狭い場所で生きるという事が何故問題なのか? コレに対するシンプルすぎる1つの答え




おはようございます。

何が君の幸せ。何をして喜ぶ。分からないまま終わる。そんなのは嫌だ。

凄い歌詞ですよね。とても我々セイゲニストの食べられないモノが主役のアニメだとは思えませんね。もしかしたらふすま粉や京都江部粉を使用しているのかもしれませんが。

SNSでの非常識な投稿などというモノも流行っていますが、糖質世界の住人的な常識からすればセイゲニストも十分非常識ですよというお話

一時期よりは流行もなくなってきましたがSNSでの非常識な行為を投稿して悦に入っている脳萎縮の激しい方々。世間から非難を浴びているわけですがどういうわけか懲りません。

当たり前でしょうね。非難を浴びるという注目のされ方をして喜ぶのが最終目的なんですから。厚顔無恥が個性であると信じる知性の低さに愕然としますがそれはそれ。

おそらく人生が交わることが無いと思うからどうでもよいです。問題はそこではないのです。

この非常識だと思われているヒトと我々のようなセイゲニストは大枠で一緒と捉えられる危険性を孕んでいます。どういうことでしょう?

どの常識から相手を非常識と断じているのか?

我々は常識という名の同調圧力の中で生きています。その中でセイゲニストが最も苦労する分野が糖質世界での常識です。

ちなみに上述の悲しい彼らが相対したのは人間の知性という名の常識ですね。まあ若い時は愚かな行為をしたがります、特に男性はね。生物的に女性を守護するために死んでいく役目を持っているので多少馬鹿でも良かったのです。筋肉があれば。

それが何の因果か社会を形成した後も女性に譲らず居座り続けています。しかも女性の社会進出をしゃーなしといった感じで肯定し、女性に男性的社会の考え方を押し付けて女性を男性的な考えになるように洗脳しています。

その結果女性は肉食化し、挙句の果てに若い男世代は草食化し男性的な考えを持ったまま女性的なコミュニティを作り上げようとしています。もう生物的に訳分からん状態です。

話が逸れました。つまり常識という問題に引っかかりやすいのはセイゲニストも変わらないよということが言いたいわけです。

セイゲニストが糖質世界の常識に捕まった事例

いわゆる回転寿司でのシャリ残し問題、定食のご飯残し問題、ランチのパン捨て問題などがセイゲニストを非常識として取り上げられた事例ですね。

よーく考えれば分かることですが、食事を残すという事はマナーとして最悪です。しかもきっちり主食だけ残すもんだから目立ちますわ。

これを糖質制限の観点から残しているんだなと理解できるのは同じセイゲニストだけですよね。つまり、こういった事例を起こしてしまったセイゲニストは世間の常識内のマナーを守れなかったわけです。どういった理由があるにせよ、これでは脳萎縮の若者と大差ありません。

セイゲニストよ、紳士淑女たれ

我々は糖質制限実践者たるセイゲニストです。糖質過剰摂取の害に飲み込まれつつある糖質世界の住人よりも糖質に対して敬意を持って接するべきです。

我々は常識よりも多くの食糧問題を認識しています。我々は常識よりも多くの健康問題を認識しています。我々は常識よりも優れた健康管理法を行っているという自負を持っています。我々は常識よりも優れた健康管理法をいずれ常識にするという夢を持っています。

何より我々は現代社会の中で未だに異端の存在です。ようやく認められ始めたのに、セイゲニスト自身で首を絞めてどうすんの?

我々は優秀でも博学でも何でもありません。その前に謙虚にしかし自己主張をしっかり出来る1つの人格であるべきなんです。

寿司屋に行ったら舎利をⅠ型糖尿病でも無い限り2貫くらいは食うべきですし、定食屋やランチではきちんと注文時に主食をお断りしましょう。我々セイゲニストの方が異端であるという事が今の常識ですから、和の中で生きる必要がある時間はその中の常識を尊重しなきゃダメです。

今日も1つ自戒の意味が増えました。最後まで読んでいただきありがとうございます。










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