おはこんばんにちは、リンさんです。
先日、薬物での逮捕からの保釈に注目された沢尻容疑者。
まあクスリはよくないよっていうのは誰にでも言える話ですし、そこを不謹慎だと言うほど時間も余っていませんからどうでもよいんですが……。
沢尻さんと言えば「別に……」ですよねぇ~。
保釈時は姿を見せなかったので残念でなりませんが、是非とも今回も記者の質問攻めの際に「別に……」と応え続けて欲しかったと思います。
ブラックな言葉などは不謹慎だとされがちですけど、自分の鬱憤を満たす為だけに社会的な悪を攻めるという行為に酔い痴れるよりはマシだと思うんですが、世の中はそうもいかないようです。
他人の認識すら歪めるのであれば、その思想はただの恐ろしき妄執

ヒトの歴史とは勝者による伝聞であり、そこには勝者にとってのみ都合の良い内容を多分に含みます。
だからこそ第二次世界大戦(大東亜戦争)において東京裁判が行われる際にソ連や中国は戦勝国側に回って参加したわけです。
そうやって作られた歴史の上では敗者の弁とは存在しないものですし、存在したとしても負け犬の遠吠えや卑怯者の末路といった言葉で形容されるほど無残なものしか残りません。
世界大戦が終わり、戦争の危険性であったり世界人口の異常な減少などの多くの問題がある事が分かり戦争と言う手段を無くそうと努力した時代においても「歴史は勝者によって作られる」という図式は変わりませんでした。
この場合の勝者とは、資本主義社会における勝者である富裕層……だけではなく表現技法に優れた者も含まれました。
今回はその中でもかなり有名な坂本竜馬を取り上げてみようと思います。
もちろん、竜馬が歴史を変えた張本人ではありません。竜馬を幕末の英雄に仕立て上げた人物についての話です。
その人物こそ有名な小説家である司馬遼太郎です。歴史小説の大家とも言うべきヒトですね。
戦後ノスタルジーなどにおいて妄言の多かった彼ですが、その思想的な偏向がもしかすると作品にも表れていたのかもしれません。
ヒーローを望む姿勢とでも言いますか。露骨に分かりやすいヒーローに仕立て上げてしまったわけです。
亀山社中も存在しなかったという説が濃厚ですし、薩長同盟の立役者でも無かったというのが正しい竜馬の姿だと言える可能性もあります。
もちろん司馬遼太郎の描く竜馬の方が正しい可能性だってあります。
しかし土佐藩を脱藩した後にする大活躍は、薩摩藩の後ろ盾があっての事であり、独立した幕末最大のヒーローというイメージは完全な創作であるという事は確かです。
この話で重要なのは、社会がたった1人の作家の断定的な文章の書き方により、創作を史実だと思い込んでしまった所にあります。
それはつまりその作家の思想信条を色濃く繁栄した世界が正しいと認識してしまう危険性に他なりません。
政治家の思い通りにさせない、独立した市民である事こそ日本国民としての正当な権利であると言えば正義があるように感じます。
それはつまり政府や政治家を「分かりやすい悪」に分類しているからに過ぎません。
二元論では話は進みませんし、相手の手の内を理解せずに「悪」だから許容しないのではいつまで経っても相手を倒せません。
この話には議論というものの本質をダメにしてしまいかねない可能性を内包していると言う危険があります。
最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。
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