日本の諸問題 -根源に横たわる貧困-




おはようございます。リンさんです。

とあるゲームにて男(オトコ)は漢(ヲトコ)になる為に人生を生きるという教訓があります。そのゲーム内で主人公に漢の生き様を伝える師匠のような存在がいう言葉に印象深いものがあります。

漢が泣いていいのは生涯に3度だけだ。1度目はこの世に生れ落ちた時、2度目は母親と死別した時、3度目は愛する者と別れた時。これ以外で漢は泣く事を許されないのだ

愛するヒトと別れるなんて1度や2度ですまないんじゃ……とか思わないようにね。真の漢は愛するものは生涯にただ1人なのですから。

男女差別だと思うヒトもいるのでしょうね、こういうのは。しかし誰でもそうですが男として生きる事、女として生きる事は相当な覚悟が必要になります。

日本で生きているとそういった部分も麻痺してしまいますが、オネエを見ていると何となく理解出来るのかもしれません。つまりはそれなりの覚悟を持って生きていないとフワフワ漂うだけのクラゲのようだと思われてしまいます。

日本に諸問題の根底に横たわる根源たる貧困

日本には様々な問題が蔓延しています。少子高齢化、経済政策など国家単位の問題から老人の暴走、ロスジェネの人害、ゆとりの二極化など個人の抱えてしまう問題まであります。

大きな問題が起こった時、最も有効な処方箋は過去その問題が起こったであろう瞬間まで遡り、それに対して対策を講じることです。根源が分かっていなければ問題解決など絵に描いた餅でしかないわけです。

にも関わらず日本では目先に起こる問題だけを議論して解決しようと躍起になっています。こういった空気の根源こそ日本にはびこる貧困の招待であり諸問題の産みの親です。そしてその貧困とは自己反省を強いるという言葉に集約されます。

反省が問題を大きくするとはおかしな感じがします。しかし日本で行われている自己反省とは自分から出てきた感情ではないという事が大きな課題と言えます。そしてそれは若い世代だからという問題でもありません。

マナーの悪い老人など老齢期に至って暴走する日本人がいるように、この問題の根幹が世代間を問わず起こっている事は明白です。つまり問題の根幹を知るには相当過去にまで遡らなければならないわけです。

国際情勢への関心と国内事情への無関心

国際情勢が変化に富み知る事が面白いというのはテレビ番組でも取り上げられるような事から理解できます。分かり易く教えてくれるヒトの番組ですね。反して国内事情は非常に面白くないという感覚ですね。これには足の引っ張り合いであったり議論にならない低い教養レベルの会話であったり色々と理由がありますが、これの原因は後述します。

しかし国際情勢が面白いと言っても、それはエンターテインメントの面で面白いという感覚を持っているように感じます。日本人特有の面白さへの基準と言いますか、落語などの対岸の火事を面白おかしく語るものを好みます。

国際情勢は正に対岸の火事であり、聞いているだけで面白いのです。他人事ではないから危機意識を持ちましょうとテレビで言ったところで、求めているものが異なるので伝わらないわけです。

反して国内事情は自分の内面が抱える問題に関して色々と提起されてしまいます。ダメな政治家、バカな大人、どうしようもない同世代の話などは笑える話ではありません。日本人はこういう部分を嫌います。比して海外はこういった部分を知る事で自国の特異性と誇りを認識します。

国家としてどちらの戦略が求められるのかは考えるまでも無いものですね。議論をしないものはいつまで経っても前に進まず、ただただ風化していくだけなのです。

日本にもやや過激ですが、関心を集め議論を行っている次代がありました。いわゆる学生闘争と呼ばれ1960年代~1970年代に行われていた学生運動です。いわゆる権力への反抗としての運動と称されるものです。細分化すればキリの無いものですが、ここでは概ねの理解でお願いします。

しかしこの学生闘争は失敗しました。内部分裂による崩壊であると言われていますが、彼らが暴走した理由を知らなければ議論を盛り上げるという事が適いません。何故なら彼らの残したものは世代間の分かり合えない壁の再認識と、それによる議論への消極性の拡大だからです。

再認識と呼ぶように、これらは彼らが原因となり起こったわけではありません。蒔いた種が彼らの時代に花を咲かせ注目を浴びたに過ぎないのです。

徹底された自己反省の戦後教育

国家としての体をなさず、国民の議論も盛り上げる事が出来ない国とは実に異常な話です。数千年続くとされる日本国の一体何がそんな異常を引き起こしたのでしょうか。大きな変革の起こった時代を考察しないといけません。

国の根幹にまで関わるような変革が行われる時代の象徴とは何かと聞かれれば、それは戦争であると言えます。戦争とは支配の為に行う闘争であり、それを引き起こす理由は様々ですがひっくるめると強奪です。

物資の強奪、土地の強奪、ヒトの強奪。暴力は最高潮になれば歴史を強奪してしまいます。そうなると国家という存在は終焉を迎えます。

現代では戦わずに議論するという知性が生み出されていますが、それもたかだか数十年前に生み出された概念に過ぎません。2つの世界大戦を経てようやくこのまま人類で争っていたら滅んでしまうという危機感が生まれました。

そしてその危機感を無くす為に議論する行為の重要性が生まれました。しかしそれは誰の為の利益になるかという事が重要になってきます。この議論とは世界大戦の勝者たちの利益を確保するものであると言えます。

これ以上ヒト同士で戦争はしないでおきましょうと決めた、その時代の覇者達に都合が良いというのは当たり前の話です。日本を襲った最大の暴力とはこの世界大戦後の戦後処理にあります。

