遊びをお金にする事への解釈




おはようございます。リンさんです。

リンさんは自分を真面目で内向的で融通が利かず面白味の無い人間だという評価をしています。自己評価の低さは自己肯定感の低さに繋がるので、ストレスマネジメントの点から良くなさそうだと思うかもしれませんがそれは実は逆だったりします。

自己評価の低さは問題ですが、他人のこれが許せないと思う行動から自分の嫌いな部分を推測しそれを理解しようと努める姿勢は自己肯定感の向上に役立ちます。自分を正しく理解しようとする姿勢は自己肯定感を高め、更には他者肯定へと思考を高める事も出来ます。

多少のストレスは伴いますが、自分を見つめなおす作業が必要なのはおそらく誰もが何となく理解している事だと思います。

ただこの方法の問題は、他人の嫌いな部分を挙げへつらって自分の中にある問題に落とし込めなくなる可能性がある事です。そしてそれをヒトは現実逃避と呼びます。

ヒトのせいにして生きるヒトはそれこそ星の数ほどいます。しかしそれは自己を省みるチャンスが常に巡っている証拠でもあるわけです。自分の抱えている問題から逃げないというのは苦しいものですから、ヒトの事ばかりを言っていればそれは本当に楽なものです。

実際のところ、楽だけど非常にストレスの圧し掛かるものですけどね。そこで楽をせずに問題を直視して思考を始める。逆境をバネにするとはつまりそういう事なんだと思います。

「好きを仕事に」とは甘えでは無く覚悟である

好きな事を仕事にするというのは働き方改革における重要なキーワードです。世間一般での働き改革は如何に効率よく労働者に労働をさせるのかに重点を置いています。しかし働き方を変えるというのはライフスタイル全般を変えるという事と同義ですから働き方だけを変える事での影響は微々たるものである可能性が大きくなります。

働き方を変えるという事は生き方を変えるという事です。それはつまり考え方を変えるという事でもあります。ではそういった柔軟な思考を持てるものとはヒトの社会の中で一体誰が受け持つ役割なのでしょうか。

答えは簡単で、それは若者であると言えます。思考が止まるように教育されている日本であっても柔軟な思考を持つのが若者である事には変わりありません。決められた価値観に疑問を抱き、新しい価値観を生み出す事は若い世代にしか出来ません。

そういった若者の新しい働き方の1つに「好きを仕事にする」というものがあります。この言葉を聞いただけで反感を抱いたり、嫌悪感を持つようになるとオジサンなので注意して下さい。こういった言葉の意味と実際に好きな事を仕事にしている若者の状況というものを理解しなくては、これが正しいのかどうかも判断できません。

そもそも好きな事を仕事にするというのが如何に過酷な事なのかを理解する必要があります。それにはまず、オジサン達が「好きな事を仕事に出来ていないのではなく、仕事を好きになっていない」という事実を理解しなくてはいけません。

好きになるまでやり続ける事で継続力とする

好きとはどういった感情でしょうか?

物事は好きになるから始めるのではなく、時間を忘れるほど没頭するからやがて好きになっていきます。好きこそモノの上手なれとは言いますが、没頭するほどのめりこむから上達するのであって最終的にその感情が好きに繋がります。

さてそれでは、時間を忘れて没頭したものがありますか? こういった質問をした時、どれだけのヒトが情熱を語る事が出来るでしょうか。それくらい情熱を語るのは難しいものです。

たとえどのような種類のものでも没頭したものが説明できないヒトは好きを語る事が出来ません。そして、そういった説明の出来ないヒトとはオジサンであると言えます。

オジサンはヒトの情熱を否定する事に情熱を注ぎますからね。まあリンさんも似たようなものですから、気を付けないと老害まっしぐらです。

それはともかく、つまりは好きという感情は情熱を持った時間の集積とそれによって得た継続する力であると言えます。かなりどうでもいい余談ですが、これが2人分必要になるので恋愛は難しいのですね。

好きを表現する若者の仕事

ただただ仕事は苦難に溢れ、淡々とこなすことで時間を経過させるものであるとするのはオジサンの理論です。厳密に言えばオジサンとは年齢的・生物的なものではなく、論理的思考の欠如や他者容認の欠如などから現れる老害の事です。

仕事に関する意識とは世代間の差とは言い難いものになっています。仕事に苦を求める世代であるオジサンと仕事に楽を求める世代である若者の認識の差は埋まる事はないでしょう。

というよりも仕事に苦を求める者は、より上の世代に使い捨てられる運命でありそれを下の世代にも引き継いでしまいます。苦痛をもって生と為すのは実にナンセンスです。仕事は苦しいものだと力説すつヒトを見ても引いてしまうだけでしょう。つまりはそういう事です。

もちろん自分自身で背負うと決めたものなら苦痛は背負うべきですが、世の中には背負わなくていい苦痛を沢山背負わせる存在がいる事も知っておくべきです。

反して、没頭し時間を費やし好きになったものを表現する若者の仕事は楽をベースにしています。これは楽をするというのではなく、自分自身が楽しむ事でやっている仕事が楽しい仕事なんだという表現をしているわけです。

リンさん、自己投資として考えると時間の無駄遣いだと言われていますが YouTube が好きです。その中でもゲーム実況というジャンルが好きなのですが、こういったジャンルで配信しているヒトは好きを目一杯表現しているような感覚を持っています。

個人的には兄者さん、弟者さん、おついちさんとか好きなんですね。このヒトたちはゲームが好きという感覚と友達と楽しい事をしている感覚、実況を見ている側への楽しみの提供などを成立させているんだろうななんて感じています。

楽しさを共有する事でヒトと繋がり生と為すわけです。

楽しさの提供ですから、完璧なゲーム実況というパッケージを展開しているわけではありませんから、そういったものを求める視聴者からは反感もあるようです。しかし、この楽しさを提供できるって実はもの凄いことです。

好きな事を好きだと相手に伝える仕事が出来ていますか? 大半のヒトは出来ていないと思います。これを伝える事で仕事にするという事を若者は選んでいるわけです。それは多様性の選択であり、ライフスタイルの変化です。

生き方を変える事を選んだ若者と、それを鼻で笑うオジサン。果たしてどちらが社会にとって価値があるのでしょうか。答えは簡単に出ますね。

まとめます

生き方を変える事を選び、好きな事を好きだと表現する仕事を選ぶ事は道楽ではありません。表現とは非常に難しいもので、共感や共通の認識を持つヒトとの繋がりを保つ必要があります。

生き方を変えた若者はそういった難しいものを自分達で何とかしようとする生き方を選んだわけです。そこには自分達の人生を自分達で何とかするという意志があります。

反して、その意志を鼻で笑う存在もいます。リンさん的にはそういったヒトたちは自己反省教育の産物であるオジサンという種族です。自分が反省ばっかりさせられて育ち、社会に出たら反省していれば割と何でも許されて、でもストレスが溜まり、そのストレスを下の世代を反省させる事で解消する老害です。

これは戦後教育から連綿と続く日本の負の遺産であり、長く続く事で常識となり世代を超えて引き継がれている貧困の元凶でもあります。その為、世代と性別を問わず日本ではこのオジサンが発生する土壌があると言えます。

世代を問わずこの常識に縛られてヒトは不幸になり、そこから脱却しようと新たな生き方を模索する若者を愚弄します。これの解決には貧困を引き継がない事が肝要で、それには生き方を自分で選択する若者が増える事が希望になります。

好きな事に没頭し、好きな事を好きだと表現できるような生き方が常識となるように願います。最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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