不登校を個性とする議論も大事だけど、新型栄養失調も視野に入れなければ正しい議論とは言えないのではないだろうか?




おはようございます。リンさんです。

昨年12月19日、香川県で日本発のオリーブの新品種を開発したと発表がありました。農水省の審査待ちで、品種登録は5年くらい先になるそうです。

凄いぞ香川県。だったら血糖値の上がらない小麦粉も作っておくれと切に願います。

不登校の議論に新型栄養失調も入れて欲しい

現在、小学校2年生で不登校している子の母親にお話をうかがった。

――不登校が始まったころの話を教えてください。

 昨年4月7日が入学式でした。本人は入学式前から、ピカピカのランドセルや「拾ってきた」という謎のワンピースを着るのを楽しみにしていました(笑)。

 ところが入学式の夜、私に耳打ちしてきて「明日からもう学校は辞めるね」と。

 突然のことすぎて内心吹き出しちゃいました。入学式後からは母同伴で始業前の朝の会にだけ出る日々が始まりました。

――本人は何がイヤだったのでしょうか。

 娘が言っていたのは学校は「忙しすぎる」「準備が遅くなると怒られる」「人がワサワサしていて落ち着かない」「怒鳴られてる人がかわいそう」「心がブルブルする」などです。

予測不能な怖さ

 体育や運動会などで先生が大声を出すことには本気でおびえてました。入学以前だと大人の大きな声を聞くのは命に危険があるときぐらいです。たとえそれが自分に言われていなくても緊張感や恐怖心を感じると思います。

 しかし学校ではそうした状況が、本人からすれば理由もわからずに多発する。娘はコントロールできない恐怖感を「心がブルブルする」と表現したんじゃないかと思うんです。

以下略

不登校新聞「“学校へ行くと心がブルブルする” 小2の娘が不登校」より引用。句読点、改行は当ブログ管理人による。

不登校。確かに増えていると聞きますし、内容を読んでも考えさせられるものです。

こういった議論の際に、登校すること前提に話を進めるのはナンセンスであるというのは時代の流れです。確かに学校へ行かなくても社会を知ろうと思えば手段はいくらでもありますし勉強の手段なんてそれ以上に多くあるでしょう。

しかしこういった中々触れられない議論をする際に、全てを個性として容認する姿勢というのは如何なものかと思っています。つまり「学校へ行かない」ことへの議論であって、それが起こった事の根本原因を考える姿勢が無ければいずれまた違う問題を抱えてしまうかもしれないのではないでしょうか。

心の問題は栄養の問題であるというパラダイムシフト

現在進行形の心療内科の治療と言えばセラピーと投薬治療ですが、ここ数年で心療内科の新たなパラダイムシフトが起きていることも事実です。

統合失調症、うつ病、ADHDなどの疾患は新型栄養失調が深く関わっていて、栄養失調を改善すれば疾患を治療することができるという新常識です。

日本における新型栄養失調の定義は今のところ存在しませんが、最前線で患者さんを治療しているお医者さんの言葉を借りれば、新型栄養失調は「鉄分の圧倒的な不足及び食事からのたんぱく質摂取不足、精白・品種改良されたものばかりの食事でビタミンやミネラルは根こそぎ削ぎ落とされている状態」と言えます。

世界的に見ても鉄不足はかなり重要視されていて各国では大体何らかの食品に鉄が添加されていたりしますが日本ではそんなことされていません。またたんぱく質に関しても欧米や日本以外のアジア圏のように肉を食べる習慣が少ない日本人は深刻な不足状態です。

精白された白米や小麦粉はビタミンやミネラルが乏しく玄米やライ麦は白米や小麦の数倍の栄養素と謳っていますがそもそもほとんど無いビタミンやミネラルが数倍になったところで高が知れていますよね。

品種改良された野菜や果物に関しても大きくなって甘くなっただけでそれ以外の栄養素と言う部分で見ると数十年前の品種と比べても50%以上の栄養素が無くなっているといわれています。

しかも日本では炭水化物を主食とした食事をしてきた経緯もあり、今でもその食習慣が根強く残っていますが、

  • 昔と比べて栄養価の低い白米や野菜を中心としている点
  • 糖質中心の食事なのに運動量が絶対的に不足している点
  • ビタミンやミネラル摂取が少なすぎて身体の代謝が滞っている点

などなど新型栄養失調は生活基盤を揺るがしかねない事態にまで至っているのです。

新型栄養失調に陥ると生命活動を最優先とする代謝状態になりますから、心のバランスや育成に大切なホルモンや身体の成長に必要な栄養素も足りなくなり、総じてメンタルにもフィジカルにも何らかの不具合が生じてしまうと言うわけです。

まとめます

新型栄養失調は深刻な心の病を引き起こす可能性があります。逆に言えば栄養を十分に摂取することで心身の健全な成長を促すことが出来るという事でもあります。

子どもの生きかたに多様性を求める議論は大事ですが、原因を追究する姿勢を失った容認論だけでは幸せになれない可能性だってあります。子どもにとって正しい栄養とは何か。それを子どもと一緒に作り上げることも大事なのではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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