タブーに触れる? 健康格差を生み出す3つの貧困




おはようございます。リンさんです。

星野源さんってシンガーソングライターがいますよね。まあ最近になってようやく顔と名前が一致するようになったリンさんがどのように素晴らしいのかを語ったところでニワカですが。

そういう事ではなくシンガーソングライター、俳優、人気、というフレーズで頭で連想されたのは山崎まさよしさんでした。こちらもリンさんはニワカなので以下略。

時代によって流行の形は少しずつ変わるかもしれないけど、流行が巡るというのは本当の事なのかもしれませんね~。とかしみじみ思って2人を調べていたら星野源さん出演のCMに山崎まさよしさんの歌が流れたという話題があり、もう1回ビックリ。

こういった共通点を勝手に見つけ出してニヤリとするのがファンにとって面白いのかもしれません。といってもリンさんはどちらもニワカなので以下略。

3つの貧困が格差を生み出し大きくしている

貧困と聞いた時に真っ先に思い浮かべるイメージとは何でしょうか? 多くのヒトがお金が無く日々の生活にも困っているような状態であると思うでしょうね。

それは確かに間違いなく事実です。しかし貧困と聞いてこのイメージしか浮かばないという事こそ、その国の抱えている病巣を示しています。

物理的な困窮の回復を追い求め続けた結果、物理的な豊富さしか判断基準にならなくなったからです。心豊かに過ごしましょうなんて言うつもりはありませんが、貧困とはどういう状況であるのかをきちんと理解しない事には日本の抱えている格差は解消できません。

格差と貧困は同一のものです。それは先述の判断基準の即物さによる弊害です。

格差と貧困を無くすものはたった1つ。リテラシーです。リテラシーとは読解記述力という意味であり、日本語では識字率という意味合いで使われています。識字率であるならば日本は全人口の95%以上を誇っているので貧困じゃないじゃないかという意見もあるでしょう。

しかし、ここにこそリテラシーの低さが問題となって現れています。健康リテラシーであれば健康に対する識字率。つまり教養としての健康への理解力です。

文字の意味が分かるのではなく、文字の意味を正確に理解しようとする教養が正しいリテラシーの考え方です。そうなると格差が生まれるのがリテラシーの低さであると言えます。

即物的な豊富さに重きを置いてきた日本人は、情報を得る事が簡単になった現代において情報を分析する教養を失ってしまっている。その結果、貧困という病に冒されているわけです。

教養を教育と勘違いするヒトも多く、学歴があればリテラシーが高いと思われがちですがそうではありません。真実、教養のあるヒトとは学歴があるからという理由ではなく、何事に対しても理解しようと努める柔軟な思考を持っているのです。その結果として努力や生まれた家の経済状況が許す時に学歴も得る事が出来るというだけの話で、学歴 = 教養 と考えてしまう事も実は即物的な価値観でしかないわけです。

健康格差を生み出すのはリテラシーの低さが原因であり、リテラシーの低さは貧困から生じます。そしてその貧困とは、貧困という状態を即物的なものだけだと判断してしまった日本人の価値観に問題があるからだと言えます。

まずは貧困という状態を理解する事が重要です。貧困を知るという事は情報として知る事になり、リテラシーを持つ事を意識すればそれを回避する事も可能です。

例え自分の置かれている状況が物理的あるいは精神的に閉塞しているものであっても、それを仕方ないとしてしまうのか、理解した上で変える為の原動力となる力を持っているかでは歴然とした差があります。

自分が他者から見てどれだけ恵まれていない状況であったとしても、それが原因となり貧困の中に埋もれていってしまうのかどうかは自分自身にかかっています。今回はそれを健康という側面から考察します。

①食の貧困

年収が低いヒトほど炭水化物の摂取量が多いという研究結果が発表されています。今や肥満と貧困は先進国、途上国の区別無く同じ意味として扱われており、先進国の方がより傾向が顕著という特徴があります。

食の貧困は非常に根が深い問題で、数十年間脂肪は悪で砂糖や炭水化物、植物性のものはヘルシーとしてきた意識は中々返られません。しかも食品として炭水化物や砂糖を供給してきたメーカーは今や世界でも屈指の規模を誇るようになっています。

健康常識が一気にひっくり返れば、メーカーが力を失い経済活動に支障が出るような事態になりかねません。ですから大きな権力を有する側は、そういった健康常識がひっくり返る速度を少しでも遅延させようと情報操作を行います。

