おはようございます。リンさんです。
美少女を売りにしているゲームが嫌いなのか? と聞かれれば嫌いではありません。むしろ好きですと答えます。
ただ今のリンさんに需要があるのかと聞かれると「無いね」となります。というのも海外の洋ゲーの存在が大きいです。日本のゲームがシナリオ提供型のクローズドな世界観の物語であるのに対し、洋ゲーはオープンワールドでシナリオは提供するけどどうするのかはプレイヤー次第といった部分が非常に大きいものです。
シナリオがありそれを紐解いていくのは変わりませんが、その間に出来る自由度の高さやそこに至るまでの過程はプレイヤーの数だけ存在しているわけです。
コンテンツとして消費されるのはゲームなどの宿命ですが、どちらが長続きするのか? 続編まで愛されるような作品づくりが出来るのか? そういった事を考えると洋ゲーが面白いかなとなってしまいます。
女性を商品化するのがケシカランとか、デジタルコンテンツを性の対象としているからダメなんだとかそんな意見はドウデモイイのですが、比率として女性が多過ぎるのは意味が無いとは思います。
でもそういったアイドル戦略をとっているゲーム自体には否定的ではありません。いわゆるキャラゲーは日本における大事な文化だと思うからです。
純粋な面白さはどっちなのか? 考え出したらキリがなさそうです。
肉と魚とたまごとチーズ最強説

糖質制限を学んでいると、その中で随分と植物性食材を目の敵にしているヒトもいます。リンさんもそういった分類の中の1人であり、動物性食材のチカラ万歳などと思っていたりします。
どうにもこうにも糖質制限を学ぶと、この理論の軸を補強する説をたくさん学びたくなるもので、これは世間一般的な考えと異なる為に働く予期不安の解消行為であるとも言えます。
また以前は植物性を推奨していた立場だったが糖質制限の素晴らしさを知ったから植物性よりも動物性だと言っているヒトもいますし、その中で論調が過激かマイルドかはヒトによります。
この記事では、糖質制限実践者たるセイゲニストと呼ばれる面々がどうして植物に関して厳し目の見解を持っているのかを考察と言うか分析していきます。
自分の事なんですが、言っている事がどれだけ正しかろうがその正しさについて相手の理解を得なければ何も正しさを伝える事なんて出来ないわけです。
道を求めるものは全員が求道者ですが、その道を極めてもヒトを連れ歩く事が出来なければ意味が無いわけです。求道者であっても極めた道を残す手段を持たなくてはいけないのです。
じゃないと、タダの色々考えているヒマなヒトですからね。
①植物の生存戦略

全ての生物は生存戦略に則った生き方をします。草食動物が肉食動物から逃げられるように適応してきたように、肉食動物がより狩りに特化した身体に変化してきたように。
植物も例外ではありません。しかし植物はその場から動く事ができませんから、生存戦略は受粉を手伝ってもらう相手と、生存を脅かす存在への対処を必要としました。
そこで登場したのが毒あるいは毒性を発揮する依存物質です。
まず、依存物質を与える事で1部の動物や昆虫を虜にして受粉作業のパートナーにしました。次に毒をまとう事で害虫が近づかないようにしたわけです。
植物の天敵は植物を枯らす相手ですから、主に昆虫などの小さな生物です。ですから植物の毒はそういった種類に関しては致命傷を与えるものでした。
しかしヒトという種が植物を採取し食べたところ、毒として作用するはずの成分が、濃度が足りないせいで有用な効果を及ぼす事になります。薬の誕生です。
ポリフェノールと呼ばれ有益なものとされるものも、植物性毒素と呼ばれ忌避されるものも最初は全て同じ理由から生まれたものです。ただ身体の大きなヒトには効きにくく薬のように作用してしまっただけの話で、毒は毒なわけです。
植物性の栄養分はその植物が健全に育つ為に必要なものです。ですから草食動物ではないヒトの身体には未だに解明できていない不具合を起こす可能性もあります。
ですから植物性ばかりでは危険だよと言うのです。
②植物性栄養素の利用効率

続いての理由もヒトが変わった肉食動物であることに起因しています。そもそも植物の栄養素をしっかり吸収しようとすると植物をメインで食する草食動物でないといけません。
しかし腸の長さも葉の形状も肉食動物のそれであるヒトは植物に薬理効果があると思って好んで食べているだけで変わり者の生物であるわけです。
もともと植物に最適化していないヒトの身体では植物から得る栄養素だけでは身体の維持が出来ません。しかしそんな事はお構い無しにヘルシーで健康的であるという理由で植物を好んで食べています。
単純に植物の吸収効率が悪いわけです。しかし植物の有用な効能である食物繊維やポリフェノールといったもの自体まで否定する事は無いと思うのですが、そうもいかないヒトもいます。
そんなときは、自分がどう感じるかで思考を分けてしまえばいいわけです。
最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。
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