人生も他人も、あらゆる事を肯定できるようになる為の簡単な思考法




おはようございます。リンさんです。

依存症丸出しのオジサンに最近よく振り回されます。言ってる事が滅茶苦茶なんだと申告しても「お前の言っている事はナンセンスだ」と言って聞く耳を持ちません。

挙句の果てにリンさんよりもおヒマなその方は割かし「口撃(こうげき)」を頻繁にしてきます。しかも依存症気味だからか理屈が無茶苦茶です。

子どもの頃の砂遊びで正式名称忘れましたが砂崩し(?)みたいな遊びありましたよね。その遊びで幼児が砂場で作った山を大人が両手でゴッソリ持って行くような感覚でヒトのモチベーションを刈り取っていきます。

気にしない風に振舞っていると調子に乗ってくるんですが、相手する気も全く起きません。まあもう暫くの辛抱です。

待てば海路の日和ありと言いますしね。

完璧じゃない自分を認める事が、他人を肯定する為の第1歩

世の中には完璧なヒトって存在すると思います。もちろんそれはある程度距離の離れた他人から見た場合完璧そう、という意味です。そんな完璧そうなヒトでも近しいヒトからすれば「面白い面」も「面白くない面」も出てくるでしょう。

ですがそういう完璧そうに見えるヒトって何だか共通点があるような気がしませんか。雰囲気でしょうか? それとも容姿でしょうか?

相手の至らない所ではなく秀でているところを考える事、自分の立場で話すのではなく相手の立場に寄り添って発言する事、自分の至らない所は直ぐに直そうとする事、相手の反対意見を聞く事、上手くいかない時でも相手の話を聞く事など広い意味で「他者を肯定している」ヒト

こういうヒトが完璧に見えるのかもしれません。

他人を肯定できる完璧なヒトになりたいと思っても、どうしたらなれるのか分かりませんよね。ましてや完璧なヒトをお手本に頑張ろうと思っても自分が完璧にこなせない事で自己嫌悪になる事が大半でしょう。

自己嫌悪の内容も他者を肯定できないことに起因するものが多いかもしれません。

ここでは少し切り口を変えてみることにします。

他者を肯定できるヒトだから完璧に思われるという事

完璧なヒトだから他者を肯定できているのではなく、他者を肯定できるヒトだから完璧に見えると置き換えて考えてみると、実は完璧に見えるヒトが完璧ではないという事に気付きます。

完璧そうに見えるヒトは自分の至らない所をすぐに直そうとします自分に向けた反対意見にも耳を傾けますし、自分が上手くいかない時も相手の話を聞く事ができます。

完璧そうに見えるヒトこそ「至らない所や相手の反感」を真摯に受け止めているという事が言えます。

至らない所があるからこそそれを言ってきたヒトの意見をしっかり聞くわけですね。つまりコレは自分が完璧じゃないという事を知っているからヒトが完璧でない事も感覚で理解できているという事ではないでしょうか。

至らない自分を認める

完璧ではない、つまり至らない自分を認める事ヒトとの関わり合いの中でその至らなさを出してしまった時、必死に隠したり見栄を張ること無く自然体に受け入れる事

そういった生き方をしているからこそ、相手のダメなところにばかり目を向ける事の無意味さに気付くのかもしれませんね。

他者を肯定できない、他人を認められないという感情は「自分自身が完璧を追い求めてしまうヒト」に多いです。しかし、よくよく考えてみればヒトは不完全である事が当たり前です。

追い求めた完璧がいつからかアナタ自身の人格や生き方、社会的地位までをも求めるようになりそれに応えられなくなった瞬間、アナタの完璧を追求する視線は自分自身から他人の存在へとシフトしていきます。

アナタが自分自身に課した「完璧な自分」を演出できなかったのと同じ理由で他人もまた完璧であるという事はあり得ません。ですが、いきなりそれを言われても納得は難しいかもしれません。

とにかく最初は完璧じゃない自分を許す事から始めてみるといいかもしれません。

完璧じゃない自分を許せないから自分が嫌いになり絶望します。自分に絶望しても人生は続いていきますが、絶望し続けていると生きていく事が出来ませんよね。

だから、他人の完璧じゃない所を探して指摘し始めます。他人の存在を否定している間は自分の存在を否定している自分自身の存在を忘れる事ができます。

それがダメな事で何も生み出さない事は本人が1番よく分かっています。だからそうなってしまった根本の原因、スタートとなった因果を断ち切る決断をするべきです。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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