マナーへの勘違いと、その延長線上にあるオジサンと老害




おはようございます。リンさんです。

いつ聞いたのかは忘れてしまったのですが、正義を背負うものは敗北者となるというのが印象に残っています。

確かに正義とは対立する相手が明確に悪でないと存在できない特殊性を持っていますし、その悪の定義も「誰かが悪だと断言しているから悪いに違いない」とか「常識的に考えてきっとそいつは悪だろう」とか曖昧なものです。

ヒトは正義の味方に憧れますが、それは現実では決してなれないものだからではないでしょうか。現実問題として正義とは感情による社会的な淘汰であるとしか定義できないからです。

自分自身を守る事は大事ですし最も優先しなければいけないものです。しかしそれを為す上で正義を行使するのは止めておいた方が良さそうです。

「自分は正しいのに周りは何で分からないんだ」と言ったり振舞ったりしている大人やオジサンを見ると見苦しいと思うでしょ?

ああはなるまいと思っていてもやはりなってしまう確率は高いわけです。上記のような見苦しい大人しか見ていないから自分もそうなりかねないというのは肝に命じておきたい事の1つです。

マナーとは自分を律する手段

諍いは全て人間関係から発生します。特に人間関係における相手との認識のズレやギャップが大きければ大きいほど問題が大きくなる傾向にあると考えられます。

特に近年では自己肯定感とそれを補強する他者貢献、ヒトの多様性を柔軟に受け止める姿勢などが叫ばれて久しいわけです。

そういった価値観についてある程度の理解が及んでいるのが若い世代に多くなっている反面、そういった価値観への理解が及んでいなければ理解する気も毛頭無いのが古い世代という事になります。

現在この岐路に立っている日本の社会ですが、若い世代にも当然のように「多様性って美味しいの?」くらいの認識の層が存在しています。

そういった層はオジサンや老人の作り上げた社会に適応できる為に、次のオジサン社会を担う存在として社会に浸透していきます。

そして多様性ナニソレ社会を存続させ続けるので、多様性を認識する社会とは隔絶される事になります。

団塊世代以外では出生率はそれほど変わらない為、団塊世代がこの世を去ってしまうとおそらく価値観は一気に転換します。

比率として同等程度存在していたとしても社会的な流れや、多様性を求める声はこれからも大きくなり続けるからです。

つまり今でも十分問題視されているオジサンですが、20数年後には確実に害悪扱いされるようになるという事です。

そういったオジサンの最たる例が「会社に在籍していた時の役職が抜けきらないオジサン」です。

こういったオジサンは趣味というものがほとんど無く、仕事仕事のいわゆる仕事人間でした。

ほんの少し前までならば退職した後の亭主が家にずっと居座るから嫁の機嫌が悪いで済んでいたこの問題が何で大きくなったのでしょうか。

日本はオジサンを生み出す貧困のスパイラルに陥っており世代を重ねるごとに劣化したオジサンを量産し続けています。

嫁に煙たがられるけど周囲に迷惑はあまりかけないオジサンから、周囲にもガンガン迷惑をかけるオジサンにランクアップしたわけです。

では何で周囲に迷惑をかけるのかというと、特に会社時の役職で物事を考えるオジサンが増えてしまった事と、専門性や特殊性を活かすという事の意味を勘違いしているという2つが考えられるわけです。

退職後に家にいると妻は機嫌が悪く、子供たちも独立していて相手にしてくれません。独身男性だけでなくオジサンは総じて孤独です。

では何故、孤独に陥るのかというとオジサンが社会への関わり方を自分目線で上から見ているからとしか言えません。

かつて高い役職にいた自分、高い専門性を持ったスキルを持っている自分を役立てるように社会はあるべきだと考えてしまうわけです。

世間と呼ばれるものを社会に出ているから知っているのだと勘違いしがちですが、基本的に会社に属しているうちに経験する社会とは非常に狭い社会でしかありません。

会社でのスキルや役職など特に関係するわけないのです。それどころか退職後の社会的な役割とは謙虚に実績を積み重ねる所から再スタートしなければいけない類のものです。

こういった部分で趣味のあるヒトが退職後の社会生活で鬱憤を溜めにくいわけです。すでに会社以外でのコミュニティに属する術を心得ているからです。

社会的な孤立とはコミュニティに属する為に自分の立ち位置をしっかり認識できるかどうかにかかっています。それがいわゆるマナーと呼ばれるもので、自分を律する為に使われる手段なわけです。

自分の為に使うマナーは手段ですが、オジサンの使うマナーは他人を否定する為に使う目的ですから嫌がられる事になります。

過剰サービスと主体的を取り違えた自己中心的オジサン

日本のサービス業は非常に細やかな部分にまで配慮しています。しかもそれは安価に提供され消費者にとっては嬉しい限りの話です。

しかしこのサービスは過剰になっている部分も存在しています。

従業員がサービスする側として心がける「お客様は神様です」が消費者の方から要求をする「お客様が神様だ」に成り代わろうとしているのが現状を表しています。

これについてマナーの悪い海外の旅行客というような表現をされる事もありますが、実際とは異なる印象を受けます。

海外では基本的にサービスとは対価を支払って受けるものです。接客時に従業員が色々心を割いて応対するという点で言えば日本はかなり特殊なわけです。そういったサービスはチップが必要になる時ですからね。

接客におけるハラスメントであったり、消費者としての立場から物事を進める態度を取ると言った事を確かに海外からの旅行客もするかもしれません。

当然、足元を見るヒトは少なからず存在するからです。しかし日本国内で日本のサービス業を受けているのは大半が日本人ですから、足元を見て妙な要求を行なっているのは比率として日本人が多いというのは当たり前の話なわけです。

サービスである、自分は消費者である、善意の意見であるといった事柄は全て自分自身の正義の話でしかありません。

ですからそういった話はどれだけ自分の側が正しいと思っていようとも社会的には正しくありません。ここが分からないオジサンが増えているのです。

おそらく団塊世代が高齢者に突入するに当たって、そういった困ったオジサンが様々な現場を混沌とさせる事でしょう。

医療費、人材、生活保障など全ての社会的セーフティやインフラが食い潰されないようにしないといけません。

その為にはまず自分がオジサンにならないように気をつけないといけません。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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