が減少するからです。

草食動物寄りの雑食か、肉食動物寄りの雑食かで「主食は何か」という問いへの意見は分かれますが、肉食動物寄りと考える方が無難でしょう。

植物は競合する種も多く、見てくれだけで有毒かどうかの判別もつきません。

主食は骨髄や昆虫であったと考えると、植物や海藻などを腹に収めつつ主食を求めて放浪していたと言えます。

当然の事ながら、この期間も飢餓と共存していた事になります。

狩猟採集時代の飢餓が必ず訪れるものであった為に、長い時間をかけて人類は飢餓に強くなっていったわけです。

例えばこの時代の主食が穀物や植物であったとすると、人類は糖質代謝を主体にしていたわけですから四六時中、食料を探し求めていたはずです。

枯渇しやすいエネルギーである糖質を主体にしていたのか、作り出すエネルギーの大きな脂質を主体としていたのか結論はまだまだ先の話になりそうですが、「食べられない時間」が長い生活においてどちらがより主食として効率が良かったのかを考えると答えは脂質になりますね。

主食などの食料を考察する際に重要になるのはやはりこういった「いつでも好きなだけ食べられるような状態になかった事」を理解する事だと思います。

農耕と飢餓

飢餓と付き合い続けてきた人類に新しいパラダイムが起こります。それが農耕でした。

自分たちで穀物を作り出す。穀物栽培を主にした事によって、ヒトは狩猟採集にかける時間を減らしコムギやコメを作り始めました。

つまり食料を自前で生産できるわけですから、大前提として「いつでも好きなだけ食べられる状態ではなかった」が崩れると考えるかもしれません。

しかし実際、農耕文化は全く逆の結果をもたらします。

農耕にかかる手間は膨大で収穫量も安定しませんでした。更に農耕開始により定住する事を余儀なくされてしまった事も大きく、資源が枯渇する前に別の場所へ移動する事ができなくなります。

定住化する事で起こった事は2つあります。1つは権力者の誕生、もう1つは人口減少率の低下です。

権力者が現れる事で富の分配は偏り、貧しい者は飢餓に見舞われました。そして年齢を重ねたり怪我をしたりして生物学的に弱者となった者は通常であれば肉食獣の餌食になる所だったのを、塀や堀を作り集落を作り上げる事で淘汰が無くなってしまいました。

食い扶持が大きくなれば当然、農耕の規模を拡大しないといけませんが面積当たりの収穫量を増やす事は簡単ではありません。

となると残された手段は他所の土地を手に入れて農地面積を拡大するしかないわけです。農耕の興りとと共にヒトの歴史は侵略の歴史となりました。

侵略の目的は穀物を栽培する土地と、リミッターの無くなってしまった人口増加に対応する為でした。更に富の分配は強者と弱者で常にバランスが悪い為、どれだけ侵略しようとも飢餓から逃れる事ができなくなったのです。

人工増加と飢餓

人類が最も突出したもの。それは穀物栽培による食料の供給です。

それは主食が不足していても個体数は減少しないという自然淘汰の否定を生み出しました。

しかし、どれだけ穀物栽培量を増やしても貧しい者に食料が行き渡る事はありませんでした。

人類の歴史は狩猟最終時代が飢餓に適応していた時代とするならば、現代は飢餓に振り回されている時代であると言えます。

食料が供給されている先進国では人口が減少し、食料の供給が行き届いていない途上国では人口が爆発的に増加しています。

人類の主食とはなんでしょうか? もしそれが穀物であった場合、これだけ世界中に溢れている状態であるにも関わらず何故ヒトの健康度は低下していってしまっているのでしょうか。

どうしてヒトは極端に食べられない時間を怖がったりするのでしょうか。それは食事を取らないと体に力が入らないと信じきっているヒトがいる部分からも読み取れますよね。

人類は飢餓というものに振り回されている。かつて飢餓は共存をしていくものだったのに何故でしょうか。

問題は主食としての穀物にあるのでしょうか。それとも化学物質にあるのでしょうか。食べる事と同じくらい食べない事も少し考えないといけないのかもしれません。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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