夫婦別姓とキラキラネームの対策




おはようございます。リンさんです。

進化を紐解いていけばヒトの代謝駆動の理解は難しいものであると言えます。そこで参考にするのが他の種族の進化です。今回は海の生物・ラッコを挙げてみましょう。

ラッコは泳ぎが苦手で魚を捕まえる事が出来ません。しかも寝ている間に潮に流されないように海藻を身体に巻きつけたりもします。海藻が無い時は味方のラッコと手を繋いで眠ります。

泳ぎが苦手な原因が海へと進出した時期にあります。クジラの祖先は5,500万年前、アザラシが2,600万年前ですが、ラッコは4~500万年前と他の生物と比べて短い期間しか海に適応できていないわけです。

ホモ・サピエンス以前のヒトの祖先であるサルが駆動していたのは糖代謝で、その長さは700万年。人類の直接の祖先であるホモ・サピエンスは脂質代謝を駆動し、その長さは250万年。そして人類が穀物栽培を始めて糖代謝を中心にして1万年。

ヒトの代謝がどう駆動するのか。やはり難解です。

夫婦別姓とキラキラネーム

選択的夫婦別姓という議論がされていたはずですが、最近はそういった話も聞きません。政治に興味が無くなってしまったわけではないのですが、議論の意味を忘れた老人たちの井戸端会議を見ているようで悲しくなってしまいます。

そもそも与党と野党の議論とは政治的信条の異なる者たちが国益に対して吟味して前に進めていくというものであり、そういった議論の時間を必要とするために時間がかかってしまうというのが議会制民主主義です。

そういう風に考えると今の国会が如何に滑稽なのかが際立つわけです。議論を前に進めないというのは政治的駆け引きであり手段なわけです。それで相手の反応を見たり焦らしたりという戦術を用いて交渉を行うわけですが、今の政治ではそれが手段ではなく目的に成り下がっています。

今一度、オジサンもオバサンも政治に携わる老人達に、自分達の役割を思い出して欲しいと切望します。

選択的夫婦別姓が前進しない理由

さて話を戻して選択的夫婦別姓です。性を変更するというのは社会的な手続きが非常に面倒なもので、しかも特にメリットがありません。まあ結婚という契約に基づくものでしかないわけです。

しかしこの性の変更は民法上、結婚を行う際に必須とされており、これは基本的に女性の性を変更する事を前提としています。これが女性蔑視、ジェンダーを無視しているという論調があり、選択的夫婦別姓の議論が高まったわけです。

まあそういった女性蔑視、男女差別の視点に立たなくとも夫婦になる際に性を変更するメリットというものは現代において希薄です。各種届出とか色々面倒なわけですよ。

要するにさっさと制度上の変更を行えばいいだけの話なんです。夫婦別姓を望むのであれば制度上それは問題無い状態にしておくだけでいいわけです。後追いのフォローは必要になるでしょうが、現段階でやるべき事は単純で、時代に即さなくなってきた部分を時代に即すように改正する事だけです。

ではこれをしない理由は何なのか?

政治家とは自分の支援者の最も望む議論に関して最大の意欲を示します。それにより支援者からの後々の支援を得る事が出来るからです。ここで問題になるのが政治家の姿勢です。彼らが見ているものは自分自身とその支援者でしかありません。これは政治家という職業に元々存在している特性ですから否定的に論じる事は出来ません。

しかし民主主義の中での政治にはそれに対する対抗要素が存在しています。それこそ野党というものです。野党は与党とは政治的信条の異なる者たちで自分達の要望を実現する為に与党と議論を繰り返します。政治とは1つのケーキの何割を自分のものにするのか、相手のものにするのかという駆け引きです。

つまり自分達の望む結果が全て反映された結論は決して求められません。それを求めると政治は前に進まなくなるからです。前進を忘れた思考はただただ劣化するので、たとえどのような前進であってもしなければいけないのが政治です。

今の日本の政治は、全てを自分達の望む結果にしたいと主張する集団による言い合いに成り下がっていて、それはどんどん思考停止し劣化しています。

キラキラネーム問題

法律を少し変えるだけで後は夫婦別姓を望むヒトたちの判断に任せるだけでいいわけなんですが、それが面倒だからしたくないヒト(官僚)はバカな政治家を言いくるめて優先順位を下げさせます。実際、有権者である支持者も夫婦別姓を望むヒトは少ないので政治家もやらなくていいかなと思ってしまいます。