自己反省を強いる支配の伝播

戦後の日本を統治したのはアメリカのGHQです。しかし戦勝国による戦後の裁判にはアメリカ以外にも様々な国が参加しました。

最も大事なのはこの戦勝国連合というものが白人国家であったという事です。帝国主義の蔓延する時代でしたから、白人は白人至上主義のただ中にあったと考えるのが妥当です。

それが目に見えて行われる迫害でなかったとしても根底にあった差別意識であった事は言うまでもありません。差別をするのが当たり前の教育だったのですから、ヒトは差別を行うようになるものです。今の時代でも反体制教育を熱心に行っている国家はいますから、いくらでも参考例はあります。

この時代、白人は神に愛された種族で、それ以外の種族は下等なサルと同じものでした。そのサルが作った国家である日本が自分達の作った帝国と同じ帝国主義を抱え近代国家となり、あまつさえ戦争を起こして自分達を脅かしたわけです。

後顧の憂いを無くす為にも日本を見せしめに徹底的に従属させる必要がありました。それは自分達の感情の始末をつけるという意味合いと、白人への反抗を起こさせない為の教育という面を持っていたわけです。

こうして日本を最大の暴力が襲いました。日本は歴史こそ奪われはしませんでしたが、自分達で物事を構成する機能を奪われてしまったわけです。

勤勉に自己反省だけをしてきた日本人

日本から物事を解決する能力を奪ったものこそ、自己反省の徹底でした。罪に関して常に反省をするように仕向けたわけです。

自己反省は全く外へ向けられる事のない感情です。ですからヒトの意見と一緒になったり、揉まれて洗練される事も無い先へ進まない自己満足の反省であると言えます。これにより日本人を停滞させる事が狙いだったわけです。

もちろんアメリカを始めとする欧米列強も、この自己反省も戦後のゴタゴタが落ち着くまでの時間稼ぎだと考えていた事でしょう。その時間稼ぎの間に日本の持っていた技術を鹵獲し自国の戦力を整えようとしていただけのはずです。

それは同じく敗戦国であるドイツが今やヨーロッパの一大国家にまで復興した事からも明らかです。しかし日本は未だに国連の敵国条項という敵国として認識される欄に記載されています。つまり日本は戦後復興から失敗していると言えます。

経済成長での復興は完了したかもしれませんが、国としての生き方を解決できる能力を持たないままに自己反省を繰り返すだけの国家になってしまったわけです。

勤勉な日本人は、最大限その能力を発揮して勤勉に自己反省だけを繰り返してきたわけです。

貧困は遺伝する

自己反省を勤勉に続けてきた結果、奥ゆかしいのが日本人の美徳であるという勘違いが生まれました。日本の文化は戦後徹底的に破壊され新しい価値観に塗り替えられています。そんな中でも自己反省だけを繰り返してきた日本人は道を間違えていきます。

自己反省を基本とするヒトは相手に自己反省を求めます。そして自己反省は議論を強制的に停止させます。つまり相手に反省させる事で自分の支配下に置くという手法を取り始めます。

それ以外は出来ません。思考が停止しているからです。そしてこれは貧困と呼ばれるものと連動していきます。何も考えず相手の責だけを求める考えは日本人をドンドン不幸にしていきました。貧困は連鎖していきます。

例えば家族を想像してみます。父を日本という国、母をアメリカだと仮定します。元来、生物とは母親に情を感じ父親を嫌悪して自立していくものですから母親の意向を汲み取ります。

母に気に入られたい一身で自己反省をしてきた日本人は母の呪縛から逃れられなくなっています。主義として右であるとされる日本人が反抗期の子どもであるとすると、左は乳飲み子であるという些細な違いしかありません。どちらも子どもであるという事実に変わりは無いのです。

必死に母に気に入られようとしますが、母は自分にしか興味の無いネグレクトでした。ネグレクトの親に子どもは愛情を求めます。右は反抗する事で愛情を獲得しようとし、左は与えてくれない事を泣き喚く事で愛情を獲得しようとします。

名目や主義主張、考えている方向性など様々な違いはありますが、根幹の考え方が自己反省で歪んでしまっている日本人は子どもでしかないと言えます。

その歪んだ愛情は最終的に父である日本という国を憎む事で代替しようとします。思考と愛情が成立すればそれは国を憂うという言葉になるわけですが、先ほども書いたように日本人は子どもです。自立する手段を持たず、自分を罰する事でしか相手への関心を引けないという事が自立を阻んでいます。

何より、こういった批判的かつバカにしたような論調を日本人は嫌います。問題提起を自分に当てはめずに、関係ないと感情を遮断し、問題提起を嫌がり、言っている事がナンセンスだと憤ります。

これこそ日本にはびこる思考停止という貧困の根源です。そしてこの根源が日本の抱える問題の大きな原因であると考える事が出来ます。

日本は貧困国という評価

自己反省で解決が見出せず、相手と比べる事もできない日本人は思考の落とし穴にはまっていると言えます。比べる何かがあり、議論するべき問題点を共有するからこそ発展する国家的な豊かさを得られ、自己実現の鍵を手に入れる事が出来るからです。

こういった問題を繁栄するように、諸外国の日本への評価は実にひどいものです。特に経済政策に失敗している国家という判断はかなり早期にされていて、どのようにすれば日本のように経済政策を失敗しないかが今の議論の中心となっています。

では、日本自身が今の日本のようにならないようにどうすればいいのかを考える事で問題の解決策を講じる事が出来る可能性があるという事です。

議論が出来ないほどに自己反省が蔓延している事は問題です。しかもその反省は自分だけに留まり周囲と共有される事が無い為に意見として発展もしませんし洗練もされません。日本が必要としているものは反省ではなく、今までの反省で一体どれだけのものを得る事が出来たのかを論じる姿勢です。

自己反省を相手の支配の為に使っていないで、未来を掴む為に使うべきです。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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