自信を持つ事こそ自分を最高の状態に導く。デブこそ自信を持つべきである単純な理由




おはようございます。リンさんです。

豆もやしってありますよね? 先端に豆の付いているもやしです。糖質量が極めて低いという特徴があり糖質制限的に非常に優れた食品なのでちょくちょく食べます。

しかしまあ最近ちょっとその豆もやしに困った点を発見してしまったわけです。サッと火を通してシャキシャキの食感を楽しむのが良いんですけど、最近豆もやしの青臭さが気になり始めました。

今後も野菜を主役に考えるという事は無いと思いますが、豆もやしがダメとなるとスプラウト(新芽)の野菜で食べられそうなのが豆苗くらいしか思いつきません。

メインの付添えに少量の野菜があると箸休めにいいんですよね~。何とか豆もやしを再度活躍できるように出来ないものだろうかと難儀する日々です。

デブの利点を勘違いしてはいけない。自己評価に大きなマイナスを与えてしまうデブコンプレックスによるストレスからの色々なリスクを抑える為に正しく理解しよう。

さて皆さん。時に質問です。

デブである自分って嫌いですか?

この場合のデブとはBMI25以上の過体重やBMI30以上の肥満症の事を指します。そんなデブが自分の事を好きかどうかなんて聞かれれば当然多くのデブが嫌いだと答えるでしょう。少なくとも自分の事が好きでもドンドン太っていく自分の生活習慣は嫌いと思うのではないでしょうか。

リンさんは糖質制限を開始して半年で103kg → 80kgの減量を行い1年経った今でも80kg周辺をキープしています。この糖質制限には運動を含みません。運動が嫌いというか運動している自分を見られるのが嫌いだからです。

80kgというと未だにBMIでは30と肥満の領域ですから改善の必要があります。それはこれからの宿題と思っていますが、この1年で痛感したものがあります。

ストレスはダイエットにおいて最大の敵であるという事です。これってどういう事かといいますとストレスがある状況って実は現状の自分を疑っている状態です。

糖質制限、運動しない、分子栄養学、24時間ファスティングなどのダイエットを疑う自分。これからやろうと思っている方法自体を疑っている自分。その方法を選んだ自分自身を疑う自分。

そして、デブである自分に対して低い自己評価をしている自分

全ての疑いがストレスとなりダイエットの邪魔をします。特にデブである事が自己評価を低めている場合、糖質制限に関しては疑いがなくても糖質制限が自分に効果的かどうかについて疑いを持ったり、中々痩せない停滞期に対して必要以上に何とかしなきゃと思ったり、あるいは痩せないのは自分がデブだからだという考えを持ったりします。

ですからデブであってもデブを肯定する事はとても重要です。これが自己肯定感という自分を許す行為に繋がるからです。

だからリンさんはデブの優れた点を強調しています。ですが優れているからデブのままでいいと言うわけではなく、だからこそ糖質制限で減量に成功すれば最高のポテンシャルを発揮できるのだという思いを持って今の自分を肯定する事が大事なのだと考えています。

ストレスは万病の元

ストレスはありとあらゆる行為を歪めポテンシャルを発揮できなくさせる元凶です。しかしヒトはストレス環境に適応しその中で生きていく事に特化した生物でもあります。

ポテンシャルを発揮させないような過度なストレスとは、

  1. 人格否定を行うような対人関係
  2. 人権と思考を暴力的に奪う労働環境
  3. 自己承認欲求の暴走

の3つで考えます。今回問題とするのは③の自己承認欲求の暴走です。先ほど自己肯定感を持つことが大事と書いたのに自己承認欲求が暴走してはいけないなど矛盾しているのではないかと考えるかもしれませんね。

自己承認欲求の暴走とは?

