ヒトは理解し合えないけど、共感してくれないからって話を終わらせるのは宜しくない




おはようございます。リンさんです。

やる事いっぱい。でもやる気が起きない状態が続いています。そんな状況だと焦りが強くなってくるわけなんですが、焦っても仕方ないって思っている自分もいます。

何をすればいいのか。何からしなくちゃいけないのか。まあ色々困りもんです。上手くいかない事よりも実行するまでに至らない情けない現状が嫌な感じです。

お前には理解できないよって言葉はダメでっせ

ヒトは似たような環境、似たような境遇の場合に最も共感しやすいものです。であるからして境遇の似ないものであるならば、例えそれが近しい肉親であろうと理解しあう事はできません。

しかし理解できないからって何もかもを拒絶して思考停止していいという事ではありません。まずは思考を育てる為に受け入れる姿勢とその後に自分の思考に組み入れる必要性があります。

お前の話なんぞ聞いとれん! などとその辺のオジサンのような事を言っていると脳みそが思考停止の末に本能部分以外を機能停止しかねません。

理解できないにしても、何とか理解しようと努める姿勢こそが思考を育てるわけです。物事を細かく分けて理解していかなければヒトは大枠で捉えられただけの現実に侵食され、やがては自分の思考だけで物事を判断してしまいます。

ヒトの数だけ現実は多面性を持っています。これを忘れてしまうと相手の感じているものをしっかり理解しようとする気持ちがなくなってしまいます。

①俺の経験上、こうで間違いない

経験から物事を判断するのは当たり前の話です。ヒトは生きていく中で多くの経験を積み、その経験から結論を先に導き出し人生の荒波を円滑にしていく事が出来るからです。

そうする事で無駄な選択肢を排除していく事が出来るわけですが、当たり前のように問題もあります。それこそ経験したこと以外への順応性の欠如です。自分の経験から導き出されたものが人生の全てですから、ヒトは多かれ少なかれ自分の経験だけで物事を判断します。

いわゆる「あるある」ネタというものが面白いのは、常識を感じている部分とその落差を描いているからであり、それはこういった経験からくる思い込みによって発生しています。

この経験とは自身が実際に経験したものと経験談として知識を得たものの2つに分けられます。この2つは分けられているものですが、使い方が同じである為にいつも判断基準として使われてしまいます。しかしこれらから物事を判断しようとすると科学的根拠からは乖離してしまう事も多いので注意が必要です。

例えば「俺の経験上、今の若い世代は何も考えていない」という意見を持っていたとします。事実としてこの言葉を言う方が出会った若者の多くはパッと見て何も考えていないような感じに見受けられたのでしょう。

しかしここできちっと抑えておきたいのが「何も考えてなさそう」という結論を出したのが過去の経験からの思い込みであるなら、それは果たして最初から結果ありきで物事を判断しなかっただろうかという視点です。

こういった考え方は非常に楽です。デブ = 不摂生 というイメージがありますが、まさにそういった常識的な判断のみで物事を判断している事になります。誰も分子栄養学に基づき デブ = 代謝異常 なんて思わないわけです。

ヒトはみんな違うと言っているのに、物事の判断を楽にしようとして合理的かつ効率的で無駄が無いと思っている経験則を用いることで矛盾を生み出しているのです。

②子どもがいないお前には分からない等

何とか相手の立場に立ち理解しようと試みるとしますね。そうなると相手の事を思って少し耳の痛い事も言わないといけない事も出てきます。そうなった時、共感して欲しかった相手側は理解ではなく批判を行われたと思ってしまいがちです。

実際の所はそうではなく有益になるかもしれないアドバイスなのですが、批判されたと思っただけで相手の言葉は届かなくなります。

例えば子どもの成長や食事に悩んでいるけど、どうすればいいのか分からないという相談があったとします。家族ってやっぱり難しいという相手の感情に出来るだけ共感して、どのようにすればよいのかを一生懸命考えますよね。

その結果として忠告のような言い方になってしまったかもしれません。そうなった時、こういった事を言って話を終わらせようとするかもしれません。

子どものいないお前に何が分かる

ここで冷静になっておかないといけない事は、相手は家族がいる事の難しさに対しては理解を示している事と家族の抱える問題の根本的な解決法を耳の痛くなる言葉で言っている事です。

理解し共感しようとして何とか相手の立場に立とうとしている相手を、自分の側から否定している事になります。

ヒトは自分にとって都合の悪い言葉や、言って欲しいと思っている言葉以外が聞き入れる事が難しい生き物です。問題解決ではなく愚痴を聞いて欲しい場合でも、相手が何を思って自分にそう言ってきているのかを考えられるくらいの余裕は持たないといけません。

相手の言葉を受け止められない時、何らかの問題を自分自身が抱えている事を気付く事ができます。こういった対人関係の中から読み取れる自分自身の心がある事を知っておけば、忠告だらけだと思う会話であっても受け入れて思考する事が出来るようになると思います。

相手の言葉が面倒だとか鬱陶しいとかそういった感情が無くなるという事ではありません。残念ながらその感情は無くなりませんし、きっと楽にもなりません。

そうではなく相手の言葉から自分の本質を問い直すキッカケが出来るのだと思えば少しは気も楽になりますというだけの話です。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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