オジサンは道を譲らないし、愚かにも道を譲れないようにもした




おはこんばんにちは、リンさんです。

資本主義の中で勢力を拡大できるようにチャイナマネーを強化してきた中国が台頭し欧州を飲み込もうとし、そこに世界の警察たるアメリカが対峙するという構図になってきました。

しかし過去のようにアメリカは介入主義的ではありませんし、求心力も高くありません。反して中国はマネーの力で欧州を脅かしています。

このチャイナマネーは東南アジア、欧州、アフリカと勢力を拡大していますから、中国の思想と領域拡大が危険視されるのも時間の問題です。

最も大きな問題はそれが国際的な問題となった時には中国を止められる国が存在していない可能性がある事でしょう。

ヒトは過ちを繰り返す。そしてその過ちは繰り返すほどに規模を大きくしているわけです。

道を譲らず自分達に譲れという老害

年を取った男が道を譲らない事が社会で起きている大きな問題の根幹であるというのは真理である反面、理解されにくいものでもあります。

何故理解されにくいのかというと、社会で生きていく以上「オジサンの作り上げた常識」の中で生きていく事を余儀なくされるからだと言えます。

ヒトは自分の属するものの思考する常識を自分自身の常識としていきます。そうやって刷り込まれるものの中で自己を形成していきます。

だから家族は似ているのであり、同系統のものに所属する者たちは似ていると言われるわけです。

つまり社会とは老人達にとって都合の良い社会が当たり前の前提になっています。全ての老人にとって、という意味ではないですけどね。

その老人達がある時、オジサン的な思考で自分達の利益を守る為に自分達こそ特別であり、それ以外は全て自分達を支える為の存在にしようと思うとどうなるでしょうか?

その結果が今の日本社会であるとも言えます。

オジサンの作った社会の中で、オジサンに搾取される為だけに育て上げられたのがオジサンよりも下の世代であると言えます。

つまり我々はオジサンよりも敢えて無能になるように教育されます。

これはつまり、いつまで経っても能力が大きくならないので「オジサンが引退する時に、オジサン的な思考を持った無能が後釜になる」というループが出来るという事を意味します。

常識は居心地の良い空間です。しかし社会的なインフラが整っているという意味ではないので、平和だけど怠惰であるという意味合いに過ぎません。

社会のコストは収益の見込めない先行きの短い老人に優先的に割り当てられています。もちろん老後の介護とは大事なものですが、出産や育児、果ては給与などの待遇面を若い世代から改善しない事には「投資」に成り得ません。

社会のコストが高いのは投資が失敗した結果であり、収益の改善には若い世代へのコスト投下を重要視しないといけません。

老人へのコスト投下と聞くと社会的な弱者を救済だとか美辞麗句が並べ立てられますが、「弱者救済」という常識的判断に基づいた思考停止こそが社会を弱体化させている元凶でもあります。

こうして特別だと自負する愚かなオジサンは自分達の引退時期を延長する為に若い世代をアホにし、そろそろ引退したいんだけどと思った時に「若い世代が頼りないから引退できない」なんてアホな事を言い放っているわけです。

そもそも自分達がそう望んでいるにも関わらず、社会的な旨みを自分達に集約しているにも関わらず、最終的に「自分カワイソウ」に浸っちゃうわけです。

だから社会や若者に対して理不尽にキレてもお構いなしのアホが生まれ、アホである事が社会で長生きする秘訣にしちゃったせいでアホが量産されている喜劇のような悲劇が起こっています。

そして自分達よりもアホじゃない年下は異端として相手しないという構図になります。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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