オジサン問題

人類史

社会問題の根幹には擬人化と大衆迎合がある

この度の新型コロナによりヒトの社会における欠点と、その欠点を生み出しているものの存在が浮き彫りになってきました。そしてその問題の多くがヒトの勘違いにより増長され、ヒトの共感性により共有されています。そしてそれの効果を理解しているものにより、世間はいいように操られているというわけです

心の在り方

オジサンは道を譲らないし、愚かにも道を譲れないようにもした

オジサンが社会の問題の根幹であるというのは真理の側面を持ちつつも、理解しにくい概念でもあります。団塊世代の老人が「キレる老人」となっていくようにオジサンと呼ばれる種類の老害は特別であるという事を自負しまたヒトにも強要します。そこが愚かだと気付くのは若い世代だけですが、オジサンは若い世代を搾取する手段で思考を奪ってしまいます。

人類史

歴史は後世が作り変えてしまっているという側面も持つ

歴史は勝者が作り上げた「勝者にとって都合の良い現実」です。ですから基本的に敗者は負け犬や卑怯者のように描かれるので、歴史の考察には注意が必要です。しかし歴史そのものを後世のヒトが都合良く書き換えているという側面も忘れてはいけません。むしろ、その方が危険なのです。

心の在り方

サービス業が客を選ぶ行為を差別的だというのは、客側が真っ当な「対価」への意識を持っている場合に限るのではないか?

おはこんばんにちは、リンさんです。 社会の停滞とはすなわち若者が文化を創造できなくなるという事です。 かつて戦争によって多くの若者が命を散らしました。戦争が終結し、自分の人生を生きる事に全力を注げた若者は文化を解放してい…

雑論

他人の問題にだけ注意を払い、自分の問題を認識できない日本人の老害と劣化

声を上げない日本人は国際社会でバカにされがちです。しかし往々にして、日本人が口を開くと薄っぺらいどうしようもなく中身の無い主張をしていたりする事もまた事実な訳です。今回は戦争を知らない世代が戦争の悲惨さだけを声高に叫ぶ事の弊害について考えてみます。戦争の悲惨さを叩き込まれた世代が老害となり、戦争を知らないニュートラルに物事を捉える世代に切り変わろうとしているからこそ老害の酷さが目立ってくるのかもしれません。

雑論

マナーへの勘違いと、その延長線上にあるオジサンと老害

日本が社会主義国だと仮定すると、安い賃金で安価な製品を品質良く作る事に主眼を置いている意味がよく分かります。富は平等に分配される為に存在するわけですから、収入の差は決して大きくないと考えられるのでそれが成立します。しかし現実の日本は資本主義国であり貧富の差は大きくなっています。つまり労働環境は社会主義的で経済は資本主義で回っている事に全ての問題が集約されているわけです。ここらの勘違いが社会を大きく歪ませオジサンという魔物を生み出してしまっているのかもしれません。

心の在り方

必要とされる老害? 不要な老害?

何故これほどまでに老人やオジサンが社会における憎まれ役になってしまったのでしょう。価値観の変遷についていけないから? 超高齢化社会における当然の帰結に思える老害ですが、どうにも正しい抑止力としての老害は重要だそうです。そんな事を言っているから老害認定されているような気がしなくもないんですけどね。

心の在り方

真面目に生きる事と、その真面目さを自分だけの物差しで測ってしまう事

世代が抱える認識の違いが大きく浮き彫りになってくる現代において、古臭い価値観だけを重視するヒトは老害だと語られがちになります。全く同じものを見ていても、考え方によりその見え方は全く異なると理解しておかないと相手を尊重できない時代になってきたって事かもしれません。

心の在り方

根性論というオジサン問題

人生経験と自分の思考的豊かさが比例していると考えているヒトは多いですが、それは逆である事が分かっています。子どもの感受性が豊かであるように、最も思考が柔軟なのは若い内であると言えます。という事は年上というだけで意見が尊重されるというのは間違いの元になりかねません。若者は何も無いと思っている時点で自分が何も持っていないという事なわけです。

心の在り方

人生において心が動く事が何故重要なのか?

どうにも心穏やかに過ごす事とは悟りのようなもののように思われている節があります。反対に心豊かに過ごす事は若々しいイメージといった所でしょうか。しかしこの2つは反発するものではなく、同時に存在させる事の出来る感情です。今回は年を重ねると割と失いがちな心が豊かに動く事の重要性を考察します。

人類史

日本伝統の女人禁制とはいつ生まれたのか? それは単なる支配の礎となる思考に過ぎないのかもしれない。

日本の伝統である女人禁制。それ自体の持つ文化的側面は放っておくとして、何故にこれほど現代にマッチしないものを保持しようとし続けるのでしょうか? 最近では頭の中まで脂肪になっちゃったような元関取さんたちの不適切な発言が相次いでいますが、考えなくてもやってこれた環境ってのはヒトを劣化させますね。伝統なら起源を知るべきですし、続けるならそれなりの矜持を持つべきです。「昔からずっとある」って言われたところで多くのヒトにはそんな事関係無いのですから。

人類史

生物的に不完全で中途半端な為、遺伝子的に脆く弱い箇所がある -不自然なオトコという生態系-

女性中心で巡る事を基本設計としている生物の中で、オトコという生き物は後発の存在であり、その存在理由は外敵から女性を守る肉の盾として丈夫な生命体が必要だったという事が生物学で解明されている今の常識です。これは単体での生殖がメスは可能だがオスは不可能な事からも支持できる話です。人類は生物としての役割と高度な知能の間で何故かオトコが社会を作り上げたわけですが、まあそもそもそこから勘違いなわけです。

心の在り方

日本の裁量労働制の議論が抱える致命的な1つの矛盾

残業を減らしプライベートを充実させる事で労働力の生産性を上げようとする試みがされていますが、果たして残業時間の増加が絶対的な悪で、生産性の向上とはそれに対する完璧な解答なのでしょうか? 疑問に感じるのはこういった労働者の働き方についての方向性を決めるものであるのに、議論に参加するのは「為政者」「経営者」「管理者」であって「労働者」が存在しない事です。

人類史

おばあさんの存在は人類繁栄の戦略的進化 -オジサンたちよ、オトコは不要という証拠がドンドン積みあがってきたぞ-

人類は繁栄を築く為にオトコ中心の社会を築き上げてきたと思われていたのは今ではもう昔の話。実際の所、人類の繁栄とは女性の進化の賜物であり、それに便乗したオトコが「女性を守る役割」を拡大解釈し続けてきた結果、男性優位のいびつな社会を形成したに過ぎないというのが最新の理論です。さて、世のオトコたちよ。価値観を変えられなければ生き残れなさそうだぞ。