思考軸が糖質制限の理解を阻んでいるのかもしれない




おはようございます。リンさんです。

糖質制限を批判する記事が何だか一気に増えたような気がします。基本的にブログのネタにしたいだけでリンさんはそういった批判的なお話には「余所はヨソ、家はウチ」の精神で通しています。もちろん批判の中身を検証する事はしますが、実際の話どうでもいいよねというのが感想です。

それに検証する上で最も大事な点ですが、そういった批判的な意見には科学的な統一性がありません。科学を武器に記事を書いているような雰囲気満点の「医学博士が書いた。糖質制限は危険?」みたいな記事も実に科学的ではありません。

糖質制限はパラダイムシフト、つまり新しい価値観の考え方です。それを今までの常識という物差しから判断して危険だという事を科学的な反論だといっている非常に残念なクオリティのものです。

しかし反論記事が残念であっても、そこに用いられた思考軸は決して否定できません。それが人類が進化の過程で築き上げてきた社会を構築する思考軸だからです。

今回は、現代において使い方が非常に限定的になってしまったその思考軸が、糖質制限の理解を邪魔しているよっていうお話です。

科学と常識は、人類が進化で得た思考する能力

人類は霊長類という自然に属するべき生物でありながら、自然から脱却し大規模な集団を形成し進化を遂げてきました。自然から脱却するという事は自然のルールを無視するという事です。

自然のルールを無視するという部分から分かるように、それは今の自然と人類の関係性を表しています。環境破壊なんてのは人類がこの進化を選んだ段階から決まっていたわけですね。まあだからと言って解決しようとしないなんてのは別の問題ですよ……っていうのは別問題なので今回は割愛します。

しかし何でもかんでもルール無用だったわけではありません。人類は進化を遂げる為に2つの思考軸を持った戦略をとりました。それが今日まで続く人類のルールになっているわけです。そのルールによって人類は思考するという特性を持つようになります。

ルール① 科学的思考

1つ目は科学的思考です。数学的思考や物理学的思考とも呼ばれます。

どうにも難しい話のようにしかならない科学的思考ですが、世界を形づくる力を理解する為の思考というのが1番近しいのかもしれません。

数学者が数学を用いて答えを出すのは、この世界を数学で説明する事が出来ると考えているわけではなく、数学を使って世界を数字に置き換えて理解しやすくしようと試みているわけです。

足し算や引き算を覚えれば、その先にある掛け算や割り算も理解しやすくなるといった具合に、理解の範囲を広げていくツールとして使用するわけです。数学はこの工程を更に高度にしただけに過ぎません。リンさんは数学がチンプンカンプンですが、数学が紐解いた世界の形にはお世話になっています。

これは数学だけではなく科学全般に言えることです。私達の生活を便利にしている技術は全てこの「世界を読み解く化学的思考」から得られています。

科学的思考の考え方はシンプルです。

仮説 → 検証 → 結果 → 実証 です。もうちょっと細かいぜという突っ込みを科学者から受けるかもしれませんが、概ねこんな感じです。

科学的思考の恩恵を受け、人類は物理的な豊かさを享受できるようになりました。今も書いているブログなんかもその1部です。

ルール② 常識的思考

続いて2つ目が常識的思考です。常識的と名前が付くように、この思考は集団を形成する為に必要な思考です。科学的思考が世界を理解する為の力であるならば、常識的思考は人類が作り上げた世界を維持する力であると言えます。

科学的思考は地球、宇宙、生命など普遍的に存在している世界を理解する為の力です。その力で人類という集団が生存できる世界を広げる役割を持っています。

常識的思考はそれとは異なります。人類は自然に反して人類だけの集団を作って生きていく選択をしました。強固な防壁を持つ集落を作る事で、脅威となる肉食獣のいない安全な世界を作り上げたわけです。しかしここで大きな脅威が発生します。

人類同士の争いです。長い歴史の中で支配と争いを繰り広げてきた人類は滅亡の危機を味わってきました。その中で集団は国家を形づくっていきます。国家は存続できるようにルールを形づくります。それが常識的思考でした。

集団を形成し国を作り上げた人類は、その強大な集団を維持する為に様々なルールを作り上げていきます。まず同属意識を持つために民族という概念を作り上げます。民族という概念だけではまとめきれなくなると、民族の中に階層を作り上げます。労働者階級、特権階級などです。

その中でも上手くまとめきれなくなると奴隷階級を作り上げますが、それがうまくいかなくなると支配地域を広げる戦争を始めます。戦争は人類を疲弊させるだけだと気付いたので、次に国家を1つの単位とした集団を作り上げていきます。

こうして大きな枠でルールを作り上げた後で、更に細かいルールも作り上げて集団の維持を行いやすくしていきます。

例えば恋愛であれば、1人を愛するものであるという倫理観。お金であれば物々交換ではなく貨幣や紙幣の使用などがこれに当たります。

通常であれば倫理観も、貨幣価値も人類が生物として生きていくうえで全く必要の無いものです。しかし集団の中で役割を持つ人類は、多様な価値観全てを認められるほど社会を成熟させるよりも価値観を固定する事の方が管理しやすい事に気付きました。

