塩は本当に身体に悪いのか?




おはようございます。リンさんです。

真面目に生きていても良い事は無いというのが現代の事実だと感じています。確かに真面目に生きていても損な役割を持ってしまうヒトって存在しますし、真面目一辺倒な一流の経営者などは少なくともリンさんの知る限りは存在せず、性格が破天荒か人生が波乱万丈かどっちかだったりしますね。

ただ何も考えずに不実に生きるというのとは全く違う話であるという事だけは最初に知っておかなければならない事実です。どのような意味であっても成功者とは真面目に生きていないかもしれないけど、少なくともウソをつき続けるヒトの事は指さないからです。

というわけで必要以上の真面目からの脱却、完璧主義の抱える矛盾にようやく気付いたリンさんは第2の人生を面白おかしく生きる事を決めたわけです。真面目でも自分勝手でもいけない。良い加減を目指すのです。

塩は健康に良いのか悪いのか

塩は高血圧の原因になるから控えたほうが良い。そういわれています。しかし塩こそが高血圧の犯人であるという論調は非常にナンセンスですよというのは以前記事にしました。

では塩は健康に良いのか? と聞かれると答えに窮するものでもあるわけです。結論だけを述べるのであれば、それは塩の精製方法によるので一概には言えないというものだからです。

そこで今回は日常生活を便利にするアイテムたちを、塩を例にしてどんな判断基準を持っていればいいのかという事を考察します。

物事は突き詰めていくと非常にシンプルな回答を出す事になるわけですが、そういった回答すらもより多くの知識を持っている方からすれば鼻で笑われるようなレベルです。しかし科学的視点だけで物事を語る事は絶対的に必要なものであると同時にツールとしては非常に危険なものです。

賢いヒトは鼻につくからです。主張するべきは主張し、共感するべきは共感する。この匙加減が絶妙なヒトこそ真実賢いわけです。まあそれでも嫌われる時は嫌われますから、諦めも大事ですね。

科学の功罪

科学の発展はヒトの生活を便利に快適にしてきました。楽をするという事は至上価値となり、それ以外の不具合には目を向けないという事を長年続けてきた結果、色々と具合の悪い事が起こり始めています。

科学が便利にしてきたものはヒトの身体では追いつけない変化だったわけです。科学的な変化を加えたものとは世界中に溢れているので、この不具合は多岐に渡って起こっていると言えます。

例えば塩を例にしてみます。塩とは食塩の事です。日本では海水を汲み上げて工場で大量に精製する事で日本中に流通させる量の食塩を作り出しています。よくこの精製された塩は身体に悪いという論調と身体に悪くないという論調の2つが存在します。

こういった物事は難解で眠くなるような理論を延々聞かなきゃならん時が多いので嫌になるものです。しかしその存在だけで生命現象を起こすモノやそこから過度に加工されなかったモノが自然なものであるという考え方がここでも役に立ちます。

自然なモノが生命現象を起こすモノと定義されるのであれば、科学的なモノとは生命現象を乱すモノであると定義する事が出来ます。生命現象を乱すかどうかで考えると普通に流通している食卓塩は科学的なモノであると言えます。

日本の食卓塩は知っての通り海水から抽出されるものがほとんどです。海水を自然蒸発させたものであるならばそれほど生命現象を乱すようなモノは作り出されません。食卓塩の問題は、その製造工程において栄養素を削ぎ落としているという点です。

雑見やエグ味と呼ばれるものは基本的に自然物の持っている栄養素であると言えます。それを化学反応で除去します。すると100%純粋な物質が出来てしまいます。

ピュアなモノのどこがいけないのか? それはこの物質が1つだけでは人体で代謝する為に別の場所から栄養素を引っ張ってこないといけなくなるからです。バランスの良さを重視しましょうと言っていますが、日本の食生活にはそもそもバランスの悪い食品が溢れているわけです。