自己肯定感は大事だけど自己承認欲求の暴走は何故ダメなんでしょうか。そもそも自己承認欲求とは他人から認められたい、自分が誰かに認められていると認識したいという欲求の事です。ということは自己承認欲求が暴走している状態とは、自己承認欲求を適正に求められていない状態と言えますよね。

つまり、相手がいつまでも自分を認めてくれないと相手側の問題ばかりに目を向ける。自分の問題ばかりに目を向けて相手からの承認など到底受けられないものだと考えてしまうという事です。

相手側の問題ばかりに目を向けてしまう事への解決策は基本的にその相手をスルーする事です。世の中には煮ても焼いても食えない、いわゆる反りの合わない相手というものが間違いなく存在します。これはどちらかにだけ問題があるという事では無く、個性と個性がうまく折り合いを付けられない状態だと思って諦めた方がストレスになりません。

しかし自分側に問題がある場合はそうもいきませんよね。そこに向き合わない限りその問題はずっと自分の中に在り続けるわけですから。

自分側に問題がある場合でも、自分の事をしっかりと承認できていないと問題を通して自分の欠点ばかりを考えるようになり、それがストレスになります。「自分は何てダメなんだ」という思いが自分の価値を曇らせてしまい、ストレスによってまた違う歪みを生み出してしまうのです。

デブをしっかり承認する方法

太るという事は太れるという事です。どういう事? と思うかもしれませんね。太れるという能力は長いホモ・サピエンスという人類の歴史の中で獲得された最大の贈り物なんです。

元々人類は非常に飢餓に強く、その能力があって多くの捕食者に襲われるような事態や激しい自然災害に巻き込まれても生き残ってきました。実は太れるという能力はここに起因しています。

飢餓に強いという事は単純にご飯を食べなくても長時間生存し続けることが出来るという意味です。飢餓状態の際に身体のエネルギーとなる物質は身体に溜め込んだ体脂肪を変換して得る事になります。

という事はデブ=長く生き残るという図式が成り立つわけです。

また捕食者に襲われて数を減少させたとしても、体脂肪の多い女性は子どもを高い確率で無事に出産できます。これは今でも先住民族などに見られる特徴でとにかく豊満な体型の女性が好まれる傾向にあるのはこの為です。

更に更に段階を追って太るという事は現代生活では生活習慣の見直しをしましょうよという身体からのメッセージであり「今ココまで太ってるけど大丈夫?」と身体が訴えているセイフティネットなわけです。

例えば太らない痩せ型のヒトにはこのセイフティネットが無い為、日々「何となく調子がずっと悪い」というような状況で自分の健康状態を外見から判断する事が難しくなる為に病気の発見が遅れてしまうという事もあり得ます。

少なくともデブであるならそんな心配は要りませんよね。お節介にも周りの方々はデブの体調に関して非常に優しく心配してくれますし、世間では肥満こそ全ての病の元凶であるかのように情報が撒き散らされています。

デブ=病気の可能性が高いというのは事実ですが、それは太る体質である事をしっかりと承認せずに目をそらし続けてきた結果デブとなり病気のリスクを抱えてしまったという事なんです。

このように太ってしまう体質の特徴をしっかりと承認すれば「デブである自分」に対して必要以上のコンプレックスを抱く必要は無いわけですし、だからこそ痩せれば誰よりも健康体であるという考えがストレスをコントロールしてくれるというわけです。

デブの誤解

まあだからといって太っている状態のデブこそ素晴らしいという事ではありません。BMI30以上クラスの太りすぎている事はBMI18.5以下クラスの痩せ過ぎている事の次に病気のリスクが高いからです。

デブである体質と特徴をしっかり理解した上で余計なストレスを排除しダイエットに励みましょうって事です。

太れる能力自体は人類が育て上げてきた飢餓や自然災害による人口減少を生き残る為の最強の生物学的利点ですが、デブである事は病気のリスクとしても危険な要素ですし、自然災害そのものや物理的な闘争などでは圧倒的に不利です。しかも社会的にデブはダメだから助けてやらなきゃという印象も強いので精神的なストレスも大きくなります。

デブの太れる能力の優位性を学び、デブである事への過剰なストレスはそれほど感じなくなったと思います。ですがそれにより太ったままでいいんだとならない事が大事です。それぞれのリスクを学び、痩せることで得られるメリットがデブには多いのだと理解する事で糖質制限などのダイエットを続けるモチベーションを維持する事が重要です。