そうして、自分達が望むものだけを議論して、自分達の望む結果が手に入らないと反対して物事が全く前に進まないわけです。こういった結論としては非常に簡潔で、実行も簡単な議論というものは夫婦別姓以外にも存在します。

家族という枠組みでの問題として次に大きなものはキラキラネームでしょう。キラキラネームをご存知無い方に説明すると、これは親の付ける名前が「普通の読み方ではない」とか「漢字の読み方がおかしい」とかそういう名前の事です。

しかしキラキラネームの多様性を無くすのは問題です。そんな名前を付けてはいけませんと言っても、そんな名前を付ける親はそれを理解できないでしょう。こういった名前を付けてしまう背景には教育的貧困、特殊で閉塞的な社会環境での経験などがあります。簡単に言うと想像力の欠如ですね。

キラキラネームはマイノリティです。おそらく社会全体でマジョリティになる事もないでしょう。そうなると簡単な話、通常の社会では異端視されます。異端視されるという事は過剰な防衛反応としてイジメが起こる可能性を否定できなくなりますし、イジメを避けるために暴力に頼ってしまったり、異端と決められた者だけで集まり更に狭い社会で生きていく事を余儀なくされる可能性もあります。

こうなると多くの場合、教育的貧困を患う事になります。教育の機会が平等ではなく、社会からも異端視されるという事がどれだけ自分の人生を不幸にするのかは計り知れません。

キラキラネーム問題の解決とは、この貧困を回避する方法でもあると言えます。しかしキラキラネーム自体を無くす事は問題です。たとえどれだけ親の想像力が低くとも、親から子に与えられる名前というのは大切なものだからです。

となると考えられるのはキラキラネームを回避する事ではなく、キラキラネーム以外の名前を自分自身で選択する権利を得るという事になります。

元服から考える名前の意味

奈良時代以降、元服という成人の制度がありました。ざっくり説明すると幼名という子どもの頃にだけ付けられる名前を廃して元服名を付けるというものです。これにより子どもは大人の仲間入りを果たしたわけです。

これは明治以降、戸籍の登場により廃止されてしまいました。今では歌舞伎などの伝統芸能にだけ存在しているものです。これをキラキラネーム対策に出来ないでしょうか?

現代での成人は一応20歳です。投票権獲得年齢が引き下げられるので、成人の定義は投票権がある年齢に準じてもいいかもしれませんね。その投票権を得る年齢になった際に、自分の本名を決める権利を得るという事にすればキラキラネーム対策になるかもしれません。

これは名前を捨てるのではなく、名乗る名前や書類に記載する名前をどちらにするのかを決めるという制度にする必要があります。先ほども言いましたが、いくらキラキラネームとはいえ親から貰ったものだから捨てるべきではないからです。捨てる捨てないの選択も出来ると尚良いとは思いますが。

考え方は夫婦別姓と同じです。どちらを書類上の姓名にするのかを選択できる。これこそ最良の解決策であると考えられます。

選択性を持たす事への障害

しかし選択的夫婦別姓もキラキラネームも戸籍などの重要なものを変更する為に、法律の改正に対して腰が重いという背景があります。つまりこれはそういった情報を簡単に管理できるシステムを持たない限り手間がかかるので議論の的に上がらないと言えます。

議論の重要性を訴えるのであれば、その議論が重要である事と同時に議論する相手にとってのメリットなども提示する必要があります。それをどこまで許容するかは政治的な駆け引きというかセンスなわけですが、そのセンスが一切無い声が大きいだけの政治家が増えている事は悲しい限りです。

そこで必要になるのがマイナンバーに代表される個人情報の総合的な収集手段です。個人情報を一箇所に集めて管理するなんて監視社会だといわれて反対されていますが、これだけ色んな場所に個人情報が溢れている現代において国家が情報を管理できない社会は機能していきません。

少なくとも姓名と戸籍を管理する手段が無いと、個人の権利を尊重する為の選択的夫婦別姓や使命変更などの制度は成り立ちません。これは矛盾しているようですが、夫婦別姓を望む要望者とその情報を管理する管理者の思惑を踏まえて成り立たせなくてはいけないので、こうするしかないわけです。

さて、今の日本でこういったお互いの立場と利益のバランスを考慮した意見が議論として機能するでしょうか? そんな事を憂慮してしまいます。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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