科学合成の問題点

科学的に精製されたものは食品から医薬品に至るまで生活の隅々に浸透しています。それらは果たして毒なのでしょうか? そう考えた時、毒ではないと誰しも思うと思います。それは間違いではありません。

しかし過ぎたるは及ばざるが如し。適量はクスリ、過量はドクであるという大前提の前には全ての物事がひれ伏す事になります。科学的に純粋な濃度まで合成さえたモノはドクになる可能性が高いという事が言えます。

これは食品でも医薬品でも変わりませんが、ドクになるというイメージを掴みやすいように医薬品で考察していきます。最近ストレスマネジメントばかりに気を取られがちですが一応ね、糖質制限、糖尿病予防の為のブログですからインスリン製剤で考察していきます。

インスリン製剤は化学合成されたヒトインスリンです。ヒトインスリン製剤の無い時代はⅠ型糖尿病の生存期間は半年にも満たないものだった事を思えば、ヒトインスリンは一定の希望をもたらしたといえます。ここではそういった功罪を審議したりはしません。

やるべきは科学精製物であるヒトインスリンの機能に関しての考察です。何故インスリン製剤が効くのかとヒトインスリンであるからとしか言えませんが、インスリン製剤が何故聞かなくなるのかと聞かれればそれは人体が異物として認識するからと言う事が出来ます。

そもそもヒトの体内でインスリンだけが大量に分泌されるという事態が起こりません。例え糖質を大量摂取していても、人体はインスリンを大量に分泌させると同時に様々なホルモン物質を予防策や改善の為に分泌します。

そうする事で全体の代謝を守っているわけですが、人体の代謝は肥満に象徴されるように実に簡単に崩壊します。これには科学的なモノが大いに関係しています。

ヒトの身体は常にバランスを保とうとします。例えばたった1つの物質が体内に大量に入ってきた時、それを相殺する為に色々な物質を分泌する事で対応しているといった具合です。何となく飲み込めてきた方もいるかもしれませんね。

つまり過剰に純粋な物質を相殺する為に人体の代謝が偏っていきます。それが常に起こるような状態になると、人体は元のバランスを忘れてしまいます。これがインスリン関連で起こればインスリン抵抗性が大きくなると言って、元々のインスリン分泌バランスでは自分の代謝を守れなくなった状態になってしまいます。

その解決策としてヒトインスリン製剤である場合だと人体はそのインスリンを異物として認識し効果が出ないようにします。しかしこれがまたクセモノの機能で、そもそもインスリン製剤にお世話になる前に我々の身体は「純粋な」食事で代謝がボロボロの鈍感さんになっています。

そうなると危険だと判断する時もあれば、危険だと判断しない時もあるという状態になり糖尿病患者はインスリン製剤を頻繁に変えたりしないといけなくなります。同じものを大量に使うといきなり聞くようになって低血糖に陥ってしまうからです。

まとめます

科学的なモノとは常にこういった側面を有していると言えます。そして食卓塩でも同様の事が言えます。では最初の疑問に戻りましょう。塩は身体に悪いのか?

精製されたモノは栄養の一方的な偏りから代謝のバランスが崩れてしまうので身体に悪いと言えます。しかし栄養学や化学式が異ならないものである為に、科学的にそれを証明する事が出来ません。いわゆる生命現象に対する違和感という言葉で説明する他ない現象です。

自然が1番であるという話ではなく、自然を受け入れなさいという話でもありません。現代において科学的な精製品を避けるという事はそれこそ山奥にこもって1人で生きていくとか選択しなければ無理ですし、そんな事を可能にする土地がそもそも存在しません。

バランスの良い食事をとはよく聞く言葉ですが、前提としてバランスが崩壊している上に人体の代謝が成り立っていると言えるわけです。そう考えればどのようにして崩れたバランスを取り戻すのかという話になります。

偏っている栄養を何とかする為に、他の栄養素を大量に摂取して相殺するのか。それとも自然なものだけを選択し続けて生きていくのか。生命のバランスを考えるならば、こういった問題に目を向ける事こそバランスなのかもしれません。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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