おはようございます。今回の記事、何だかスピリチュアルな気がしてアップするのに迷いました。
まあしかし、宗教観を晒したところでリンさん個人が困るわけではないですし、そもそも宗教観ではなく相手を信じる物差しをどう持っているか。それが実際の現実ではどうなのかを思っただけの記事ですから、そんなにヤバくは無いと思います。
信仰と信心。宗教観と利他と利己
糖質制限を始めて約半年。多くの知識を学んでいくうちに糖質制限の安全性などに関しては確信を深めていく一方で、糖質制限自体に疑問を抱き続けている自分がいます。
糖質制限は信仰ではないので、疑問を持つこと自体は科学的思考として正しいとは思います。理論を追求し正しさを求めることは利己的なんでしょうか?
それとも利他的なんでしょうか?
こんなどうでもいいことに悩んでしまっていたんですが、あるものに出会ってからよりシンプルに物事を捉えるべきだな、と考えるようになりました。
とあるカトリック教徒さんのブログ
最近は糖質制限のブログだけではなく手広く色々なブログを巡回しています。本当に笑ってしまうほどに雑多なブログを探訪しているのですが、その中でカトリック教徒さんのブログに出会いました。
珍しくも何とも無い(めっちゃ失礼)ブログなんでしょうが、そこに綴られている文章からは自然体である事が如実に伝わってくるように感じ感銘を受けたのを覚えています。
そんな文章読んだところで今までなら「キレイ事やん」のひと言で済ましていたはずなのに、妙に心に残ります。もちろんそのブログ主さんの性別が女性というのも大きいです。もしかしたら男かもしれませんが。
自然体の正体

妙に引き込まれていたリンさんは過去ログから現在に至るまでの全てを読み返し、自然体の正体を探りました。花が美しいとか、出会いが全て感謝しかないとか、色々と語っている文章にも妙な抵抗感が無くスルスルと読み進めていけます。
読み進めていくと自然体の正体にも気付きました。それはライフスタイルとして生活に浸透している信仰は美しいんだな、と感じたことです。
自分は何を信仰しているんだろう?
感謝する、謙虚に生きるといった行為が自然に出来る。自然体の正体が分かった途端に羨ましくなったリンさん。自分自身にライフスタイルとして定着している信仰があるのかどうか考えました。
しかし、見つかりません。
神道は好きですが神社に参拝したりする事も無いですし、祝日全ては宮中行事と関わりがあるという事は知っていますが、それを全て説明できるような知識もありません。ただざっくりと神は万物に宿るという考え方が好きだという意味でしか信仰を捉えてなかったわけです。
宗教でなくても信仰のあるヒトほどヒトを信じる
そんな事を考えていたらふと色々と考え込むようになってしまい、宗教でなくとも信仰のあるヒトほどヒトを信じれるのではないだろうか?
と考えるようになってしまいました。
例えば結婚して守る相手がいる、家族がいて養う必要がある、恋人がいて苦楽を分かち合えるなんてのも信仰でしょうし、そういった相手ほどヒトを信じ、例え相手が信頼に報いることが無かったとしてもそれほど気にしないような気がします。
ヒトによる部分は大きいかもですが……それはどんな事でもそんなもんですし。
つまりライフスタイルの中で自分の立ち位置がはっきりしているから、相手を信じてダメだったとしても自分は揺らがないから平気なのではないだろうか。こう言うと何だか薄情に感じるかもしれない信じるという行為ですが、実際信じるという行為は利己行為であって思考はよりシンプルだと考えれば納得がいきます。
ここ、何を言っているか自分でもあまり分かっていません。
信仰をシンプルに紐解く

信仰がシンプルな利己行為であり、ライフスタイルに則って信頼を相手に置くことが出来る基盤となるのであれば。
リンさんが糖質制限に向ける思いや疑問ですら利己行為であり、糖質制限を自らのライフスタイルに組み込みたいという願望の現われなのかもしれません。
それは信仰が無くヒトを信じることが出来ないことのコンプレックスの裏返しでもあり、信仰を持ちライフスタイルを貫けるヒトへの嫉妬でもあり羨望でもあります。
さらにシンプルに考える
えー。もうちょっとで終わるので少々お待ちくださいませ。
更にシンプルに掘り下げていくと、信仰を土台に持つヒトは相手を信じることが出来るのならば、宗教が違えども、信仰の名の下にどんなヒトとでも信頼し合えるのではないでしょうか?
信仰の中身が違っていても、何かを信仰しているという根っこが同じならばヒトはヒトを信じることが出来るのでは。そのくらい世界は割とシンプルに出来ているのではないでしょうか?
つまり、ヒトを信じるという事はライフスタイルを確立しているという証明であり、信仰を持つという事は相手の信仰をも信じることが出来るのではないかと思ったわけです。
糖質制限がリンさんにとって信仰になるのかどうか分かりませんが。ライフスタイルを確立する役には立ってくれそうです。
そうなるといつかはリンさんもヒトを信じることの意味をきちんと理解できるかもしれません。今日はそういうかなりどうでもいい話でした。
最後まで……読んでくれるのか? これ?
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