そうして遅延している間にメーカーとして生き残る術を見出そうとしているわけで、これは資本主義の中での自然な流れです。ですが消費者からすればいつまでも不健康なものを大量に買わされているという事実が変わらず、消費者の利益にはなりません。

消費者の利益にならない企業の延命処置によって、健康格差と貧困は生まれています。それを責めていても企業が姿勢を変えるなんて事は有り得ないので、消費者自身が情報を得てリテラシーを高める必要があります。そうでなければ健康格差と貧困は解消できません。

糖質の過剰摂取が肥満の最も大きな原因であるという事実を知れば、このような健康被害は回避できますが実際は情報を知らないヒト、知っていても自分の生活において実践できないと思ってしまうヒトが多いのが現状です。

日本では海外の医療ニュースなどのようにそういった害があるという事を発信しないという事も大きく関係しており、マスコミという存在が大衆への情報発信ではなくスポンサーの利益重視というスタイルを持っている事は大きな問題です。これにも即物的価値観が影響していると言えます。

しかし発信された情報のリテラシーの低さにばかり目を向けているようであっては健康格差と貧困は解消できません。

まずは健康格差を是正するリテラシーの高い情報を見つける作業をする必要がありますが、そういった情報では金銭的な事由というものが考慮されていない事も多く「これでは実践できない」という意識から諦めてしまう事が多くなります。

ここで重要になる事が、自分自身のリテラシーを高める努力です。実践できない……ではなく、どうやったら自分の生活で実践できるかを思考する事で健康格差と貧困から脱する手段を得る事ができます。

栄養学などの情報は溢れていて、栄養を満たす為にはこういった食材がいいなどの情報は溢れています。しかしその食材を得るのが困難な場合、どうやったら自分の生活可能範囲でそれと同等のものを得る事が出来るかどうかを考えなくてはいけません。

例えば、若い頃遊んでいたとします。情報に触れる機会も無く過ごしてきましたが、結婚を機に子どもを授かり健康を考えるようになったとしますね。

その時、リテラシーの高い情報を得て中々実践が難しいと判断するのは簡単です。ここでどうやったら自分で実践できるのかを考えるわけですが、その為には自分の強みと弱みを理解しておく必要があります。

リテラシーの高い情報から得られる方法は金銭的なハードルが高いと感じるのであれば、その金銭的理由が自分の弱みとなります。これは決してそれを知って嫉妬の感情を抱けというわけではなく、金銭的な事を理由としない限り自分にとってリテラシーの高い情報で語られている内容は実践が困難ではないと考える事です。

そうなると後は自分の強みを見つけそれをどう使うかという問題だけです。

アドラー心理学で考えれば、全ての事実は自分自身の勇気を形成する為に存在し、勇気を挫く存在ではありません。若い頃に遊んでいたという事は人脈が他人と比べて豊富であるという事です。またその繋がりも非常に強固なものである得がたい人脈です。これを強みとする事で弱みは意味を為さなくなります。

例えば、両親から愛されなかった境遇だったとします。だからこそ自分自身が何よりヒトを愛する事の重要性を理解している事が強みとなります。

例えば、孤独な日々を過ごしていたとします。だからこそ自分自身の思考を俯瞰で捉える事ができ、慎重な理論構築ができる事が強みとなります。

金銭的な弱みはすぐには覆らないかもしれません。しかし自分が抱えているものは全て強みになります。

②教育の貧困

教育とは通常、将来に起こりうる健康格差や貧困を回避する為の手段であると言えます。多くの知識に触れる事で自分の中にある考え方の多様性を確保する事が教育の真の利益です。

しかし教育には健康格差や貧困に関係する2つの要因が存在します。

1つは学歴の世襲です。

世襲とはずばり親から子へ受け継がれる事ですが、これが学歴にもある程度あてはまります。高卒の親が子どもを大卒まで教育する率は、大卒の親が子どもを大卒まで教育する率より低いのです。

教育とは勉強して試験の成績を上げることではありません。それは本人の問題です。教育の真の価値は考え方の多様性を生むという事です。多様性を生むためには多くのヒトと関わらなければいけません。

そういった意味では多くのヒトと関わる事と、関わったヒトが自分には無い価値観や思考を持っている可能性の高い教育機関内でのコミュニケーションは最も効率が良いと言えます。

勉強ができるヒトには割とどこでも会えます。しかし頭の良いヒトには中々出会えません。その確率を上げる為に教育が必要なわけです。

例えば数学好きなヒトは割と会えます。正解が1つだけ導き出される数学こそ美しいと言っているタイプです。このタイプは勉強ができますが、新たな理論を構築しそれを証明する為に数学を用いる事が出来ません。

