ゲーム規制なんて時代錯誤はなぜ起こったのか?




おはこんばんにちは、リンさんです。

香川県のゲーム規制案の決定に「あの」鳩山さんですら時制を求める投稿をして話題になりました。

まあでもあのヒトは普段の言動がエキセントリック過ぎて、まともな発言をしても振り幅が大き過ぎるんですけどね。

ともあれ、香川県ではゲーム規制なんてあやふやなものが条例として存在することになってしまったわけです。

子どもが興味を抱く入り口として機能していたゲームやマンガといった分野が一定の悪者であるという括りを得たことで、ゲームから興味を得て勉強するようになったという好事例は無くなっていくのかもしれませんね。

となると現代において様々な娯楽に溢れている現代でゲームという入り口を1つ無くした香川県は、子どもに学校の勉強とそれへの対処法というつまらない苦行を強いることになります。

そう、そもそもその苦行を面白いものだと思わせるのに失敗した教育者が問題なのであって、ゲームはヒトの興味を引き出すものであって面白いという本質を忘れてしまっています。

となると依存はどうなるんだとか言う話になりますが、そんなもんは親や自分の持っているスマホに対して課金をブロックする手法を取ればいいだけの話でしょう。

ではどうしてそういう単純な手法ではなくゲームは悪であるといった意志を込めた条例などにまで発展してしまったのか?

リンさん的にはここに確証バイアスというものがあると思っています。

これは自分の思い込みが唯一無二正しいと思ってしまうもので、別名を常識とも言います。

ヒトとヒトの問題ではこいつが大半の原因です。常識という言葉から共通認識だと思いがちというのが大きな理由でしょう。

ではこの常識に囚われてしまうというのはどのように起こるのかというと割と頻繁に起こっています。

ゲーム規制の条例化なんて難儀なもんが常態化しているならシャレにならんわけですが、ここまで重症の思い込みには原因があります。

1つが加齢です。

単純に人生における経験の蓄積により解決法が自分の中で固定されるからというのと、脳の処理能力が著しく低下するから新しいものを理解できなくなるからという点があります。

もう1つが糖質過剰摂取です。

なんで? と思うかもしれませんが糖質は脳の報酬領域を刺激し依存を引き起こします。

そしてこの際、脳内ではあり得ないほどの快楽の電気信号が普段は繋がないような脳領域同士をくっつけたりもします。

こいつが良い方向に働くと偉大な発明家のような天才的閃きと呼ばれますが、それあ非常に稀です。

多くは悪い方向へと作用し、自分の中の思い込みを増強します。

そしてある時、こういった考えを閃きます。

「これは県全体の問題だから、政治家の責任として条例化しなければ」

普通は「いやいや、ちょっと待てよ。それは家族間の信頼に土足で踏み入ることになりまっせ。金銭的な負担が大きい課金の問題だけを焦点に絞った方が県民の理解も得られるのではないのか?」とか思うはずですが、思えなくなるんですよ。

その結果、パブリックコメントを黙殺し、自分たちに都合の良い賛成意見だけを発表し条例化にこぎつけるわけです。

そしてこのゲーム規制の流れは秋田県が後に続くようです。

十分な議論を為して欲しいですね。

しかし秋田県も糖尿病ワースト県の1つですから糖質過剰摂取な議員さんが心配です。

これで秋田も可決されるようなら次は青森か徳島か。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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