界面活性剤とスキンケア -結果だけに不安を感じ排除する事の危険性-




おはようございます。リンさんです。

親が子どもを殺すという痛ましい事件が続いています。親になる資格というものは非常に定義が難しいものですが、精神的に拘束されるような教育を続けてきた結果としてこの日本に蔓延している病というものを考慮するとネグレクトの根幹にあるものが少々見えてきます。

自己反省を強いて支配を強める方法は、自分と相手の心を蝕みます。その蝕まれた心は相手の存在への容認という認識を奪っていきます。相手を認める事とは自分を認める事から派生する自己肯定と他者貢献の関係性を持っています。

子どもを可愛いだけの存在であり自分の理想を追求する為の存在だと思い込んでしまうと、それは親子ともに不幸になるだけです。程度の差はあれど、親の望まない事を子どもがすれば親は嫌がり、そんな親を見て子どもは更に自己主張ができなくなります。

それが悪循環となる事でネグレクトへと繋がるのかもしれませんね。しかし今は、虐待で亡くなった子どもの事を思い冥福を祈るのみです。弱者が犠牲になるのではなく、弱者にされた者が犠牲になるのは実に嫌な社会です。

そしてそれは対岸の火事ではなく、自分達が戒めるべき今そこに存在している問題なわけです。

結果だけを追求して原因を取り違えるという問題を生んだ

世の中を完全に斜めから見ると、ヒトを信用しなさいとは思考放棄の一種であると言えます。より正しくはヒトを無条件で信用する事に問題があるわけですが、それは些細な事なので割愛します。

ヒトの良さとは時としてバカにされる要素となります。何でもかんでも無条件で信用してしまうのはおバカさんであると思われています。それはまあ愛されるべき人間特性であると思いますが、近年では情報弱者や教養の低さとして自分の生きる環境を悪くしてしまっている原因であるとも思われています。

んでは、そういったヒトは全体の中で極少数なのかと聞かれれば、むしろ大多数であると言うのが現実です。ヒトは自分の生きた環境で物事の常識を決めます。普通に生きていれば自分の生きる環境とは親の生きる環境から引き継ぐものなので変える事そのものが困難になります。

それが年齢や世代を繰り重ねる事で常識として形成されていきます。常識となった思いは覆す事が難しいものです。たとえそれがどれだけ間違っていても常識は中々切り替わりません。この特性を活かした支配の図式が戦後教育であり、その戦後教育から自立できずに最悪の成長を遂げたのが今の日本の教育という事になります。

常識とは特定の誰かにとってだけ都合の良い共通認識です。それによって得をする人物がいる事も特徴ですが、最も大きな特徴は損をした方が損をしたと認識できない事です。このような環境でヒトは常識に縛られる事で思考を失っていきます。

そうなると原因の究明というヒトにとって最も大きな知的探究心が失せる事になります。このように他人との共通認識である常識にだけ注意を払うようになると、いわゆる「他人の目ばかりを気にする」ようになります。

常識を気にして自分を主張できないのも、常識を逆手にとって自分より歳若い存在に横暴になるのも出発点は同じものなのです。この2つは出ている結果が全く違うので同じ問題として議論されません。しかし原因となる物事が同じなので本来は議論をしなければならない事柄です。

こういった事が今の日本ではよくありますし、そもそも誰かの利益を追求するようになった社会では当たり前の観念ですから他の国にももちろん存在します。陰謀論かどうかというのも、信じるかどうかもお任せします。考えなくては何も始まりませんからね。

物事の認識を阻むものとは?