頭の良いヒトは違います。数学が好きな事は共通するかもしれませんが、数学の答えが美しいという考え方が異なります。自分が疑問に思っている事に関して数学を用いれば美しい答えが出ると考え、数学を利用できるヒトが頭が良いヒトです。

数学を例にしましたが、これはどういった分野でも一緒です。文学好きと文学を生み出すヒトは違いますし、絵が好きなヒトと絵が描けるヒトは違います。

魔法を知るのが好きなヒトと出会うより、魔法を使えるヒトと出会えた方がずっと凄い事ですよね。教育とはそういったヒトと出会う場所です。

教育の問題、もう1つは教育内容の更新の遅さです。

教育内容とは国によって認定を受けます。その認定を受ける為の内容を決定するヒトは自分が受けてきた教育を軸に物事を決定します。そうなると新しい教育内容、新しい価値観が生まれたとしても中々受け入れる事ができません。それが自分の信じてきた教育と異なるものであれば尚更です。

リテラシーの低さが教育の低さでは無いというのが、ここに集約されています。多様性の価値観や精神的な豊かさではなく即物的な豊かさのみを価値観としてきた教育は、他者の価値観に寛容になれません。時には敵意を剥き出しにして相手を否定したりもします。

教育とは多様性を育み、生きる為の手段を多くの面から考える事ですが、そういった教育の主旨から反するわけです。そしてそういった姿勢で作られた教育のガイドラインは多様性を認めない為に閉塞感をもたらしています。

ゆとり教育や脱ゆとり教育という方法が上手くいかない理由はここにあります。表面上だけ何かを変えようとしても根底の価値観を変えなければ物事は同じ場所に滞留し続けます。現行の制度が変化していくのを待っていると遅すぎますから、やはり自分自身の中身を変えることが大事になってきます。

日本人は寿命が長くなり続けています。教育の変化を待つと決めて、先の世代の価値観が切り替わるまで待っていたら自分自身が価値観に縛られた世代になってしまうかもしれません。

③連鎖する貧困という病

最後は貧困そのものの問題ではありません。食と教育の貧困こそが貧困の大きな原因ですが、それが社会的な問題となった原因がこの「連鎖する」という貧困の特徴にあります。

親から受け継ぐのは遺伝子だけではありません。生活習慣や物事の考え方、性格の形成に至るまで基本的な部分は全て生まれた家の慣習によって作られます。

この受け継がれたものは生活環境によっていくらでも後付で変更する事が可能ですが、最初に覚えたルールに固執してしまうというのがヒトが社会で生きていく為に作り上げた設計図である為、ルールを変更するとなると自分の常識を一気に取り払うほどの衝撃が必要になります。

その為、多くは親から受け継いだ基本的な考え方を変えることが出来ません。その時、親の側に健康格差や貧困という問題があるとそれも受け継いでしまう事が大半です。

まとめます

健康格差や貧困といった問題を回避するにはリテラシーの高い情報を手に入れる事が重要ですが、情報の質を見極め自分がどうやったら実践可能かと思考する自己リテラシーの高さも要求されます。

こういった思考を行う事で食や教育の貧困を回避し、次の世代へ貧困を世襲してしまう事を防ぐ事ができます。もちろん自分自身が世襲によって貧困に陥ったとしてもそこから抜け出す手段として重要になってきます。

大事な事はノウハウを知ることより、使い方をきちんと理解することです。こうする事で本当の意味で貧困を脱する事が可能になります。

しかし最近はもう1つ問題が起こっています。しかもそれはリテラシーの高さを意識する側の問題です。時に「炭水化物を食べているヒトに頭の良いヒトがいない」と言ったような意見を書いているブログがあり理解に苦しみます。

少し前までその炭水化物を食べていたであろう自分の事は忘れてしまったのでしょうか? それに炭水化物を食べているヒト全般を否定するのであれば人類ほぼ全てを敵に回すようなものですが、それを理解しているのでしょうか?

セイゲニストも二極化が進んでいます。ノウハウを知っていても使い方を知らずに、自己満足を得る道具にしか出来ていません。そんな事を感じながら自分のブログ記事にも結構そういう記述があることを知って嫌な気分になっているリンさんです。

正しい知識の使い方を広める事で、実践と思考が出来るヒトを増やす事こそ健康格差と貧困を無くす1番の手段です。全てを救うなんて大それた事は不可能ですし、このような問題とそれを解決する為の考え方を論じるだけでは誰も救えないかもしれません。

それでにこの記事が何かを考えるきっかけとなれば幸甚です。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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