オジサンを定義する5つの特徴




おはようございます。リンさんです。

SNSが発達し情報伝達手段が進化しても、ヒトの抱える問題の根幹を解決する事は難しいというのが事実です。共感を生み出すのは難しいからとしか言えませんが、この理由が問題を複雑にしている要因でもあります。

例えどれだけその訴えが悲惨なものであろうとも、同じような経験をしていない相手からすれば悲しみという感情は伝わるかもしれませんが、それは決してリアルな感情ではないわけです。

10代や20代の主張や心の叫びに30代以上が理解を示しても薄ら寒い理由は正にコレで、共感を生まない理解は相手の心に届かないどころか言っている事が寒く感じるわけです。

これを分かっていないと相手が示す共感が寒いと思うだけで発言の内容を精査できなくなってしまう事が問題で、そうなるとどれだけ相手が良い事を言っていても受け入れる事が出来ません。

そうならないようにしようと言うのは実に簡単です。しかしそれは本当に難しい。自分の意識が偏ってしまえば、誰の意見も純粋に検討できなくなります。そうならないように意識を傾ける事が重要です。

社会の敵・オジサンの特徴

日本には貧困が蔓延っています。多くの大人は日本に貧困や歪んだ関係性の家族がそれほど存在しないと言うでしょう。しかしそれは概ね思い込みによるものです。

日本に貧困は無いという考え方は日本に差別が無いと思い込んでいるヒトの論理でしかありません。見方を変えれば物事が全て変わってくるので、自分の常識が誰にでも当てはまるわけではありません。

もちろん考え方を固持するというのは自己主張として正しい手法ではあります。しかし考え方を固持する為だけに相手の論理や新たに生まれる主張に対して思考を及ばせないというのは非常に危険です。

ヒトは常に思い悩み、自分が正しいのかどうかを問いながら生きています。そしてその正しさを相手に伝える術を人生で学び、誰かに良い影響を与えなければいけません。

それはヒトの意見を聞かない事でも、意見を変えさせる事でも、意見を叩き潰す事でもありません。正しさを問い続けるというのは正当性を確保し心を安心させる為ではなく、相手が思考を巡らす為の一助となりそれが自分の思考を上の段階へ進める手段となる事です。

そこんとこを理解できずにいる人種がオジサンという種族です。オジサンは中年男性という意味ではなく、上述のような思考と理解を示せないヒトを定義する言葉です。中年男性に多いからオジサンと呼んでいますが、悲しい事に今の日本ではオジサンは性と世代の別を問わずに発生する貧困の別名となっています。

その為、オジサンは社会の敵と思われる事が多くなります。今の論調では中年男性が問題だとなっていますが、そうではなくオジサン化したもの全てが社会の敵となり問題となるのです。

戦後、自己反省を強くした結果それが国家としての是となってしまい、相手に反省を促して自分の支配を強めるという老人達の支配者戦略が始まり、それが市井に蔓延する事で思考無き貧困が始まりました。

今の大人たちを見て若者や子どもたちが希望を見出せないのは、若者達の側にだけ問題があり反省しろと言って来るオジサンが非常に多いせいでもあります。そしてオジサンという考え方は日本人におけるスタンダードな考え方の中に組み込まれているので、「普通」の生活を送っているだけで自動的にオジサンになれる素養を持つ事になります。

これにより社会の敵・オジサンは性と世代の別を問わずに発生し、そのせいで貧困は家庭や地域社会、会社組織といった集団の中で連鎖していきます。

我々は真実の共感を得る事は出来ません。同じ境遇、同じ感情を有していない限り相手の悲惨な現状に理解を示す感情の起源は憐憫と同情でしかないからです。だからこそ、オジサンという病の根源と特徴に迫る必要があります。

知識として持ち、それを自分達の世代に取り入れない事を意識しなければオジサンを根絶する事は出来ません。何もしなければ自動的にオジサンになってしまう日本で、貧困に浸らない方法を考えなければいけないわけです。

オジサンの特徴① 自己反省を相手に強いる

日本の貧困の根源が明治維新での文化破壊と戦後の教育にあるというのはリンさんの持論です。まあ勝手にそう思っているだけなので「何じゃそら」くらいに思ってもらいこの先を読んでいただきたいのですが。