常識となり思う直すのが困難になった概念のものに消毒というものがあります。悪い菌を殺す事で毒に冒されるようなリスクを回避するという考え方です。

しかしこれはヒトという種の生き方と共生関係にある細菌との関係性を完全に無視しています。この理論が科学的に間違っているのに爆発的に浸透してしまった点こそ常識になるまでに浸透してしまったからという点です。

常識は基本的に疑われないし疑わないものですね。そしてその疑わない姿勢が原理原則ではなく、結果として起こる現象を抑える事に成功すれば物事は成功するという思考を形づくります。目に見えるものだけを当てにする現代では価値観が実に貧相になっていると言えます。

そういった常識の中に洗剤や石鹸などの消毒・殺菌に対する考え方があります。消毒や殺菌とは悪い菌を殺す事で、病気や感染症などを防ぐ事を目的としている概念です。

誰がこの概念を提唱したとか難しい事は別で調べてもらうとしまして、消毒は非常に身近な考えになっています。突き詰めて言うと消毒薬を塗布し乾燥させる事でキズなどの治癒が促進するというものです。そういった商品は多いですし、多くのヒトが自分でキズを治そうと試みる時に採用する方法でもあります。

しかしこの常識的考えは科学の前では非科学的な考え方となってしまいます。科学的な根拠の無いものならば、何故これほどまでに浸透しているのか? それはこの考えが常識だからです。

この常識で誰が得をするのかは想像に任せるしかないところですが、素人である患者も治療のプロである医師もこの常識に中々逆らえないのは事実です。

実際、20年ほど前に夏井先生が湿潤療法を提唱しなければ今日までこの概念がこれほどにまで浸透し、常識である乾燥による治療を変えようとまでは至らなかったはずです。

価値観の変化はそれほど難しいものです。常識を受け入れるのは若い頃が最も良く、更にその常識を疑うのも若い頃でないといけません。常識に浸り、長く生きるほどにヒトは常識から逃れられなくなります。

そして新しいものを受け入れられなくなったヒトはまとめてこう言います。「若い者には常識が無い」と。日本における貧困は世代を超えて引き継がれていますが、それでも世代ごとに考え方や受け入れ方は異なります。

これが分からなくなった時、ヒトは老害という存在になります。これを理解していない為に、ヒトはお互いの認識を共有できなくなります。

界面活性剤の危険性

本題の消毒と殺菌の話に戻ります。殺菌とは消毒と乾燥により患部の治癒を促進するという考えの下に支援されています。この方法論で市井に出回っている物質が界面活性剤です。この物質で汚れと考えられる部分と接着部分を剥がしてしまうわけです。

しかしこれはナンセンスな話です。ヒトの組成と他の生物との共生関係を考えれば、この方法がどれだけ人体に即していないかが理解できます。

そもそもヒトに害を及ぼす細菌を消毒しようとする事に無理があります。生物は食性が多彩なだけで死ぬ方法はそれほど多彩ではありません。つまり悪いものだけを排除する事は絶対に不可能であると言えます。

また悪さをする菌という考え方にも疑問が残ります。それは「ヒトにとって」悪さをするかしないかの尺度でしかないので、自然という存在から検証すれば悪さをするものなど存在しません。全ては自然の機能を維持するために増えたり減ったりを生物間で行っているだけに過ぎないからです。

根本的な問題はヒトにとって悪さをするものが、悪さをする環境と悪さをするようになる原因を追究しなかった事です。悪さという結果が出たから、それを排除しなくてはいけないという考え方によってのみ西洋医学は物事を判断しています。

反対に言えば、西洋医学は緊急的な状況での排除などには非常に適した手段であると言えますが、それ以外が割とダメな存在であるという問題点が現代で浮上しています。

①ヒトは細菌の塊

まず最初に知っておくべきなのは、ヒトが細菌と共生して生きているという事です。ヒトは体内や表皮に細菌の住める場所を提供し、細菌の放出する各種の物質で代謝を円滑に回しています。逆に言うと、ヒトは細菌の力無しには自分の健康という名前のバランスを保つ事すら出来ないというわけです。

腸内細菌、表皮常在菌を代表とする細菌とヒトは共生しています。他にも大腸菌、口中菌などヒトは細菌の塊です。

先ほども書いたように殺菌と消毒はヒトに悪さをする菌だけを限定して効果を発揮する事はありません。間違いなくヒトにとって有用な菌や共生関係にある菌も殺します。そして人体とはその周囲全てに共生する細菌を有しています。