①デブと病気と糖質

人類が科学技術の恩恵に浸る前は、太るという事が非常に難しかったと考えられます。というのも糖質摂取あるいは糖質+脂質の食事でヒトは最も効率よく太るわけですが、糖質そのものが満足に採集できていなかった可能性が高いからです。

これを現代のデブにはめ込んで考えてみると糖質摂取によって太りやすいにも関わらず糖質摂取量が増加し続けているという事です。

糖質摂取によって蓄えた脂肪とは飢餓や出産などの緊急事態に備えたものです。食べ物が頻繁に食べられない時期や妊娠などの母体リスクの高まる時期が頻繁にあったはるか昔に比べて、現代では緊急事態の為のエネルギーを全く使わずに貯めて、日々のエネルギーを更に糖質から得ているという事になります。

元々長期間溜め込む必要の無いモノを沢山溜め込む、それほど多く摂取する機会の無かった糖質をほぼ毎日大量に摂取する生活で人類は高度肥満という新たな問題を抱えました。

運動習慣がほとんど無い事、糖質も脂質も摂取過剰になっている事などから肥満がその生活を送った上での結果となり、肥満であり続けることにより病気のリスクも高まっている。これが過剰な糖質摂取によって病気が作られているとする主張の根拠となるものの1つです。

現代は太れるという生物学的に最高の能力によって逆に人類が追い詰められているのです。糖質でデブになった現代人と太れる能力を持って生き残ったかつての人類では意味合いが全く異なるわけですね。

②デブと自然災害

地震、火事、津波、豪雪などの自然災害によって住む場所に不自由が生じたり食糧が不足するような事態に陥った時、デブは長期間生き残る事が出来ます。身体のシステムとしては体脂肪を分解しエネルギーに変換する事で食糧を経口摂取する必要無い期間が体脂肪の蓄積量の多さと比例するからです。

しかしそれは身体のシステムとしての話であって、自然災害そのものであったり追い詰められた精神状況という事から考えるとデブは生存能力が低いと考えられます。

イメージとして脅威に対面した際、デブが生き残れる確率って低いように感じませんか? よくパニック映画などで真っ先にデブが脱落していくようなあの感覚です。

よくよく考えると自然災害を直下で経験するという事はデブであろうが痩せ型であろうが生存確率は全く同じとなるはずです。しかしその自然災害を運動能力で回避できる場面が多いというのであれば話は別ですよね。

1分でも早く逃げる。少しでも早く誰かに知らせる。そんな状況下では運動能力に関しておそらく低いであろうデブは生き残る確率が低くなります。

また体脂肪を分解して長期間の飢餓を防ぐ能力にも問題があります。我々デブはどうして太ったのでしょうか? 答えは簡単ですね。食べ過ぎたからです。抑制を知らずに欲望のまま食べ過ぎたからです。

では食べ過ぎ生活を長年続けているデブと、多少食べられなくても平気な時間を普段から過ごしているヒトであればどちらが食糧の無い緊急時に精神的な強さを発揮できるでしょうか。そりゃもちろん、食べなくても多少平気、少量でも食べられれば満足な生活を送ってきたヒトに軍配が上がります。

デブである事が太れるという生物学的最高の能力を腐らせているわけですね。

③デブと争い

争いは何故生まれたのでしょうか? 割と哲学的な問答ですがここにもデブは深く関わってきます。

実はヒトという種族が飢餓や争いに悩まされるようになったのは糖質である穀物を主食とするようになってからだという考察があります。今回はこの説を支持させていただいた上での話です。

糖質がメインの食事となる前、人類は集団を作ってはいましたがほとんど定住をしないその日暮らしの気ままな旅スタイルの生活を送っていました。

1日の大半を狩猟採集に費やし、そこから得られる恵みで生きていけるだけの人口で集団を継続していたわけです。性行為に関しても今よりずっとオープンで集団に属する全員で関係性を持つようなものでしたから子どもも多く生まれていました。この生活においては出産時の事故や病気、捕食者による襲撃などで全体の人口は過度な増減を繰り返さなかったので、そのような生活でも安定した食糧の採集が行えていたと考えられます。

