人生を学びの場に変える意識の持ち方




おはようございます。リンさんです。

謙虚に生きたいと願っています。しかし常に否定され続けてきたと思い込んでいる自分の人生において、卑屈な部分を改善できない自分に嫌気も指しています。

しかしまあこれで一応、完全なパッケージとして出来上がった人間なわけですから否定には意味が無いって事だけは理解しています。

外部刺激が少ないと、思考が淀みがちになってしまいます。きっと暑いのもダメな理由でしょう。

人生は常に学ぶ事でしか開けない

学生時代に右往左往して嫌いだった勉強ですが、社会に出て役立つかと言えばそうではないという事が回答ではあります。しかし勉強などで強制的にでも学ぶ事で論理的な思考という脳の使い方を覚えるので無駄ではないと感じます。

そしてこの論理的思考を持って自分の社会を豊かにする為の戦略を練るのが社会に出てから求められるスキルであるわけです。そうなると学びの場と言うものは人生を通してずっと存在し続ける事になるので、人生は常に学びの場であるというのは間違っているわけではありません。

更に学ぶ事で、どう現状を打破するのかを考える機会も増えますから、人生は常に学ぶ事でしか開けないという結論を出す事になります。

しかし学ぶと言っても色々あるわけです。会社に属する為に必要なスキルを学び、それを資格にする事で給与などの待遇を改善するのも学びですし、円滑な人間関係を築き上げ過ごしやすい時間を作り出すのも学びなわけです。

個人で生きるという選択肢を選ぶ事も学びが必要になりますし、個人で生きる為の方法だって千差万別ですからそれだけ学びの種類が存在するという事になります。

そうなると一体何をどう学べばええねんって事になってしまい、何も手に付かない可能性も出てきてしまいます。そうならないようにする為の方法論として、今回は2つの思考軸を考察していきます。

思考軸① 新たな価値観は若い世代からこそ学べ

自分より年下だと思うと途端に人生経験が自分より浅いと決め込んでしまい、ナメてかかるって事は誰にでもあります。

確かに若い世代に比べれば自分は社会経験や人生経験も豊富かもしれません。しかし、それは相対的なものであって個人に絶対に当てはまるような事では無い事が事実としてあります。

つまり、年下だろうと自分よりも社会経験が厚いヒトだって人生経験だって凄まじいものを経験しているヒトだっています。自分自身と同じような人生を過ごしている相手なんて世界中を探しても存在しません

その中で共通点を見つける事でヒトは相手と理解し合っていると認識するわけです。という事は、相手の経験が自分よりも浅いと決め付ける事は相手との共通理解を阻むものになってしまいます。

それは結果として、相手の持っている刺激的なほどに新しい価値観を最初から否定してしまう事になります。そしてそれが学びの場を否定する事になります。

全ての若い世代を受け入れられるようなヒトになろうという事ではなく、自分自身で学びの場は狭めているのだと理解する事が大事です。

誰かとの会話に無駄を求めないヒトはいませんよね。当たり前の話ですが誰かとの関わりとは効率だけを重視するのであれば無駄の多いものです。ですが無駄が多い事と結果として無駄だった事は全く別の話です。

無駄話こそ相手の価値観を知る大事な部分であると言えます。これを学ばないと決めるという事は、新しい価値観を学べないという事と同義だという事は理解しておかないといけません。

思考軸② 自己の反省こそ年上の世代から学ぶべき

自分を客観視するというのは想像以上に困難な事です。自分自身をしっかり客観視できていると思えば思うほどに価値観が凝り固まってしまうからです。

そこで重要になってくるのが年上の世代の存在です。ここで年下に目が向いてしまうと、先ほども書いたように新しい価値観を学ぶ場の機会を設ける事を放棄する事を意味します。

決め付けてしまう事で最も大きな無駄が発生するわけです。しかしコレを全ての自分より若い世代にするべきだというわけではありません。若い世代だから無駄が多いという思い込みを無くすべきだというだけです。

反省をするに当たって大事なのは年上の存在にこそあります。年上というのは自分よりも人生経験が豊富です。そしてその人生経験からアドバイスしてくれる事でしょう。

その中から「コレは素晴らしいな」とか「コレはアカンな」とかいう価値観を見出すわけです。

特に自分より年上の世代や、役職的に上が存在しなくなった世代は、相手を通じて自分を客観視するという手段を無くしてしまっている可能性が高く、非常に勉強になります。

そしてここで肝に銘じておく事が、自分も年上の世代がいなくなったりしたら反省が困難になるんだろうなという事です。

簡単に言うと謙虚さを忘れてしまうわけです。年下をナメてかかるのは別にいいわけですが、そうすると自分の人生の首を絞める結果になるという事も理解しておかないといけません。

よく聞く話が、厚遇してやった部下に手を噛まれるような結果になる上司ってやつでしょうかね。自分の価値観を伝授したと思っていたら、部下の方はハラワタが煮えくり返っていたって感じの話です。

学べていると思えばそこで人生の学びの機会が失われ、相手を否定すればするほど自分自身の価値観を貶めてしまうってわけですね。

中々そうは言っても難しいもんですからね。出来るだけコレを忘れずに日々を生きていかなきゃなりません。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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