界面活性剤は面積として非常に小さな悪さをする細菌と引き剥がす為に、有用な働きをする細菌の部分までもを剥ぎ取ってしまいます。

②汚れを落とす事と殺菌は全く別の話

汚れを取り除くとは殺菌とは全く別の話です。殺菌すればそれだけで汚れが繁殖しないと思うのは勘違いであると言えます。

食材を調理し食した後には汚れの付着した食器が残ります。こういった汚れを取り除くには洗剤を必要とします。それはこれが脂質と糖質が絡み合った汚れだからです。

しかしそこに界面活性剤は必要としません。汚れを落とすという事だけを考えるのであれば、物事は科学物質に頼る必要がないからです。

ヒトから分泌される汚れは皮脂と呼ばれますが、皮脂は汚れではありません。少なくとも洗い流すのはお湯だけで十分に流れてしまう水溶性の物質です。皮脂を分泌する腺に問題が発生する事でそこの細菌が繁殖し臭いを伴う汚れとなります。

皮脂を分泌する腺に問題を起こすものは何か? それこそ消毒と殺菌です。この行為は表皮に住む細菌を必要以上に殺します。有用な菌が死んだ跡地に悪さをする菌が先に住み着いてしまう事で問題が発生します。

そして付着した悪い菌をより繁殖させるのが皮脂から分泌する物質に含まれるもの。基本的に皮脂腺から分泌されるものは脂質が主体ですが、ここに糖質が混ざると細菌は大繁殖します。

人体の汚れとは水溶性の物質であり、これを落とすのはお湯で十分です。食器などに付く汚れは少々異なりますが界面活性剤を含む洗剤は必要ではありません。科学で考えるのであれば、マグネシウムと水分を反応させてアルカリ水を作れば油脂は除去できますからね。

食器と人体が異なるという事は、汚れを落とすという考え方と殺菌への考え方も異なるという事ですが、現実に販売されている商品はそのほとんどが全く同じ考え方を使って製造されています。

人体は殺菌するほどに弱くなります。それは共生する細菌をどんどん弱体化させているからであるといえます。汚れを落とすにはお湯で十分なものを殺菌までするという事は単純にやり過ぎなわけです。

③消毒は治癒の補助にならない

体内も体外も人体にとって最も良い環境とは湿潤です。保湿は大事と言いながら様々な方法で皮膚を乾燥させているヒトには理解できないかもしれません。

人体にとっての最高の状態とは細菌にとって最も住みやすい環境を整える事であると言えます。腸内細菌への考え方と同じ事が表皮でも言えるというのは別に変な話ではありません。この湿潤な環境整備こそが最高の治癒環境であり、乾燥とは最低の治癒環境であると言えます。

キズは体液によって湿潤な環境を保ち治癒していきます。体液は傷口を保護し新たな皮膚を作り出します。その湿潤な環境で悪い細菌が繁殖しないように皮膚に住んでいる常在菌が体液の上で繁殖するわけです。

つまり体液を取り除くと湿潤な環境を保てないという事になります。そのような劣悪な環境ではキズは更に深くなります。キズが深くなった環境に消毒をすると先に住んでいる表皮常在菌が弱体化していきます。しかも皮膚を作り出す体液も除去されてしまいます。

表皮常在菌が弱体化すると悪い細菌の力を抑えられなくなりキズはもっと悪化します。火傷や怪我などで医者に行って消毒を徹底して傷口に化学物質を塗りこむ軟膏を処方されたヒトもいると思いますが、それで痛みが軽減したり素早く治った経験は無いと思います。

リンさんも中学の時に自転車から転倒して、右肘の辺りに大きな傷ができました。キズ自体は深くなく面だけが大きいものだったのですが、それが30代の今になっても痕がうっすら残っています。ちょうどシミのような感じです。

まとめます

殺菌消毒という常識と、それを全てに適応しようとすると不都合が起こるという事について考察しました。常識とはいくらでも揺らぎますし、ヒトによって異なります。

そういった違いを知って、それらを疑う姿勢を持つ事で物事は違う見え方をしてくるようになります。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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