なぜ、糖質制限などの食事法は継続性に困難が生じるのか?




おはこんばんにちは、リンさんです。

新型コロナウィルスが蔓延しており、既に統計数なら過去の SARS や MARS を超えたと言われています。

しかし変異株として考えると過去の2種類は実は大した事なかったので、今でもリスク状の脅威は新型コロナウィルスよりもインフルエンザウィルスが勝っています。

もちろん中国の発している統計が正しければという前提がありますけどね。

今季はインフルエンザの猛威も無い日本ですが、アメリカではインフルエンザによる死者が8,000人を既に超えています。

とりあえず衛生環境を整え、栄養状態を充足させ、更に過度の疲労につながるようなリスクを避ける事しか今は無いのではないでしょうか。

ヒトと違うというのはそれだけで結構な異端扱いをされるという事ですね

ヒトとヒトは関わり合いの中で生きています。そしてそれの集合体を社会と呼びます。

例えば育児虐待などの問題を起こす家庭は、その関わり合いの希薄な、あるいはそういった関係性を放棄している可能性が高いわけです。

世代間のギャップなんぞと称されるものに関しても、手紙で育った世代と SNS で育った世代で認識の差が出るのは当然なわけです。

そんな中でも同じ社会で生きていくとなると徐々に形成されていくものが社会通念と呼ばれるもの、いわゆる常識だったりします。

この常識、ありがたい事に道徳的におかしな事を起こさないようにするという社会の自衛自浄のシステムなのです。

しかし1回おかしなものが混じってそれが定着してしまうと。それを拭い去るのが難しくなってしまうっていうのが難点ですね。

もう1つの難点が、今回の糖質制限などの食事法の継続困難性に関する問題です。

新しい事をしようとすると、この常識が常に枷となり阻害され、最終的には始めようと思った事を断念せざるを得なくなるって事です。

常識が邪魔をするって言っても何のことやらって感じになっちゃうので、今回はいくつかの例を挙げてみようと思います。

周囲の無理解

何かを始めようとする際に最も大きな問題となるのが、これです。

そんな事関係ないねというヒトだっていますが、まあそういったヒトは稀ですからね。

この中でも最も大きな問題点が「家計を押さえているヒトからの無理解」というのがあります。

つまり、本人だけが満足していてもそれは長続きしないって事です。

本人のモチベーションが高いうちはまだいいですが、モチベーションが下がってきた時、こういった無理解から発せられる言葉は実に暴力的です。

心を折られるような言葉を言い放ちますからね。本人にはその自覚は無いでしょうが。

理解が無いので「自分で始めたのなら勝手にどうぞ」というスタンスの発言をされるわけです。

金銭的な余裕

糖質制限はとにかくお金がかかります。植物性たんぱく質だけで済まそうとすれば、それなりですが、動物性栄養素を重視しだすとキリがありません。

また、こういった食事をしていると栄養が偏っていると言われるのですが、これが同居世帯などの近しいものになればなるほど鬱陶しくなります。

無理解からの心配する発言というものはモチベーションを削り取っていきます。

そしてその心配を発した本人は、実践者のモチベーションの低下なんて対岸の火事ですから自己責任で括られてしまいます。

四面楚歌の上に築かれた信念

糖質制限実践者で長期に渡って継続されている方の多くが糖尿病などの疾患を抱えています。

多くのヒトにとって1年を超える「ヒトと変わった生活」は困難で、必ず気持ちが緩んできます。

闘病生活、減薬への取り組み、現代西洋医療の批判などが直面した現実であればあるほど、モチベーションの維持がし易くなります。

「痩せたい」といったあまりにも漠然とした欲求は長続きしません。「健康になる」ってのも同じですね。

しかも痩せても、健康になっても、その先にあるのは社会的には孤独かもしれません。

ヒトは繋がりがなければ生きている意味を見出せませんから、手段や時代が変わってもコミュニケーションツールは常に身近に存在しています。

自分の目の前に乗り越えるべき課題があるといった状況を保ち続けるのが、どれだけ困難であるかは推して知るべしってやつですね。

糖質制限で取り上げてみましたが、これは社会に存在する少数派全てに存在するジレンマです。

心折れそうになったら、誰か理解者を探してみるのもいいかもしれませんね。

最後まで読んでいただき、いつもありがとうございます。










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