その後、糖質を主体とする生活つまり穀物生産が始まります。

穀物生産を行う為に、人類は旅による採集場所の変更から定住という道を選択します。1つの地で暮らす為、捕食者からの襲撃を避けるように防御を固め、その中で子どもを増やす生活を送り始めます。

一見新しい文明となったように思えますが、ここには大きな問題がありました。

  1. 捕食者による人口の間引きが無くなった事で子どもの生存率が上昇し人口が増加傾向になっていく
  2. 穀物生産は手間がかかる為、狩猟採集などに時間を割けなくなる
  3. 穀物生産は収穫量が複数の要因で増減する為、人口を維持するよりも多めの土地を必要とする
  4. 生産された穀物は社会的地位の高い者が優先された為に、豊富な穀物を持っているのに飢餓に怯えるようになる

通常、人口が増える事は喜ばしい事です。しかしそれは先進国は必ず人口が衰退していくという現代において重要な価値観であるという部分は否定できません。はるか昔、現代よりずっと子どもは育てる手間も時間もかかる為、穀物生産で時間の余裕が無くなった人類にとって人口増加は深刻な問題となりました。

次に人口を維持する為には大量の穀物を生産しなくてはなりません。穀物生産は手間がかかり収穫が複合要因で増減する為、人口を維持していくより多くの土地を必要としました。その為に人口よりも多くの土地を欲した集団同士による争いに発展していきます。

争いの中、土地を確保して穀物を生産しても集団の中で社会的地位の低いものには十分な食糧が回ってきませんでした。これにより集団の中で飢餓が発生し、人類は常に飢餓に怯える暮らしをするようになります。穀物生産に疲れ、食糧の供給も危うくなった集団では実は人口が爆発します。絶滅の危機を感じた種族が子孫を残そうと思う本能のせいでした。

穀物生産に大量の土地が必要、飢餓が起こる事への権力者への不満、絶滅回避の為の人口の爆発的な増加。

これらの要素が全て整った時、その集団は広域を支配するという結論を出し支配へと乗り出します。穀物生産を円滑にでき、権力者への不満は外敵へと逸らせ、人口の増加には広域支配による潤沢な資産で賄おうとしたのです。

当時の権力者は優先的に糖質である穀物を食べる事が出来た=デブが支配や争いという概念を生み出したという事です。更に付け加えるのならデブは争いの中で真っ先に被害者ともなります。支配という手段が普通の選択肢となった後は弱者や肉体的に優れないものが優先的に淘汰されるようになります。捕食者による間引きの無くなった人類によって自身の間引きが行われるようになったからです。

デブである事は人類の歴史から淘汰されるべき対象であるというあらぬ偏見を持たれ続けているというわけです。

④デブと社会の関わり

デブは社会にとってお荷物ですか? そう聞かれれば多くのヒトがそんな事は無いというと思います。しかし実際の所、デブはお荷物だと認識されています。

会社では健康でないという理由で扱いが悪くなったり、病院ではデブであるという理由だけで病気があるはずだと思われたり、実生活ではデブであるというだけで好奇の視線を受ける事もあるかもしれませんね。

しかし社会には自分より下を常に想定する事で健全性を保とうとする集団が存在します。だから社会はデブである事を救ってはくれません。酷ければ優しい言葉でデブでもいいよと言い続け自分たちの精神を保つ手段にし続ける事だってします。

それを出し抜く最良の方法は相手にしない事、相手にされるようなデブではなくなる事です。実際デブであることや糖質制限などで減量をしていく最中に1番大きなストレスになるのはこの好奇の目です。

笑う事が出来る自分には価値がありますが、誰かを見下す事でしか笑えない自分に価値が無い事に気付けないのなら、それはデブである事よりもずっと悲しい話です。

デブである事に向き合うとは何か? デブである自分を必要以上に卑下する必要が無いという事や受け入れた上でどうやって痩せていくのかを考える事がどれほど大事なのかを少しでも感じていただければ幸甚です。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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