コメが主食神話だと矛盾を生む状況もあるって話




おはようございます。リンさんです。

的確にダメな部分を叱るヒトと、常に怒っているような感じのオジサン。年上のヒトを見る時って、どうしてもこういった漠然とした印象で物事を考えがちです。

まあそれは仕方ないとして、問題点は的確に叱るヒトは自分の正しさを押し付けないのに対して、常に怒っているようなオジサンは正しさしか押し付けてこないって事です。

学ぶ姿勢を持つか、学ぶ姿勢を持たないかでヒトはこうも変わるのかっていう典型的な例でしょう。そして何より悲しいのは、現実の日本では後者のオジサンが蔓延しているという事です。

何も為し得なかったから相手を否定する事しか出来ないのかもしれませんね。今日もまた自戒を込めつつ皮肉全開です。

神話に突っ込んではいけない

糖質制限という理論が世に認識されるようになって結構な時間が経過しました。その中で、ロカボやライザップといった分かりやすい糖質制限が社会的認知を後押しする事で糖質制限自体の認識度も上昇したわけです。

多様な理解が発生すると間違った理解も発生するというのは世の常ですから、そもそも糖質制限として考えるとハードルが超高いようなやり方をして挫折を経験し糖質制限はダメだというヒトも増えています。

そうならないようにする為にはセイゲニスト自体が理解を容易にするための情報発信というのも重要になるわけですが、基本的に糖質制限にハマると自己の知識のレベルアップであるとか仲間内での情報共有とか、そういった方向にばかりエネルギーが向きがちになります。

冒険者遺伝子を持った2割のセイゲニストはトップランナーではあるわけですが、民衆を束ねる求道者にはならないのかもしれません。

そんなこんなで理論を祭り上げて神格化するなんて大嫌いなリンさんは、糖質制限の理解を広める活動をこの息も絶え絶えのブログでやっているわけです。今んとこ趣味の範囲みたいなもんですけど……。

理論を祭り上げて神格化していると言うと実はコメもその部類に入ります。

糖質制限が普及するようになって最低でも現代に蔓延している精白糖質は避けたほうが良い結果が期待できると言われているわけですが、何でだかコメはその分類から除外されています。

上白糖はサトウキビを煮詰めて出来上がったものですね。三温糖も上白糖と同じ工程で出来上がるので精白糖質と呼ばれます。異性化糖は化学反応でブドウ糖を果糖に変換したものです。

世間一般での精白糖質というイメージはここで止まっています。

しかし、白米は籾殻を脱穀して出来上がる精白糖質です。小麦も外側は除外して臼で挽いたりして精製する精白糖質です。これらは全部、精白糖質と呼ばれる物質なわけです。

甘い砂糖と甘みのあるデンプン質だから違うのでしょうか? いえ、そもそも消化工程は異なるものかもしれませんが最終的に人体で運用される形はどちらも同じブドウ糖です。

つまり、どういった言い分をしてもコメや小麦が精白糖質から除外できるわけではないという事です。ではここで何でコメだけが除外されている感があるのかといった部分に疑問が移ります。

これに関しての明確な解答というのは難しいものですが、常識的にコメが主食であるという認識とそれを補強するイメージ戦略が行われてきた結果だろうというのが一応の結論になります。

そうだと思い込むと中々それに関して新しく疑問の余地を挟めなくなるというのは認証バイアスってやつです。これが働くと考えるのが面倒な事を簡略化することが出来るので脳の負荷は減っていき別の事に脳を使えるようになります。

しかしヒトの社会は自然のルールを捻じ曲げて、それが上手く機能するように全員にルールという名前の勘違いを共有する事で発展してきました。

このヒト社会形成の上で、新たな疑問を挟まないというのは階級差を生み出す結果になりました。要はお金を得る側とお金を使う側です。

出来上がった社会システムは幸福や満足とは程とおいものでしたが、それなりに生きていけるものだったので思考が止まってしまいました。自己実現という理想が叫ばれるようになった現代で、この社会システムにも限界が来ていますが、それでもこの機能が運用できています。

この思い込む事で思考が止まってもそれなりに生きていける社会で根付いた常識を覆すのは難しいものです。

ですから糖質制限において精白糖質を避けましょうとなると、糖質=甘いものというイメージによって砂糖などだけを対象にしているような感覚を生み出してしまいます。

ですが正しくは糖質=甘みなわけで甘みが際立ちますね~なんて感想で最高の褒め言葉を頂いているコメも例外ではないと言う事になります。

糖質制限では理論の理解と共に、今までの常識から脱却する必要性もあります。ですから難しい部分があると言う事です。

考えながら生きるっていうのは意外に難しいものです。だからそうしなくていいように社会は形成されていきました。それを少し疑いましょうっていうんですから、そらハードル高いわなって話です。

常識を疑う事の重要さへの気付きになれば幸甚です。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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