アドラー心理学を用いた家族との距離感 -親離れと子離れの意味-




おはようございます。リンさんです。

春の嵐なんて言っていた割に、それ以降も寒い日が続いています。気温が温かくなってきているのは事実なんでしょうが、どうにもこうにも春の訪れってヤツは体感しにくくなっている気がします。

春なのに「色があんまり無い」ような気がするのはリンさん側のメンタル問題なんでしょうかね。いや全く否定できない所が悲しかったりしますけど……。

家族だからこそ課題を分離し、勇気を挫く無かれ

本当にヒトがサポートを必要にする場合というのは、客観的で割と無関心なレベルである他人のアドバイスというものの方が大事になったりします。というのもアドバイスであったりサポートであったりを家族から受けようとした場合、概ねこう思うからです。

既に頭の中で何回も検証した不安を散々掻き立てられるような事を嫌と言うほど言い続けられたり、子の事を思ってと言いながら子の選んだ選択肢を尊重せずに自分の価値観だけで物事の成否を語りがち。最終的には自分の言う事を聞かない事に腹を立て相手を否定する事だけになってしまう

上のような感じでかかってこられた場合、子の立場からすればどうでしょうか? 正直な所「早いところ子離れしてくれ」って感じになりませんかね。

今回はアドラー心理学を用いた親子や家族の距離感についてのお話です。

課題の分離

課題の分離とは、個人をベースにそれぞれに課題は違う事を前提にしています。つまり、人生の責任を取れるのはその人生を送る本人だけなんですね。

家族の場合、この課題を分離するという事に関して非常に境界が曖昧になります。ともすれば親の思う理想の人生というヤツを幼少時から延々と叩き込まれる事になるわけです。

親の理想の人生とは、そのヒト個人が考える理想でしかありません。当たり前の話ですが、そんな理想の人生を歩んで欲しいという願望は時として子の選択肢を狭める結果になりかねません。

そして送って欲しいと思う理想の人生とは往々にして自分が送る事が出来なかった理想の人生を指しています。この側面に気付いた場合、親は課題を分離しなけば子が真の意味で独立するという心に至った際の障害になるどころか子の自立すら阻む恐れがあります。

もちろん親として子が独立するのではなく依存しようとしているかどうかを判断する事は重要です。ですが上述のように課題の分離が不十分な場合は、そもそも子が手がかかり1人では何も出来ないと決め付けている場合が多いのです。

子どもが思った以上に手がかかる場合、それは親が依存させる環境や依存し続けるようにする環境を作り上げている可能性があります。

勇気挫き

ヒトを尊重する場合、最も大事な事は不安を助長して将来のイメージにキズを与える事ではなく、本人の抱く将来のイメージに尊重の意思を示しそれをサポートするという姿勢を見せる事です。

社会人教育ではそれでいいと思いますが、これが家族となると少々特殊なものとなります。

もちろん家族であっても親が子の抱く将来のイメージを簡単に否定する事は避けるべきですが、最も大きな問題は子の抱く将来のイメージに対して親がどこまで関与するのかを線引きする事です。

子の将来という事は金銭的なサポートというものも必要になってきますから、課題の分離、他者の尊重などの価値観を親の側が十分に知っている状態でないとそもそも子の将来というものを明確に出来ません。

知識的貧困、経済的貧困が親から連鎖する原因はここにあります。子単体で親の価値観以上のベースを作り上げる事は困難ですからね。

ここで大きく立ちはだかるのが勇気挫きです。勇気挫きとは言葉の通りで、相手の行動理由を挫いて最初の1歩すら踏み出せない状態にさせる事をいいます。

家族という関係上、勇気挫きを起こす場面というものが多く存在します。

幼少時、何でも危なくないように先回りしてしまう。子ども時代、何かしようとすればするほど親が困り怒る。学生時代、成績が悪い事を必要以上になじる。社会人になっても「理想の社会人像」を押し付ける。

他にも色々あると思いますが、これらは全て勇気挫きです。もちろん子が親に依存して生きていこうとしている場合はその限りではないわけですが、ずっとこんな調子でやってきた場合、子は基本的に依存的になります。

これは子の持つ課題ですから、それを解消する為に親が努力する部分とは依存を断ち切る事です。反対に子が依存を断ち切ろうと努力をし始める場合、上述のような親の行動はかなり最悪の部類に入ります。

親に依存する生活を断ち切らせようと願うのに、子の持つ依存しない生き方のイメージに対して否定し続けるわけです。子は自分の持つ将来のイメージをより明確に強固にしていきますが、親はそのイメージ自体が理解できないのです。

これこそが「子離れ出来ない親」と「親離れ出来ない子」を生み出していると言えます。

子はいつまでも子であり、親はいつまでも親です。しかしそれはお互いの課題に踏み入って人生を押し付けていいという理由にはなりません。

子はいつまでも子ですが、その中で育まれる人生の価値観、将来のイメージ、生きていく証は親とは全く異なるものです。

全く異なる者であるという事が理解できているのに、親は子に自分より優秀で、より良い人生を歩んで欲しいと願っているのに、相手を尊重せず自己の理想を投影する事に必死になっています。

もし親の立場で子がどうしようもないと思えたり、子の立場で親がどうしようもないと思えた場合、それは自己を映しているという事でしょう。

そういった現状から1歩を踏み出す為のツールとしてアドラー心理学という考え方が役に立てばと思います。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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