三島由紀夫とストレスマネジメント




おはようございます。リンさんです。

日本が地震列島の名に恥じないくらい地震が頻発するようになってきました。元々ヒトが体感できない程度の揺れは数え切れないほどに起こっているそうで、体感できるような揺れが頻発している事がかなり危険な事態だとか何とか。

まあ地震は日本のどこにいても遭遇する自然災害ですから、地震に合わないように願うよりも地震が起こった時に最悪の事態に陥らないようにする準備が必要だそうです。

でも軽く揺れるだけで結構ビビっちゃうし、そもそも緊急地震速報の大きな警告音でビビるんですがどうしたらいいんでしょうか。誰か冷静な心構えってやつを教授していただけないでしょうかね。

三島由紀夫の予言と金言

ストレスマネジメントの観点から日本人としての立脚点を知る必要があると考えています。そう思うようになったのは日本という国が経済的に失敗していると海外から思われており、更に日本人がそういった国内の問題に無関心でありながら面白半分で国外の情勢にだけアンテナを張っているという特性があると感じたからです。

日本人の美徳は謙虚さと勤勉さだといわれています。にも関わらず自己への反省は活かさず対岸の火事を楽しんでいるような状況だったわけです。これには反省をきちんとするように他人から言われ過ぎれ、反省そのものをやっつけ仕事のようにするようになったせいです。

その為、反省という本来であれば重要な行為は軽視され形骸化したものが日本に蔓延するようになりました。結果、意味の無い反省を他人に強いる事は相手を支配する為に思考停止させる有効な手段と成り下がったわけです。

日本人が現代において貧困に陥った原因を探る事は、自分自身と自分が住んでいる国の抱えている問題を理解する事です。理解できない不安が日々生きる事への不安を生み出しますから、そういった問題の根幹を知る事は不安の正体を知るという事なのでストレスマネジメントに繋がるというわけです。

そういった不安を知る為の手法としては色々なヒトの言葉を知る事が手っ取り早いわけです。しかし先述の通り日本は病的に自己反省を強いるオジサンによって支配されているので、知識を仕入れる際にも注意が必要です。

そういった知識を仕入れるために必要な指標は、懐古主義を唱える存在ではなく未来を的確に表現する事の出来たヒトの言葉を思考の一助とするという事です。懐古主義とは簡単に言うと昔を懐かしむ事ですが、日本人の文化は敗戦によってそこで断絶されています。

敗戦前までの日本人がどのような価値観で物事を見ていたのかは単なる推測でしかなく、戦後の反省を強いられ続けた日本人が「こうだったのではないか」と考える過去の想像でしかないわけです。つまり過去を懐かしむのに意味は無く、過去や現在から未来を予見する事こそ問題解決能力としての基本であると言えるからです。

その点で言えば三島由紀夫は特異な存在です。戦後の作家とは無気力主義的な懐古主義者が多く、過去の人物の賛美と過去の歴史の批判を主体としています。反して三島由紀夫はその歴史の捉え方とそれにより生まれた日本人の価値観に問題があるとしたわけです。

三島由紀夫の予言

三島由紀夫は日本に蔓延している希望を語る社会に問題があるとしています。そういった希望を語っているにも関わらず中身は全く無く、誰かにとってだけ都合の良い希望を語っているに過ぎないというわけです。

それを称して三島由紀夫はこう言っています。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう

これを50年ほど前に予言していたというのは驚きでもあり、日本の抱える問題の本質を理解していたと言えます。もっとも今の日本は既に抜け目の無さも無くなり、経済大国でも無いわけですが……。

本質を見抜く力を持っていたにも関わらず三島由紀夫は大きな名を残さずにこの世を去りました。三島由紀夫の後に続くような思考力を持ったヒトが存在していなかったのも大きな理由ですが、最も大きな理由は彼が周囲の日本の空気に馴染めずいたのがそれだと言えます。

もちろん馴染んで牙を失うのは避けるべき事態です。しかし三島由紀夫はその本質を見抜く力と日本の未来への展望を絶望した為に自殺を選んでしまいました。そしてその自殺は彼が思っている以上に誰の心にも残らなかったわけです。それは歴史的な出来事ではなくただの事件として処理されました。

この事が三島由紀夫の予言した空虚な日本を最も象徴していると言えます。だからこそ、彼の観察眼には論理的な思考があると考える事が出来ます。

多くのヒトにとって三島由紀夫はそれほど身近に感じるような存在ではありません。しかも思想主義からすれば三島由紀夫を支持するという事には右派的な意味合いがあるとも言えます。

しかし主義の左右はそれほど大きな問題ではありません。どちらが優勢になろうと今の日本では大差は無いからです。三島由紀夫の危惧が現実となった日本では主義主張よりももっと根本的なものが問題となっているからです。

大事な事は三島由紀夫は未来をしっかり予見した。そしてそれは概ね間違っていないもので、日を重ねるごとに深刻になっているという事です。つまり三島由紀夫の言葉には信じるに足るものが含まれているという事です。

三島由紀夫の金言

三島由紀夫の言葉を思考の一助にする理由は先述の通りです。そして三島由紀夫の言葉には以下のようなものがあり、これもまた日本に蔓延する問題を現していると言えます。

努力を信じすぎるな

三島由紀夫の努力に関しての感覚は今の日本人からすれば異質なものです。努力をすれば報われるものが多いと説く今の日本と比べると明らかです。

彼は努力至上主義こそ日本を腐らせた根源だと断じています。

われわれの社会は、努力にモラルを置いている結果、能力のある人間をわざとのろく走らせることを強いるという、社会独特の拷問を行っているとまで言っています。

日本の社会は老人支配の社会であり、その中で能力がある若者に全ての能力を発揮させては老人が支配を行えません。能力を発揮させない為にはどうすればいいのか。

簡単な話、小さい頃から努力しなさいと教え続ければ、自ずと努力が足りないからダメだと考えるようになります。それは自分が社会的に優れている時、逆説的に発揮されます。

能力が高いという事が社会から異端視される理由の1つになるからです。そうなると能力の高さは社会的に生きていくのが難しくなり、社会的に能力が平均的である事が生きやすい事になってしまいます。そしてそれこそが平穏に生きていく秘訣になってしまいます。

だからこそヒトから言われる努力しなさいという言葉には気をつけなくてはいけません。それは相手を思って努力しなさいと言っているとは限らないからです。

日本における平穏とは雇われ給料と福利厚生を得る生活です。しかしそれが全ての価値観になっている日本では経済は失敗し、高度経済成長のような偶然に頼らないと経済が上手くいかなかったという証明をしています。

経済成長も経済成長を果たす為の社会的な熟成も無くなってしまったという事です。そうなると今あるパイを切り分けていくしかありません。そうなると誰が多くのパイを得るかという話になります。

多くのパイを得るには知識を持っている必要があります。そしてその知識を維持するためには相手をバカなままでいさせる事が1番簡単な手段です。

パイでは分かりにくいとすれば砂山崩しでもいいかもしれません。つまり今の日本では砂山崩しにおいて1番最初に大量の砂を一気に持っていくヒトが最も得をして、それ以降砂を崩すには全部が崩れてダメになってしまうというリスクを抱えているという事です。

正しく自分自身を反省する事も努力する事もさせなかった為に日本はおかしくなりました。という事は必要な事は誰かに強いられた反省に縛られるのではなく、知識を得る幸運を引寄せる努力をする事です。

まあそれが常に金銭的・社会的な幸運や成功を掴むとは限りませんが、それによって余計なストレスを被る事はなくなります。

この記事が誰かの思考の一助になれば幸甚です。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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