笑いの健康学 -ブラックユーモアと知性-




おはようございます。リンさんです。

スタンディングデスクを導入しました。とは言うものの、元となる机は学生時代に弟が愛用していた学習デスクで、その上にテレビ台の移動用キャスターを取り除いたものを乗せただけのものです。

ディスプレイはそのテレビ台には乗せずに学習デスクに乗せて、テレビ台の端に引っ掛けてやや斜め上方に向くようにしています。キーボードは打鍵に際してやや低い印象だったので、キーボードレストの代わりに長方形の滑り止めゴムを使いました。

問題は足の緊張です。元々、歩行に変なクセが付いている上に体重が重いので重心がかかとに寄っています。そこまで分かっているので爪先立ちで対処していますが、まあそのうち慣れるだろうなという感じです。

座っているよりも他のものに意識を持っていかれないような気もしますし、結構ずっと立っているのでスクワットしたり足踏みしたり軽い運動にもなっている気がします。更に立ちっぱなしで疲れているのでしょう、よく眠れます。

まあ暫くはこのままで良いと感じています。

笑いと健康、ブラックユーモアと知性

笑うという事は健康に良い影響をもたらします。それは常識として広まっているくらいの健康知識なわけですが、実際のところ笑いと健康とはどういう関連があり、またどういう笑いが健康への影響を強く発揮するのでしょうか。

ヒトは作る表情によって自分のベースとなる感情を構築しています。感情や性格は環境や経験によってもたらされると考えられがちですが、実際はその環境や経験を通して最も多かった表情によって形成されていきます。つまり笑うという行為は例えどれだけ難しい環境であっても局面であっても感情を前向きに持たせてくれるというわけです。

良い影響という部分で考えるとヒトは笑う事で病に前向きになる事が上げられます。毎日多くのものに感謝をし「ありがとう」を欠かさず行った結果、ガンを抑制したという話もあるくらいです。

さらに逆説的にも、虐待を受けている子どもが親に笑顔を向ける、あるいは常に笑顔を絶やさないようにするという行為を取ります。これは笑顔でいなければ暴力を振るわれるからという理由の他にも、笑顔でいる事で幼い精神が崩壊しないようにしているとも言えるのです。

では何故、笑いが物事を前向きに捉えるような精神を構築してくれるのか。それはヒトが幸福であると感じるシステムにあります。笑いは口角を上昇させる行為という側面を持っています。

ヒトは口角が上がった状態の相手に好感を抱き、口角が上がっている状態の自分が幸福であると判断します。笑うという事を脳が肯定的な環境と判断して、そう思い込む事で肉体にも変化を与えます。

簡単に言うと、ストレスを感じている状況だとストレスに対抗するホルモンが分泌されます。そしてストレスが長い間継続すると、抗ストレスホルモンの分泌自体が疲労し問題が起こってきます。これが免疫が低下している状態です。

反して、笑っている状態というのはストレスを感じていない状況です。そうすると抗ストレスホルモンの分泌も必要分だけになるので疲労が少なくなります。そうすると正しいタイミングでホルモンを分泌できる状態が長く継続できるので、免疫が上昇している状態であると言えます。

笑うという事は身体全体の免疫を上昇させるのです。

笑う事と笑わせる事

笑う事で身体は免疫を向上させ、病気への抵抗を強くします。何より笑いは精神的な脆さを打ち砕く万能の感情です。となると笑う事もそうですが笑わせる事も重要であると考える事が出来ます。

笑いを生み出すヒトというと日本ではお笑い芸人さんが主体ですね。面白い表情やリアクション、ヒトと異なる特殊な体型や顔立ち、モノマネなど笑いは様々です。その中で免疫を高める笑いに自虐笑い、つまりブラックユーモアがあります。

海外の研究ですが、自虐的なユーモアを表現する傾向のある人物は幸福感などのメンタルの健康と社交性の程度が高いことが観察できたらしいのです。つまり自虐笑いを口にする人ほど実は社交性が高くユーモアに溢れているという事になります。

ブラックユーモアを笑えるように話せる知性を持った人物の社交性や健康度が高いというのは理解できます。不幸な状況を笑えるように話せるヒトという事ですから、先ほどの笑いと健康の話と同じ理屈だからです。

しかし日本では少々注意が必要です。もの凄く的確に南海キャンディーズの山ちゃんが言っていた言葉に「そんな事無いですよ待ち」「言葉のカツアゲ状態」というのがあります。通常、ブラックユーモアや自虐笑いとは相手に卑下した自分の状況を笑わせる為に展開します。しかし日本ではそれは笑いではなく同情あるいは共感の言葉待ちである場合が往々であると言えます。

自虐笑いが笑いを生み出す手段になっていないのです。よくて面白くないオジサンの面白くない戯言程度の認識でしょう。これには少し悲しい事実があり、自虐笑い、ブラックユーモアにはある程度の知性が必要とされるからです。

集団や世代によって完全に知識が分断されてしまった日本では知性も遮断されてしまっています。ちょうど、自虐笑いが理解出来る層と出来ない層でアポロチョコのようになっています。知性の二極化は先進国で起こっている現象ですから特に今さら問題視されるものではありませんが、日本での知性の二極化には特徴がありヒエラルキー下の知性が低い層が圧倒的多数になった結果、社会が知性を否定しているという点があります。