リンさん本人の主義主張は別としまして、この教育が右の主義者も左の主義者も議論が出来ないレベルにしてしまっていると考えています。

議論が進まない国家は停滞しかありません。既に世界から経済政策は失敗していると思われている日本の大きな問題にこの議論の進まなさがあります。世界は例え紛争だろうと武力重視の政治思想優勢だろうと、白人主義者の大統領だろうと、それらを選択し前に進んでいます。

日本だけが物事を前に進めることが出来ていません。ずっと誰かの不祥事をこねくり回して、誠意を相手に問い反省を求めています。そしてこれが政治家だけの問題だけではなく、日本に蔓延する社会の敵・オジサンによって日本社会全体にもたらされています。

日本の貧困の原因はコレが大きな要因となっています。誰の周囲にでもいると思いますが、相手への反省を求めるばかりで自分の事を全く顧みないヒトっていないでしょうか? 程度の差はあってもそれは政治家も庶民も会社社長も社畜従業員でも存在しています。

では何で相手の事ばかりを槍玉に上げて自分の事を棚に上げるのでしょうか。それはこういった人種が自己肯定感が低いからと言えます。自己肯定感が低いという事は自己評価が低いという事と同義です。自己評価が低いヒトは自分自身の評価をしません。だから無駄に自信に溢れていたりもします。

当たり前の話ですが、それでも評価が低いという結果は変わりません。そうなると自分の評価を念頭に置かない彼らは相手を下げるしかありませんね。でも相手はそれほど簡単に自己評価を下げてくれません。

だから正義の名の下に相手の誠意を問います。その問答で相手が誠意を持った回答をしなかった場合、相手は自動的に倫理的に問題のあるヒトであるという判断をされます。そうする事で相手の評価を下げるわけです。

そしてその正義を実行した自分がさも素晴らしいヒトであると感じるようになります。しかしそもそも誠意のある人物とは何に置いても公平であり、誰に対しても議論を尽くそうとするヒトである事は誰もが分かり切っています。

だからこの手法で相手を論破しようとする人物に関して貧困を生み出す主義から脱却しようとするヒトは冷ややかな視線を投げかけます。ちょうど、議論を尽くそうと頑張っている誠意のある人物が呆れて相手を見放してしまうように。

オジサンの特徴② 現実逃避する

自己肯定感の低さは他者への攻撃性を増やすとはアドラー心理学の考え方です。自己肯定感とは相手と比べるまでも無く自分自身へと価値を見出す方法です。

これが過剰に低くなると、物事に対する考え方を絶対評価から相対評価へと移行させていきます。本来の意味合いとは異なりますが、自分自身を評価する絶対評価から相手と自分を比べる相対評価へと変わるわけです。

これは上述の自己反省を他人に強いる事と同じ現象を引き起こしますが、オジサンによってそれは更に厄介な問題を呼び起こします。

それが現実逃避するオジサンです。現実逃避の手段は実に多彩で、しかもその全てにおいて自分に責任が無いといった論調を持ちます。そして最悪な事に相手に対しては現実をしっかり見つめなさいと反省を促します。

オジサンの特徴③ ヒトの価値を認めない

自己肯定感の低さは様々な弊害を生みます。最も大きな問題点は相手の反省ばかりを促し、それにより自分優位の支配を行おうとする点ですが、それ以外にも問題は存在します。

ヒトの価値を認めないというのもそういった問題の1つです。相手の意見を認めない事で自分への自信の無さを隠そうとします。

また価値観を認めないの派生として、認めているように話しながら相手へ共感を示すだけで相手の心理を操作しようとするヒトもいます。

社会が自己反省を強いて相手を支配しようとする病気に支配され、それが常識となった時代において有効活用しているとも言えますね。

オジサンの特徴④ 知的教養が低い

知的教養とは好奇心の1つです。ただ本を沢山読んでいれば教養があるわけではなく、知的教養とは知識やそれに対する考え方の柔軟性を持っているかどうかを指しています。

高度経済成長をもたらした世代が持っていた教養はだんだん薄れていき、知的教養のある大人を探すよりも全く教養の無い大人を探すほうが楽な時代になっています。

今では知識を持つに至った少数の人材が知的教養を持ち、それ以外が貧困に喘いでいます。一億総中流は日本人の目指すべきものを歪めてしまったようです。

三島由紀夫が予言したように、この日本には強かだけどアホみたいな人種が残ったわけです。もっとも三島由紀夫はリンさんのように語彙力が少ないヒトではないので、もっと文学的に評していましたが……。

