嫌という感情が訪れるものは例えどれだけ健康に寄与するものでも実践しない方が良い




おはようございます。リンさんです。

youtubeのとあるゲーム実況の配信者さんが配信しているゲームの1つにMinecraftというゲームがあります。流行りのサンドボックスゲームってやつですが今回は中身の話ではありません。

このMinecraftにはモブ敵としてゾンビがいるのですが、このゾンビの亜種に小型で素早い子供ゾンビと呼ばれるものがいます。

子供ゾンビは体力が尽きるまで素早くプレイヤーに接近してくるのですが、それを見てこの配信者さんは「最近の子どもにもこれくらいのやる気があればいいのに」と呟きます。

子供ゾンビはプレイヤーに攻撃され続け最後には倒されてしまいます。ここでその配信者さんはもう一言呟きました。

「でも、やる気を出しすぎるとこうなっちゃうんだけどね」と。

大人や社会という壁に子どもが全力で向かい潰されている現実を見事に風刺したわけです。

全力で頑張る事の報酬が他人から褒められる事であるならそれは非常に虚しいものです。自己肯定感の充足が叫ばれて久しい現代ですが、自分自身を認められないと他人から得られる報酬だけが判断材料となるので自分を蔑ろにしてしまいがちになります。

多くの人が「たかだかゲーム実況」と思っているものの中にだって真理はあるという事です。

成功の秘訣は最初っからハマっちゃう事。だから最初っからうまくいきそうにないと思うくらいなら実践しない方が良いって話。

日本に溢れている健康情報は何でもかんでも足し算の理論で成り立っています。普段の食事にこれ1本とか、1日たった30分の運動をするだけとかそういった類のものですね。

しかしそれは根本的な問題を見ていないのかもしれません。そもそも食事を管理したり運動を適度に行わないと肥満になり糖尿病発症のリスクを負うのはヒトとヒトに飼われているペットだけなわけです。

となるとおかしくなっているのは現代の生活全てであると結論づけられるわけでして、そうなると「既におかしい生活習慣の中に健康的な習慣を1つだけ取り入れて健康になれるのかどうか」という疑問が当然のように湧いてきます。

最終的には食事の内容を丸ごと変更してしまうような健康法を選択しなければいけなくなるわけですが、当然のようにそういった丸ごと食事を変えてしまうような食事法は全員が全員上手くいくわけではありません。

おかしな話ではありますよね。健康に良いはずなのに、なんで上手くいかないのか。

そこには心理的な思い込みなどの不確定要素が絡んでいるのかもしれません。そういった心理的な側面とは本人にしか認識できない部分という事で個人差と呼ぶ事も出来ます。

①好きこそものの上手なれ

スポーツなどの身体的な才能であったり音楽などの文化的な才能であったりといった、それぞれがもっている才能を発揮させる事が出来るヒトがいます。

才能があったから努力出来たのか、努力したから才能が開花したのか色々な考え方があります。

しかし才能を発揮するのに重要な事は、興味を持つ場を与えられる事と、その活動に関して自分自信が好きになる事の2点が挙げられます。

それは才能を発揮するには努力という存在が不可欠だからです。

努力は感情を対価に支払われる行為です。という事は自分にとって心地良い感情で支払いを行った努力はストレスが少なく、自分にとってあまり有用ではない感情で支払った努力は苦痛を感じやすいわけです。

心地良い感情で支払った努力はストレスが少なく効果も大きくなります。そこに本人の持ち合わせていた才能というものが開花する事でいわゆる「一流」が生まれるという事になります。

これは我々が日々行なっている活動全てに有用なストレスマネジメントの基本になります。快を最も重要な判断材料とし、不快を回避するか受けて立つのか選択する事で自己の成長を管理します。

これを食事法に照らし合わせるとどうなるでしょうか。

例えば強烈なモチベーションで始めた食事法であっても目に見える結果や、わかりやすい身体の快調が認識できなければ継続は難しくなります。

インターネットとSNSによって興味を持つ場に遭遇する事はそれほど難しくなくなりましたが、成功体験を得る事は情報が多くなり過ぎて難しくなっています。

嫌いなものを好きになれない理由の最も大きなものが理解できない、あるいは理解させてくれないからです。

ヒトでも物事でも何でもそうですが、理解できないものと相対するとヒトはストレスを抱えてしまい、そのストレスに対抗するために闘争ホルモンを分泌し始めます。

これは嫌いなものや理解できないものを回避する為に行う一時的な方法だと意味のあるものですが、基本的にヒトの社会は現代において閉鎖されている空間で人生が展開していきます。

つまりこの方法では原始的過ぎて効果が薄いわけです。ですから現代的な回避策は相手や物事を極力理解しようと努める事と言えます。

理解できずに拒絶するのと理解した上で回避するのでは意味合いが全く異なってきます。理解できていればストレスは少なく、しかも簡単に回避できるからです。

事実を積み重ね予断を持たないというのは言うは易しですし、そこに好奇心を持って改良を繰り返すとなると難しいものです。

ですから「嫌だ」とか「理解できない」とかそういった感情が理解よりも先行するようなら手を出さない方が無難ではあります。

②身体の機能が変化できない

心理的な不快と相乗効果を発揮して、物事をうまくいかなくさせてしまう要素の1つに肉体の反応があります。

嫌だと思ってしまうと物事は望んだはずの結論にまで行き着かない可能性があります。

そしてそれとは別に、肉体が一気に物事を切り替える事が出来ないまま過ごす中で挫折してしまうという点が肉体的な要因で最も気をつけないといけない部分です。

糖質制限で考えると挫折しやすいタイプの中で、痩せ型、糖質こまめに食べる、病気じゃないけど調子が悪い感じが抜けないなどの脂質をふ普段からそれほど代謝する機会の少なかったヒトが当てはまります。

こういった方は糖質を代謝して生産される少量のATPで肉体が稼動できてしまうので、大量の脂質やたんぱく質を摂取する糖質制限との相性は難しいものがあります。

代謝に必要なビタミンやミネラル摂取を増やすのはもちろんのこと、消費するエネルギーを増やす方向性の運動も視野に入れておかないといけません。

しかしそんな事をしていると脂質からエネルギーを得にくい肉体は消費エネルギーが増え過ぎて悲鳴をあげてしまいます。

世の中にある多くの方法論の中で成功するやり方というのは1つしか存在せず、理屈を理解し失敗しないようにきちんと理解する事しかありません。

これが前提に置かれていないと、おそらくは何をやっても望んだ結果を引き寄せるのは難しくなります。

そしてこういった細かい事を色々と考慮に入れておかないといけないヒトこそ情報をしっかり吟味しないといけないにも関わらず、こういったヒトは非常にマイノリティであるから厄介なわけです。

糖質制限の成功例は探せばいくらでも存在します。しかし失敗した中でどういった創意工夫をして成功に導けたのかという話は多くありません。

何かを大きく変えようとするのはヒトは得意ではありません。ですから1つだけ追加したり削除したりする方法論が世の中に溢れています。

糖質制限はそういった手軽な方法ではないので、少々難しいものです。

ですが人生における大きな選択には必ずと言っていいほどシンドい労力を割かなければなりませんし、自分で選んで生きていこうとすると実はそれこそ当たり前の現実なわけです。

深く重く考え込む必要はないわけですが、選んだものが自分にとって福音となるかどうかは自分にかかっているって事ですね。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です