「常識的に考えてそれが普通である」という考え方は、そういった面倒くさい多様な価値観について思考しなくても日常を過ごす事が出来る便利なツールです。このツールを用いる事で人類の生活はシンプルな価値判断基準を持つようになります。

常識的 = 集団にとって好都合 である事は生活上のトラブルを防いでくれる事になりましたが、その価値観の多くは大規模な集団が思い込んでいる勘違いです。そういった勘違いを多く共有する事で、自然界では全く価値の無い常識的思考が人類の社会では価値を持ちました。

主軸と副軸の考え方

科学的思考と常識的思考の2つを用いる事で人類は大きく飛躍を遂げました。科学的思考で世界の秘密を解き明かす事で生活範囲や生活の利便性を高め、常識的思考で集団が大きくなる事で生まれる軋轢を未然に防ぐ事が出来たからです。

この2つの思考は、ちょうどヘリコプターの主軸と副軸のような関係性を持っています。と言ってもどちらが主でどちらが副かという話ではありません。

ヘリコプターは主軸の回転だけでは機体ごと常に回り続けてしまいます。これでは乗り物として機能しません。そこで機体が回らないように主軸の推進力を活かすのが副軸の役目です。

科学的思考を主軸とした場合、世界の秘密を紐解く事をメインの課題とします。そしてその課題が解けた時に人類は新しい生存領域を作り上げる事が出来ます。

しかし科学的思考だけでは、課題を解いて手に入れた新しい価値観を広める事が出来ません。それが常識となって初めて人類に貢献するという事になります。常識として集団に浸透させる事が必要になりますから、常識的思考は欠かせないものです。

一方、常識的思考が主軸である場合も同様に副軸に科学的思考が無ければ成立しません。常識を維持するのは集団を維持する為です。そしてその集団を維持する理論は常に最新の科学を根拠にしなければなりません。

何故ならば科学を用いて世界の形を解明し続ける事で、人類は生活のフィールドを常に更新しているからです。

常識がいつまでも更新されなければ、科学の恩恵を受ける事が出来ない。という事はそれは今の人類にとって最善の方向性ではないという事です。常識が正しく機能するためには、最新の科学を根拠にする事が大前提になります。

しかしここに今の人類が抱える最大の問題点があります。

常識的思考が科学的思考を背景にしなくなったのです。それは集団が大きくなりすぎた結果、普遍的な概念として使用される常識をどれだけ徹底的に浸透できるかどうかによって集団が生み出してくれる利益が変わる事が分かってしまったからです。

最新の科学が常に今までの常識で利益を出していた集団の利益をもっと増やしてくれるとは限りません。時に今までと全く異なる価値観を科学が提示し、常識は利益を求める集団によって最新の科学を根拠にしない場合があります。

糖質制限は科学的思考を主に

糖質制限はこの科学的思考を主軸にしています。最新の科学で手に入れた情報を元に物事を判断している為、現代のように常識を変える事に対してスピード感の無い状況である事が少し理解を阻んでいます。

また糖質制限は最新の科学が生み出した割と新しい理論です。その為、研究が進んでこれ以上は大きな変化が起こらないだろうという領域まで掘り下げられていません。

この段階では常識として浸透させるという事は困難です。人類の生活は今や数学者や研究者を除いて常識的思考が主軸になっているからです。

今まで信じてきた当たり前の事を否定する事ほどエネルギーの必要なものもありません。

ですが、常識に寄りかかっていると糖質制限の理解を見逃してしまうわけです。

従来のダイエットは常識的思考を主に

従来のダイエットは糖質制限とは逆で常識的思考を主軸にしています。

当たり前のものを手放すのは非常に難しいという言葉通り、多くのヒトは糖質制限をこの常識的思考から理解しようとします。ここで糖質制限への理解が阻まれるわけです。

常識として浸透していない最新の科学的事実を、一般的に普及している常識で理解しようとすると無理が出てきます。

こういった事態は色々な場面で起こりますが、分かりやすいものだと「最近の若いモンは……」ってやつではないでしょうか。これもまた自分達と常識がかけ離れているから理解しがたいという感情の表れですね。

これってつまり若者とこの世代とで「最新の科学」が異なるから起こります。常識は勘違いを大規模な集団が同時に起こしている状態というのはこういう事です。それが本当に普遍的な価値観を持って常識になっているのであれば世代間のギャップなんて存在するはず無いですから。

まとめます

人類は常識的思考と科学的思考の2つの思考軸で進化を遂げてきましたが、現代が常識が最新の科学を適用できなくなってきている事が問題になっています。

常識を疑う必要のある科学に対して、常識の面から理解しようとするからおかしくなります。

科学を常識として広める手段として科学的思考だけで何とかしようとするから、あまり誰にも理解されずに浸透していかないなんて事態になります。

大事なのはこの2つの思考軸をきちんと持っていることと、問題解決の内容毎にどちらの思考が適しているのかを考える事です。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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