自虐的な発言、自己を卑下する発言をする事で何故か自分がバカにされていると感じるようです。反省を相手にさせる事が最重要な社会において相手のほうから自分を卑下する発言をするのは、相手の劣等感を刺激してしまいます。相手の弱いところを自分自身で攻撃したいのに、先に相手から曝け出すから面白くないのです。

簡単に言ってしまうと、日本人はその自虐を自信の表れであり自信過剰・自意識過剰であると判断します。

前向きなバカを礼賛するなとは言いませんが、それだけに固執して後ろ向きなカシコを否定するのには問題を感じます。明るくないと笑いではないとすると、それは笑うという事を単純に捉えすぎています。笑いとは純粋に笑う事もそうですが、笑う為に必要な知識と知性を持つ事も必要とされないといけません。

ジョークと皮肉

さりとて自虐笑いやブラックユーモアを発信する場面にも注意が必要です。

よくオジサンがしているような場面の空気を読まない発言、最近だと肺がん患者の意見陳述に「いい加減にしろ」と野次を飛ばした政治家とかでしょうかね。ああいった発言はブラックユーモアではなくただのイタイ発言です。

ジョークが言えるだけの知性がある事を匂わせるような発言を行う手段というと、やはりお笑い芸人さんが参考になります。テレビとは編集されたモノを提供しているシステムですから少々誤解が多くなりますが、テレビでのお笑い芸人さんの発言とはその番組が求めている事に対してジャブ、フック、ストレートなど様々な強さで発信されています。

これをストレートだけで発信しているのが国会中継とかです。彼らは予定調和の中でヒマだから変な発言を何も考えずに発信してしまいます。発言により笑いという実績を生み出さなくてはいけないお笑い芸人さんとは全く異なるわけですが、そもそも国会にいるようなヒトに知性が感じられないとは何という皮肉な国家だと言わざるを得ません。

優れたリーダーは優れた知性とジョークを好む傾向にあるのですが、今世界を見渡しても優先されるリーダー像とは清潔感や自信家など即断しやすく分かりやすいものが好まれています。

ジョークや皮肉を好むリーダーは政治の世界にはもう登場しないかもしてません。それは民主主義の限界を物語っているからです。民主主義の限界とは政治家の劣化、そして国民の劣化です。民主的な議論を前向きに進めるためには笑いと知性が欠かせません。

笑う事を重要視できるヒトは知性が高く、それだけ周囲の事を理解しようと努めます。更に自分と相手の違いを理解し妥協点を見出したり、逆に妥協できない点を明確に示す事が出来るからです。

多数派が常に議論の決定権を持つ民主主義において知性が高いものが少数派になる事には問題があります。というよりもそのような知性の持ち主が民主主義を動かす側になる事に問題がありそうです。

ブラックユーモアとサイコパス

またブラックユーモアの中にもかなり後味の悪いものが含まれています。それらは戦争、死、病気、ハンディキャップ、邪教崇拝など様々な種類があります。そしてこういったユーモアを好むヒトがある一定数存在しています。

こういったヒトたちの知能指数が非常に高いという事が知られています。その知能の高さの所以はサイコパスの脳であるという事が理由として挙げられます。

通常、サイコパスは社会的な道徳が理解できない為に反社会的な行動を平気で行えるヒトを指します。しかしこの定義には異論が存在します。

サイコパスは社会的な道徳を理解できます。有能な詐欺師も大量殺人犯も相手への共感を打ち出して被害者へと接近しています。この事からサイコパスは社会的な道徳が理解した上で、犯行に及んでいる事が分かります。つまりサイコパスは社会的に悪い事だと理解出来る知性があるけど、それが本当に社会的に悪い事だと実感できないわけです。

そしてサイコパスに共通する脳の仕組みを多くのヒトが持っている事も解明され始めました。という事はブラックユーモアを好む知性の高さとはサイコパス特有の脳の仕組みに由来しており、それは先天的なものであると言えます。そして、サイコパスが犯罪者になるかどうかは本人次第であるというわけです。

またこういったブラックユーモアを好むヒトの方が好まないヒトよりも精神的な攻撃性が低いという研究結果も出ています。実に不思議な話ですが、サイコパスは攻撃性自体は低いのです。やはりサイコパスの行動が過激になるのは本人によるところが大きいといえます。

また攻撃性が低い理由としてブラックユーモアで表現される「違い」と通常の笑いの中で表現される「違い」の双方を理解出来る知性があるからと考えられます。そういった違いを理解して、それを理由に社会的に差別する事は問題だけど、それを表現して笑える場もあると理解できるわけです。

場面を考えて良し悪しを判断する事を公と言い、個人の立場で物事を考える事を私と言います。公私の区別をつけるというのは、こういった風に物事に分別をつけることでもあります。

最後に、先天的なサイコパス脳の持ち主はブラックユーモアを好みますが、年齢を重ねる中でこういったブラックユーモアを好むようになると注意が必要です。先天的な嗜好以外でこういったブラックユーモアを好むようになるのは認知機能の低下が要因であると言われているからです。

認知機能が低下する事で攻撃性が上昇し、嗜好が変わってしまうようです。

笑いについて考える機会になれば幸甚です。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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