オジサンの特徴⑤ アホな持論を持っている

自分の経験談を語るヒトの話は実に退屈です。酷い言い方をするのであれば、戦争の悲惨さを語る事で戦争をしないような考え方を受け継ぎましょうっていうような話です。

そんな事を語るのであれば、被爆ピアニストで有名な好井敏彦さんのような活動の方がずっと重要でしょうに。日本人は道を語るのだけが好きなので困りものです。大事なのはその道に至る考えを持つ事なんですが。

身も蓋も無い話で申し訳無いのですが、思考を止めた者の話からは思考を生み出す事が難しいのです。教養のある大人を見て初めて次の世代は思考を持つことが出来ます。

背中で語る美徳とは相手にキッカケを与える事でしたがその美徳を語れる背中が無くなってきた事で、オジサンは経験談を語り、それがまるで武勇伝のように誇るようになりました。その話が実に退屈なので、若い世代には刺さりません。

刺さらない話をして自分の背中を見て学べと言っているのが持論を語るオジサンの正体です。でもまあ相手はこういったつまらない話をしても誰も求めていないんだなという事くらいは背中から感じるかもしれません。

背中で語る美徳もオジサンによって破壊されてしまった日本の美しい思考の1つです。この思考に自分の存在が見合っていると思えるオジサンが増えすぎる事で将来に絶望する次の世代が増えているのかもしれませんね。

まとめます

自己反省を相手に強いる事で自分の評価を誤魔化し、相手への優位を保ち、自己正当化を促します。これがオジサンの持っている特徴です。

この特徴を最も多く有しているのが中年男性を代表するオジサンであるからオジサンと定義されているだけであって、オジサンは性と世代の区別無く発生します。

日本は貧困を生み出す自己反省を美徳として教育された結果、誰もがオジサンになれる社会を築き上げてしまいました。

イジメ、ネグレクト、毒親、ブラック企業などなど、これらオジサンの特徴が遺憾なく発揮される事で日本の社会はかつてないほどの精神的な停滞を招いています。

重要な事はこういったオジサンの特徴を次の世代が引き継がない事、次の世代に引き継がない事です。そしてそれを意識する為には日本に住んでいる自分がオジサンになる要因を多く持っている事に気をつけて生活を送っていく事です。

自分の健康に関して向き合う考え方にも似ていますね。

ゆとり教育自体はオジサン主導になってしまった為にオジサン達にとって使い勝手の良い若者を生み出す事に特化してしまい失敗してしまいました。思考を停めたオジサンの老後の面倒の為に、若者の思考も奪ったわけです。

しかしゆとり教育の中で多様な価値観を持つ事を重視する世代も生まれました。その中から知的教養のあった時代の日本を愛し、今の日本の抱えているオジサンという貧困の根源を無くそうと考える世代も現れ始めています。

30代以降のそういった多様性に関して少々違和感を覚えてしまう世代はそういった事に注意して生きていかなければなりません。しかしそれは若い世代に合わせるだけで自分が全く無い意見を繰り返す事ではありません。

それでは中身も無く歳相応の知性も無いSNSでのメッセージを垂れ流すオジサンと変わりません。知的教養、世代に見合った価値観、相手の価値観を認め何よりそれを検討できるだけの思考力を持つ事が求められています。

その結果、若い世代と同じ価値を共有する事を選択する事や、それ以外の方法で多様性を実現する方法を模索する事が教養に繋がりオジサンという考え方の存在を根絶する事が出来ます。

知的教養を高めましょう。自分自身の価値を見直しましょう。少なくともそうしないとオジサンと認識されてしまった社会で相手と対話しようとしても、そもそも相手にしてくれませんからね。

いつかオジサンになってしまう可能性の高いリンさんの自戒として以外に誰かの思考の一助になれば幸甚です。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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